後編
学園は、寮から通うか自宅通学かのどちらかを選べる。
寮なら学園併設だし、食堂がいつでも開いていたり掃除も依頼すれば職員がやってくれるので便利なのだが、使用人を連れてくることは禁止されている。
そのため高位貴族の子女は、自宅から馬車で毎日送迎されるのが普通だ。
勿論ジェニファーも馬車通学である。
「おはようございます。ジェニファー嬢!」
「待って、なんでここに?」
朝、屋敷の門から出た瞬間に声をかけられ、外を見たらそこにノアがいた。
「えっと、『あなたの恋の僕です』!」
「どなたからそれを教えられたのか知りませんけど今後一切言わないでくださる?」
手帳を見ながら棒読みするくらいなら。そう言うとノアはすぐに手帳を仕舞った。
代わりにピンク色のピオニーの大輪を一輪、差し出してくる。
「ノア様、わたくしの質問に答えてくださるかしら。何故ここにいらっしゃるの?」
「ジェニファー嬢と少しでも共にいたくて、一緒に登校してよいか侯爵家に尋ねたところ、『一緒の馬車はダメ』と言われましたので! 徒歩で来ました!」
「そういう意味では無かったと思いますわ」
返事をしたのはアレクサンダーだろうか。そんなとんちを利かせた発想をするとは彼も思わなかっただろう。
「というかあなた、寮生じゃなかったかしら」
「知っていてくださったんですね!」
騎士科の大半の生徒が寮生活をしているのを覚えていただけである。
「あっ、御者殿! いつも通りのスピードで結構です! ちゃんとついて参りますので!」
「かしこまりました」
「かしこまっていいの……ちょっとあなたその状態でずっとついてくるつもりですの!?」
足の回転が速いのに、上半身がブレない。
騎士としては素晴らしいかもしれないが、そんなのに並走されている馬車は非常に奇異の目で見られることになったのだった。
「疲れてますわねジェニー」
「それほど顔に出ているかしらヴィヴィ」
「いつもより眼力が強いですわ」
その程度の差異でジェニファーの心境を察してくれるヴィヴィアンは本当に得難い友である。
「あと、朝からサリヴァン様の話題で持ち切りでしたから」
「……ちなみにどんな?」
「サリヴァン様がフローライト侯爵家の馬車を追い回してアプローチしていたとか」
「若干の齟齬はどう受け取るべきかしらね……」
誰かが面白おかしく脚色しただけなのか、それとも何かしらの作意があるのか。
本当ならそこを見極めなければならないのだが、はっきり言って考えたくない。クローディアスに丸投げしよう。
なお、帰りも笑顔のまぶしいノアがしっかり馬車の前で待っていて、ジェニファーは脱力しそうになるのを必死にこらえた。
馬車と並走する男子生徒の怪はこの年の王都で有名になった。
****
「予想外すぎて困る」
ジェニファーの報告を聞いたアレクサンダーの第一声はそれであった。ジェニファーも概ね同意だったので何も言わない。
「遠回しの断りだったんだが、騎士科の貴族だと通じないのか……」
「兄上、騎士科に失礼だと思うよ。サリヴァンだから通じなかったんだよ」
「弟よ、お前のほうが失礼では?」
「直球で改めて断りを入れる訳にはまいりませんの?」
「一度了承ととられてしまったものを改めて拒否するというのはな……」
侯爵家になるとそういう面子も大事になってきてしまう。
「馬車に乗せずに男が並走していると外聞が悪いからやめてくれ、と言うか……?」
「……やめたほうがいいんじゃないかな」
「何故?」
「彼、この次は盗んだ馬で並走しそうだし」
ありえそうな展開に、皆が口を噤んだ。
――むしろ馬だったらまだここまで疲れなかったのに、などとジェニファーは思ってしまった。錯覚だよ?
