表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

撮影禁止

 たとえて言うなら、コンクリートの巨大トンネルである。

 「掩体」と呼ぶか、「シェルター」と呼ぶか。部隊ではふつう、この巨大なコンクリート製のトンネルを、「掩体」と呼んでいる。

 八月の北海道である。空は恐ろしいほど青く晴れ渡り、そよぐ風には、芳香剤のような濃い緑の香りが混じり、囀る野鳥は誘導路脇の雑木林の枝で、その向こうにじっとしなやかな肢体を見せる、金属製の猛禽を眺めているに違いない。

 千歳は、北海道の空の玄関口であり、北海道を訪れる観光客のほとんどは空路、北の大地に建設された大空港-千歳空港に第一歩を記す。が、千歳空港は、観光客やビジネス客でごった返すターミナルビルと滑走路をはさんで、国内有数の空軍基地が併設されている。それが、いま私がいる第二航空団・千歳基地である。

 私がいるのは、隊員たちが「掩体地区」と呼ぶ区画で、基地に勤める隊員でも、容易に立ち入ることができない、いわば「軍事機密」に守られた区域だ。もっとも、束の間の札幌出張にふと気張った背中から力を抜き、ターミナルビルの大きな窓から晴れ渡った北海道の真夏の空を見上げ、遠くにそびえ立つ恵庭岳や樽前山の威容、手つかずの原生林を眺めていると、ふとこのコンクリート製のアーチ橋のような、トンネルのような構造物が眼に入るかも知れない。

 日本の空軍基地は概して無断撮影が禁止である。広く国民に親しみを持ってもらおうと年に一回開催される基地開庁祭などのイベントでは、展示される航空機の写真撮影こそ許可されるものの、立入禁止区域や軍が規制する建物、施設の写真撮影は絶対禁止である。今回の取材でも、私を含め、カメラマンの簑島さんも、それは空軍側から厳重に言い渡されている。

 しかし、撮影禁止は空軍施設の中だけで、中島飛行機やボーイング、アエロスパシアルといった民間旅客機がひっきりなしに離着陸するターミナルでは、旅の思い出とばかり、カメラを取り出していくら写真を撮ろうが、空港職員が目くじらを立てることもない。警備員が巡回していても、北米大陸へ燃料と乗客を満載してタキシングを開始した中島・G30Nをファインダーに収めたところで、それは出発デッキでのありふれた一コマに過ぎないだろう。だから、ターミナルから千歳基地を向き、原生林の中に点在するこのコンクリート製の「掩体」をいくら撮影したところで、誰も気付かない。

 掩体は、まさにトンネルのように貫かれており、出入口にあたる側には、頑丈そうな鋼鉄製の扉がつけられている。これは万一、千歳基地が敵の爆撃に遭遇したとき、この扉を閉めておけば、中に仕舞われる戦闘機を守るためのものだ。当然、この扉の厚みも軍事機密ということになる。そして、軍が写真撮影を絶対禁止としているこの構造物は、緑溢れる豊かな大地、北海道を空から守るための戦闘機を格納するためのものなのである。

 私が千歳基地を訪れた日は、八月の第一日曜日を翌日に控えた土曜だった。基地は通常、土日は緊急要員と待機要員を残して全休となるが、この日は違った。明日の日曜は、年に一度の千歳基地の「祭」、航空祭の日に当たっていた。私はなにもこの日をめがけて取材したわけではなかったのだが、数万人が訪れる行事に際して、私は「関係者」扱いとなり、一般公開の前日に、隊員たちの家族を対象に開かれる、「もうひとつの」航空祭を見学できることになったのだ。

 午前、基地司令や千歳市長のあいさつ、訓辞が一通り述べられたあと、空軍が保有する戦闘機や攻撃機が会場上空をゆっくりと飛行し、航空祭が幕を開ける。といっても、会場には隊員の家族など、ごく少数の関係者しかいないから、翌日日曜日の「本番」の人出を思えば、まさに「贅沢」そのものといったところだろう。事実、空軍戦闘機がそのパワーとスピードを存分に発揮してみせる機動飛行や、回転翼機による救難訓練展示、海軍は空母艦載機によるデモンストレーション、果ては遠く浜松からやってきた戦技研究班、いわゆるアクロバットチームの華麗な飛行まで、私は人混みにまぎれることなく、特等席から眺めることができた。世の航空機ファンたちには、申し訳なくてなかなか口にできないほどの贅沢な時間を過ごしたのだが、隊員たちもまた、この日は一年に一度の「お祭」のようなのである。

