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対空戦闘、用意!

対空戦闘用意


「対空戦闘用意!」

 スピーカーから鋭く発せられた号令に、艦内のクルーの顔色が変わった。私は広報担当の稲垣少佐と、ふだんはなかなか取材許可の下りない、戦闘指揮所でその号令を聞いた。

 私がいまいるのは、「世界最大最強」の誉れも高く、戦艦の代名詞とも言うべき、「大和」の戦闘指揮所=CICだ。建造されてから半世紀を過ぎ、さすがの戦艦「大和」も、戦うべき相手はすでに大洋になく、毎年永田町で審議される予算委員会という状況にさらされて久しい。そして、艦長以下の幹部たちが、天守閣と見まごう艦橋で指揮を執らず、何度目かの大改装で新設された、窓ひとつない戦闘指揮所から戦況を窺い、「神の眼」とも言われる早期警戒機やミサイル巡洋艦から伝送されるレーダー情報を、宇宙船のコクピットを思わせる巨大ディスプレイに表示させ、一秒ごとに変革していく「戦場」をじっと見つめるようになっている。

「目標、二〇マイル」

 戦闘指揮所に、目標の諸元が次々とコールされてくる中で、薄暗いコンソールの前にじっと腕組みをしているのは、大崎中佐である。短く刈り込んだ髪と、赤銅色の肌は、まさしく「海の男」そのもの、といった風情であるが、艦を降り、ともにテーブルを囲んだ居酒屋の席で、意外なことを告白した。

「私ね、下戸なんですよ」

 大崎中佐の眼前のジョッキになみなみと注がれているのは、サイダーだった。

「ビールも飲めないし、焼酎もダメ。ウィスキーも匂いすらダメだし、日本酒は料理の隠し味ならいいけれど、飲むなんてもってのほかですよ」

 笑いながら、一気にサイダーのジョッキを傾け、半分ほどがなくなった。

「ある意味、これも海軍の伝統ですから」

 半世紀前、海軍の主な戦艦や巡洋艦には、ラムネの製造器が配備され、艦内で飲むことができたという、そのことを大崎中佐は言っているのだ。

「酔うのは、船酔いだけで十分でしたねぇ」

 サイダーはカロリーも糖分も高いからと、それでもなみなみと注がれたジョッキを空けて、しかしその後、大崎中佐は烏龍茶を飲んでいた。赤銅色の肌を見ていると、すっかり酒に酔っているように見えるのだが、それを指摘すると、

「都合がいいんですよ、この色。無理に飲まされずに済みますからね」

 若い頃は、酒の席でずいぶん苦労をしたのだという。飲めない者は飲めないなりに、酒の席での防御策を次々と考えたとのこと。たとえば、

「ジンジャーエールってありますよね。色といい泡の具合といい、なんとなく酒を飲んでるように見えるんですよ。若い頃はそれでよくごまかしていましたね」

 いまでは、大崎中佐が酒に弱いことを知っている人間が多いので、苦労することもなくなった。

「酔うのは苦手なんですよ。海軍に入り立ての頃は、カッターに乗っていても駆逐艦に乗っていても、とにかく酔いましたから」

 それも意外な言葉だった。海に憧れ、船に乗りたくて海軍に入ったような人が多いと私は思っていた。だからなおさら、船酔いする人間が海軍にいることが信じられない。

「案外多いですよ。ようは慣れなんですよ。船酔いを治すには、船を降りるしかない、なんて言われますけど、慣れてしまえばどうってことないです。それに、船に酔うってことは、船の動き、海面の動きにそれだけ敏感だってことです。船乗りとして、これは一種の適性だと私は思うことにしたんですよ」

 それは、私が以前取材した、空軍のとある戦闘機乗りの言葉と重なって聞こえた。旧式の戦闘機に乗り、最新鋭の戦闘機を相手に互角の戦いを演じ、演習とはいえ、「敵」の最新鋭戦闘機を「撃墜」してしまうほどのエースパイロットである彼もまた、空軍でパイロット見習いをしていた頃は、ひどい飛行機酔いに悩まされたというのだ。それ彼もまた「飛行機の動きに敏感なんですよ。そう思うことにしました。実際、飛行機に無理な動きをさせないで、自然な振る舞いを心がけると、酔わないんですよ」と私に話してくれた。無理をするから酔うのだ、と。

「船がおかしな動きをしていると、いまでも具合が悪くなりますね。それに、あの真っ暗なCICにこもっていると、余計ね」

 かつて艦長以下、艦の幹部たちは、見通しの利き見晴らしもよい艦橋で指揮を執っていた。世界最大の口径を誇るこの戦艦「大和」の46センチ砲の砲撃も、より高所からの測距が必要だったから、13階建てのビルに相当する艦橋に上がらなければならなかったのだ。

 しかし、現代の戦闘はそれを変えてしまった。「大和」が艦尾に積んでいた観測機は役目を終え、高性能なレーダーや、無人観測機や偵察機、果ては人工衛星の情報を駆使して戦闘を行う。艦橋から見える水平線はたかだか十数キロ程度だが、航空機や人工衛星は、地球の丸みのその向こう側、数百キロ、数千キロ彼方まで見通してしまう。艦橋で指揮を執る必要性が全くなくなってしまったのだ。

 もちろん、通常の航行時には、見通しの利く艦橋は重要だ。往来の多い海路を行くときは、周囲の艦船の動きに随時注意しなければならない。戦闘行動をとらないふだんの「大和」の艦橋には、航海長をはじめ、艦長以下が双眼鏡を首から提げる、伝統的な海軍士官の雰囲気を守っている。が、戦闘時は違うのだ。