****
王家や宰相、そして騎士団などは隣国への対応や婚約解消の諸々で忙しいようだが、こういう時に余裕を見せるという対応も存在する。
「お前らなんて眼中にねえよ」という顔を見せることで優位に立つという外交戦略だ。
という訳で、ガーネット侯爵家主催のパーティが催されることになったのだが。
「ジェニー。パートナーはサリヴァンとそれ以外、どっちがいい?」
「……え?」
結婚済みのアレクサンダーは別として、クローディアスと出席する気であったジェニファーは反応が遅れた。
「王家に最後通告を叩き込みたい。未だにフローライトへの誠意が見れない状態だ、何食わぬ顔でジェニーをアレクシス王子と結婚させようとする気配すらある。パーティに家族以外の男を隣に置いていればいい加減現実を見るだろう。……見なければ本当に切り捨てるだけだ」
ノアからアプローチを受けるようになって数週間。父親は未だに王城から帰ってこない。
アレクサンダーの苛立ち具合から、相当紛糾しているのだろう。
しかし、なかなかの二択である。ノアかそれ以外か、とは。
ここでノア以外を選べば、サリヴァン伯爵家からの求婚は断るということだ。
侯爵家の都合の良いように――とジェニファーは言うべきだったのだが、何故か喉が張り付く。
「……ノア様を選んだ場合は、その」
「ああ、まだ確定はしないから安心してくれ。……そう言う、ということは、サリヴァン伯爵はまだ脱落をしていないのか。……アレで」
毎日馬車と並走する元気なノアを思い出したのか、アレクサンダーは遠い目をしている。
「では、今回はサリヴァンにしよう。……いいんだよな?」
「……はい」
無駄に男性を増やして妙な噂を追加されても困りますし、と言い訳のように呟いた。
パーティ当日、ノアは大輪のダリアの花束を持って迎えに来た。
「お美しいです、ジェニファー嬢」
「ありがとうございます」
「その青いドレスとジェニファー嬢の目線で凍えるように震えてしまいますね!」
「褒めてるつもりかもしれませんが世間一般には貶してらっしゃいますわよ」
そう言うと、ノアは何故か嬉しそうに顔を綻ばせた。
「何故喜んでらっしゃるの」
「いや、だって。ジェニファー嬢はちゃんと『褒めてる』ってわかってくださったんでしょう?」
「僕があなたのそんなところも愛しているって、ちゃんと分かってくださっているってことですよね!」
何の裏も無く言われたそれに、ジェニファーは言葉を詰まらせた。
なお、ノアのエスコートは口を開かなければ完璧だった、とだけ言っておく。
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数日後、久しぶりに父親が屋敷に帰ってくると、アレクサンダーとクローディアスを呼んで執務室に籠った。
その時間がやけに長く、気になったジェニファーはこっそり部屋の前に忍び寄る。
「……二度と王家とは縁など結ばん。アレク、奴らの手綱をしっかり握れ。後の問題はジェニファーを誰に嫁がせるかなんだが……」
嗚呼、つまり王家とは完全に没交渉になったのだ。
代わりに、アレクサンダーが重要ポストに就く。それで王家との話は終わったようである。
「今のところ、サリヴァン伯爵が良いとは思う。他の派閥との折り合いも不要であるし、伯爵もジェニーを好いているから。……ちょっとアレだけど」
「その辺はワシも聞いている。確かにちょっとアレなんだが……」
アレアレと可哀想な言い草である。
「二人とも、気にする必要はそんなにないんじゃないかなあ」
そこにクローディアスの明るい声が聞こえた。
「大丈夫だって。姉上はちょっとアレな人のほうが好きだよ!」
「聞き捨てなりませんわよクローディアス!?」
思わず執務室に乗り込んだジェニファーであった。
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「けれど、クローディアス様の言いたいことも、わたくしわかりますわ」