「写真撮影は、本当に、絶対に禁止ですから」

 基地の案内役、小高准尉は、掩体地区に向かう私たちに何度もそう念を押した。

「わかっていますよ。掩体地区は、最高の軍事機密なんですよね」

 幾分茶化した口調で私が言うと、

「いえ、それはもちろんですが、これから見聞きすることは、本当に、他言は無用で」

 小高准尉は、私たちを「オープンカー」で迎えに来てくれた。戦闘機を牽引するトーイングカーである。カメラマンの簑島さん、そして私に小高准尉の三人は、やや定員オーバー気味なのを承知で、簑島さんは車外に落ちないよう懸命に捕まりながら、くねくねと曲がる誘導路を、掩体地区へと向かった。

 千歳基地には戦闘飛行隊がふたつ配備されている。どちらも「北の空の護り」の要、空軍では「最新鋭」とされる八一式戦闘機を四十機近く保有する。千歳基地の戦闘機部隊は、札幌や小樽などの重要都市はもちろん、苫小牧や室蘭といった工業地帯、まさしく北海道全域をカバーする。千島列島は択捉空港、樺太にも豊原空港に戦闘機部隊が駐留しているが、むしろそちらはいわば「営業所」のような存在であり、ここ千歳基地が、北部航空方面軍の主力として位置づけられているのだ。

 小高准尉が運転するオープンカーは、時速にして三十キロ程度のスピードで誘導路を行く。灌木が茂り、ところどころから誘導路が滑走路に伸びており、離陸していく旅客機の姿も見える。遮るものがなにもないため、強い陽射しに私は半分めまいを覚えていた。

「もうすぐですから」

 小高准尉は、アクセルペダルからそっと右足を浮かせた。

「これが掩体地区ですか」

 私はオープンカーから滑り落ちないようにしながら、「最高軍事機密」である掩体を、ようやく目の当たりにした。

 一言でいうなら、「秘密基地」。

 私が最初に抱いた感想はそれである。

 何より、写真撮影を厳禁され、基地に働く隊員ですら容易に立ち入れず、「最新鋭」戦闘機がここで翼を休めているはずなのだ。見えてきた掩体地区には人影も少なく、夏の陽射しにコンクリート製の掩体そのもの、誘導路が照らされて白く輝いており、雰囲気はまさしく、映画などで見る「秘密基地」そのものであった。

「こちらです」

 小高准尉は誘導路から駐機場の片隅にオープンカーを止め、私たちを誘う。

「これが、八一式戦ですね」

 指さした先には、掩体の中、夏の陽射しから逃れるようにして翼を休めている灰白色の猛禽……一機八十億円は下らないスーパーマシン、八一式戦闘機がしっかり車止めをされて格納されている。掩体に入ると、ひんやりと涼しく、それが心地よい。

「ご覧になりますか」

 以前、私は三重県の明野を訪れた際、間近でこの八一式戦闘機を見た。いや、見るだけではなく、教育部隊を勤めている明野基地の学生たちに混じるようにして、コクピットに座ったりもした。が、千歳で再会したこの戦闘機は、幾分雰囲気が異なって見えるように思えたのだ。

「実弾、積んでいるんですか」

 私が指摘をすると、小高准尉は小さく笑ってそれを否定した。

「あれは模擬弾ですね」

 今日は基地の「お祭」である。パイロットや整備員の家族に見せるため、模擬弾を装備させているのだという。それでも間近に寄ると、対空機関砲のあたりがすすけていたり、主翼や胴体も、洗い流しても落ちないのか、黒っぽい汚れが染みになっていて、かえってそれは、歴戦の勇者の証であるような、一種のすごみとして感じられるのだ。それが、明野基地で接した戦闘機と、千歳の機体の違いなのではないかと思われた。ここは教育部隊ではなく、まぎれもない実戦部隊、大国・ソ連を望む前線基地なのである。

 小高准尉は、ガイドよろしく、模擬弾を装備した八一式戦闘機をくまなく説明してくれた。同時期にアメリカが配備したF15戦闘機と機体規模や姿形も似ているが、残念ながらエンジン性能が米軍機には追いついていないこと。しかし、模擬戦では今のところ五分五分であるということ。むしろ、機体の性能でおよばない部分は、パイロットの技量と努力で補っているということ。海軍の七四式艦戦には負け知らずであること。

 まだ若い小高准尉は、自分の部隊の自慢話を、まるで自分の恋人や親友を紹介するように話してくれる。説明されるほとんどの内容をすでに知識として知っている私も、小高准尉の「熱さ」に気圧されるように、黙って聞いていた。簑島さんは、彼に断ってから、熱っぽく期待の説明をする小高准尉の姿をファインダーに収め、数枚シャッターを切っていた。