 違う、といえば、大崎中佐の預かる「大和」の武器も変わった。戦艦の武器が、9門の46センチ砲であることは疑いがない。戦艦の存在意義は、まさにこの主砲の攻撃力、打撃力にある。ミサイルが発達し、百発百中の命中率を誇っても、自重一トンを超える46センチ砲の砲弾の威力は、自軍の兵士たちをも畏れを持っている。

「演習時に撃つわけです。主砲を」

 大崎中佐も、主砲一斉砲撃の衝撃は、何度経験しても慣れることはない、という。

「そうそう気軽にぶっ放せる代物ではないわけです」

 最大射程は四十キロを超える。東京は台場あたりら砲撃すれば、世田谷や中野、もちろん新宿も射程圏内に入ってしまう。もちろん、射程数百キロにも達する現代の巡航ミサイルに比べれば心許ない射程だが、しかし、破壊力が違いすぎる。

「敵に回したくないですよ。この船は。もともとは敵の戦艦を水上でやっつけてしまおうって思想で作られてますけど、地上目標にたいする攻撃力もすさまじい」

 大崎中佐が言うように、航空機が発達し始めた1940年代以降、それはこの「大和」が誕生した時代に当たるのだが、そのあたりの時代から、戦艦の主砲は、味方の上陸部隊を支援するために効果的であると言われ、戦艦の主な役目は、航空機による初期作戦を経て、上陸支援のためにその強力な火力を存分に使用する、そういう方に向かっていった。

「大和」には姉妹艦があと三隻いた。生まれた順に、「大和」「武蔵」「信濃」「紀伊」であり、いまでも現役なのは、「大和」と「信濃」の二隻だけである。

 1950年代に一時四隻すべてが退役したが、朝鮮動乱の勃発で全艦復帰、インドシナ動乱での活躍後、「武蔵」と「紀伊」が退役した。「武蔵」は横須賀で、「紀伊」は舞鶴で記念館として保存されている。

 対空ミサイルの装備や高性能レーダーの追加、ヘリコプターの装備などの近代化改修を受けた「大和」「信濃」は、日本海軍の顔として、海外への親善航海も幾度も経験した。国内での知名度は、「武蔵」「紀伊」より先駆けて退役した戦艦「長門」や「陸奥」をも凌いでいたし、「世界最大・最強」の戦艦として、海外での人気も高い。しかし、海軍の戦闘能力の大部分を、いまは空母を中心とする機動部隊が担い、艦隊を守るのは艦載機とミサイル巡洋艦である。

「いまでは時代遅れなのかな、とも思いますが、それでも、『大和』の砲撃を見たら、恐ろしいと思うはずですよ」

 「大和」が実際の戦闘で主砲から火を吹いたのは、1950年代の朝鮮動乱、60年代のインドシナ動乱と二度あるが、「想像力は敵の銃弾よりも強力だ」とその洞察力で戦場のドキュメントをつづった開高健は、「帝国海軍が誇る戦艦『大和』がベトナム沖に現れたとの情報に、ベトナムの兵士たちはみな震え上がった。やがて、観測機が飛んでくるだけで、獰猛な兵士たちも逃げ出すようになった」と書いている。

 しかし、世は移ろっていく。

 CICでディスプレイを瞬きすらせず凝視する大崎中佐がいま司るのは、ベトコンを震え上がらせた主砲ではなく、対空砲……対空機関砲と、艦対空ミサイルである。

 上陸支援や敵水上部隊への打撃力では相当な威力を発する「大和」の主砲も、マッハの速度で飛来する戦闘機には無力である。「大和」建造当時に開発された対空兵器「三式弾」も有能な武器だと信じられたが、実際は戦闘機の速度が向上し、防御力が上がると、さほどの威力がないことがわかってしまった。

 時代の趨勢は、かつて「花形」だった戦艦ではなく、軽快な機動力と強力なレーダーを武器にするミサイル駆逐艦やミサイル巡洋艦が海軍の主力と扱われるようになった。もちろん、戦艦の「天敵」とも言える戦闘機を操る空母もである。

 空からの脅威にたいして防御力が弱いのは、戦艦も空母も同じである。しかし、空母が自前の戦闘機や早期警戒機を飛ばして自らを守るのにたいし、戦艦は、対空機関砲やミサイルでハリネズミのように武装するしかない。艦隊を守ることもできない。大崎中佐に失礼を承知で言ってしまえば、戦艦はもう時代遅れなのである。

「対空戦闘は、がっかりされるかも知れません」

 広報の稲垣少佐は、私を「大和」のCICに案内する道すがら、申し訳なさそうに言ったものだ。

「なぜですか?」

「松山さんは、戦艦と聞くと、何を想像しますか?」

やはり、その勇姿になくてはならない、主砲である。

「対空戦闘で、主砲はなにもしません。何もできないのです。主役は、これです」

 稲垣少佐が指さしたのは、六本の砲身を束ね、寸胴で巨大なレーダーを頭に載せた、「CIWS」と呼ばれる対空機関砲だった。アメリカから導入された防御兵器だ。

「あとは、対空ミサイルです。対空戦闘の主役は、やはりミサイル巡洋艦か、そうでなければ、空母艦載機なんですよ」

 自らも戦艦「信濃」に短時期乗っていたという稲垣少佐は、少々寂しそうに主砲を見上げた。彼も、戦艦の主砲一斉砲撃で衝撃を受けた一人だという。

 対空戦闘訓練は、あっという間に終わってしまった。ダメージコントロールの訓練も兼ねており、「大和」は敵攻撃機の放った対艦ミサイルが二発命中、甚大な被害が出たとの想定になっていた。

 大崎中佐は、訓練が終わっても、じっとディスプレイを睨んでいた。

 その姿は、退役の時がすぐそこに迫っていることを知りながらも退けずにいる、戦艦「大和」の姿そのものに見えないこともないのであった。

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