「どういう意味かしら」
翌日。
クローディアスの失礼な発言をヴィヴィアンに愚痴ったところ、なんとヴィヴィアンが弟の肩を持った。裏切られたような気分である。
「ジェニーはとても頭が良いし、面倒見も良い素敵な人だから。今更真面目で堅苦しく、完璧な男性とだなんて合わないのよ。ちょっと手のかかるお馬鹿さんのほうが丁度いいわ」
元々が手のかかる馬鹿を結婚相手としていたジェニファーなのだ。似た男でないと上手くいかないと言う。
「ああ、もちろんアリスター殿下がお似合いって意味ではないのよ? その点で言えばサリヴァン伯爵がピッタリ」
「ピッタリ……?」
「だって、噛みついてくるだけのお馬鹿さんより、こちらを愛してくれるお馬鹿さんのほうが何倍もいいじゃない?」
扇子を広げてクスクス笑う親友。
いや、ただの馬鹿より付加価値のある馬鹿のほうが良いのは当然だ。だがそれでいいのだろうか。
「いいのよ、ジェニー。せっかくただのお馬鹿さんから解放されたのよ? 愛すべきお馬鹿さんにしときなさいな」
「前から思ってましたけど、ヴィヴィも相当殿下に鬱憤が溜まってらしたわね?」
「あら、当たり前じゃない。わたくしの大事な親友を虚仮にする殿方がすぐ近くにいらっしゃったんですもの」
いなくなって清々しましたわ、と珍しく高笑いをしたヴィヴィアンに思わず笑ってしまった。実に不敬である。けれど、その歯に衣着せぬ物言いが嬉しかった。
****
「ジェニファー嬢!」
今日もノアは笑顔でジェニファーに花を差し出す。
今日はアマリリスだった。彼は最初の薔薇以降、ジェニファーに大輪の花を贈る。花言葉なんて無視して、だ。
「あなたには大きな花が似合います」
それだけの理由で、ひたすらに大輪を渡してくる。
「……ノア様は」
「はい、何でしょうか」
「ノア様はわたくしの冷たい顔がお好き、とおっしゃってましたけど。わたくし、そんな顔ばかりする訳ではありませんわ」
「? はい、もちろんです。ん? あれ? いえジェニファー嬢。僕はあなたの冷たい顔だけが好きな訳ではないです」
「え?」
見下す目線やら冷たい微笑云々と言っていたのはノアではないか。
「僕はあなたの見下したような目線も、切って捨てるようなお言葉も――ヴィヴィアン嬢と話している時の楽しそうなお顔も、パーティに参加された際の凛としたお姿も。全部愛しています」
本当に、全部なんですよ。
「―――――――っ」
ジェニファーは、自分の顔が真っ赤に染まるのを自覚した。
負けた。完敗だ。この馬鹿にジェニファーは勝てない。……けれど負けっぱなしはプライドが許さない。
「――わたくしが嫁ぐからには、可笑しな真似は一切させませんわよ」
「……はい!」
高飛車なジェニファーの言葉に、ノアは嬉しそうに笑う。
「……ノア様、こういう時は怒るか窘めるかなさらないと周囲から笑われますわよ」
「笑われる? 何故?」
「あなたに手綱を握って貰えるなんて、僕は世界一幸福な男じゃないですか!」
何の疑いも無く言い切ったこの男を護らなければと、ジェニファーは決意した。
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「――と、いうのが結婚までの経緯ですけれど」
「えぇ……もうちょっとこう、劇的なものかと……」
「だから参考にならないと言ったでしょう。いえ、劇薬的ではありましたわ」
「サリヴァン伯爵は薬か何か……?」
王子との婚約が決まった兄の孫娘――オレリアにせがまれてだいぶ昔の話をしたジェニファーだったが、今思い返しても……我ながらとんでもない博打をしたなと思う。
「まあ結婚なんて、政略だろうが恋愛だろうが博打ですわよ。決まってしまった以上、後は自分の才覚で勝利を掴み取るだけよ、オレリア」
「はい……」
「――僕の奥さんは、相変わらず勇ましいなあ」
ずっと隣で優雅に茶を飲んでいた夫は、いつも通り朗らかに、幸せそうに笑っていた。