「では、次に行きましょう。パイロットを紹介します」

 小高准尉と私たちは、「説明用」の八一式戦闘機から離れ、ふたたび炎天下の誘導路を歩き始めた。

「重ねて言いますが、くれぐれも、掩体や誘導路の配置がわかるような写真は撮らないでください」

「大丈夫です」

「それと、これから行く場所について、私が許可した部分以外は、全面的に撮影は禁止です。よろしいですか」

 小高准尉がいやにしつこく撮影禁止と繰り返すのを、私と簑島さんは少々不思議に感じていた。以前取材した戦艦「大和」の艦内では、海軍の広報官は、そこまでしなくても、というくらい写真撮影を勧めてくれた。いまにして思うと、戦艦の写真を私たちに撮らせ、発表させることで、「時代遅れ」「税金の無駄遣い」「大艦無能主義」などと揶揄される戦艦の有用性を世に知らしめたかったのかと思うが、しかし、「軍事機密」の塊であるはずのミサイル巡洋艦「妙高」の取材の際、一部の撮影は禁止されたが、小高准尉ほどしつこく「撮影禁止」を繰り返す担当官はいなかった。

 誘導路は掩体を縫うように、原生林の中を行く。実際たいした距離ではないのだろうが、距離感や方向感覚を狂わされているようで、私は首筋をじりじりと灼く陽射しに痛みを感じながら、それでも吹き抜ける風の涼しさに、ここが北海道であることをあらためて思っていたのだ。

 私は帝都・東京の生まれであり、地方というものを知らずに育った。北海道という地域には少なからず憧れを抱いてはいた。なにより広く、四季がはっきりとしており、学校で学ぶ北海道は、日本の食糧基地であり、観光ガイドを開けば、青い空に緑の草原、霧の摩周湖、釧路の海産物、札幌の「ジンギスカン」料理……。今回の取材で北海道は三度目になる。しかし前回は空母「赤城」が真冬の訓練で樺太を目指す折、函館港に寄港したのみで、三度目の今回は、学生時代以来久しぶりの来道、ということになる。取材の合間に、北海道の食材をいかにこの腹へおさめてやろうかと簑島さんとホテルで話し合うこともしばしばだった。そんな妄想に近い思いをずっと取材中も秘めていたからか、誘導路を歩く私の鼻腔に、その「ジンギスカン」、羊肉を材料とする焼き肉の匂いが漂いだしたのだ。

 航空祭はまさに「祭」である。明日の「本番」には、千歳市内からだけでなく、札幌や空路訪れる見物客を目当てにした出店も多数現れる。今日もいくつかの店が、香ばしい匂いをあたりに漂わせていたが、ここは会場からやや離れた掩体地区である。ここまで屋台の匂いが届くはずもない。私はいよいよ自分の食欲の強さにあきれ、首を緩やかに降りながら小高准尉のあとを追ったのだが、やがて誘導路の角を曲がると、あたりには煙が漂っているのである。

 軍事基地で煙りといえば、それは火薬の煙と相場は決まっている。

「こちらです、松山さん」

 パイロットがいるという場所。しかし煙はまさに小高准尉が私たちを誘う掩体から漂っているのだ。

「小高さん?」

「松山さん、ですから、撮影禁止なんですよ」

 掩体には、濃いグリーンの作業服を着た整備員たちが多数詰めていた。その姿だけ見れば、格納されている八一式戦闘機の整備だ。が、誰一人戦闘機の機体に触れていない。ただ、煙だけが漂っている。ウィングマークを胸に誇らしげにつけているパイロットもいる。そんな彼らはみな笑顔で、腕をまくり、軍手をはめ、ドラム缶を半分に切った手製の巨大コンロに火ばさみを突っこんでいる。

「まあ、一緒にどうですか。毎年、航空祭の日は、ここで焼き肉なんですよ」

 それでも一応はみな軍人であり、職場である。手にしているのはビールではなく、サイダーやお茶が注がれたコップである。そして、整備員やパイロットたちの輪の中心にあるのは、もうもうと煙を上げる焼き肉なのである。

「こちらは、山崎中尉。午前中の機動飛行、ええと、二番機の担当ですね」

「初めまして。山崎です」

 満面の笑みと、深い色を湛えた瞳。コクピットではさぞ窮屈に違いない長身の山崎中尉は、私と握手する右手を差し出す際、肉が山盛りになった皿を簡易テーブルに置くのを忘れなかったのである。

「くれぐれも、『戦闘機と焼き肉』なんて写真、発表しないでくださいね」

 山崎中尉が、そっと簑島さんのニコンを指さして微笑んだ。

 簑島さんはニコンをカメラバッグにしまうが早く、別のパイロットがすかさず渡してよこした紙皿に焼きたてのジンギスカン肉を乗せ、慌ただしくそれをほおばったのである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