30.うしろ向きの肖像 -1-
まったくもって寝られず、翌朝も寝不足で熱っぽい頭のまま白百合寮へ向かった。
「おはよう、礼人くん! 久しぶり!」
椎葉がほくほく顔で現れた。その後ろには、相変わらず椎葉と出発時間を合わせてくれているらしいカナハ嬢の姿もある。
「おはようございます」
できるだけカナハ嬢のほうを見ないように挨拶して歩きはじめる。昨日の今日で、彼女とどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
「しばらく留守にしまして、申し訳ありません」
「ううん、お仕事だもん。ちょっと寂しかったけど、仕方ないよ。それよりね、礼人くんがいない間にいろいろ計画が進んだんだよ。天雎祭の招待状もサンプルができあがったって──」
声が大きい。
人差し指を立てて見せると、椎葉ははっと口を覆った。
幸いカナハ嬢や他の女生徒とは距離があった。聞かれてはいないだろうが、ここでするような話題ではない。
「誰が聞いているともわかりませんから」
「そうだったね。えっと、じゃあ……礼人くんは『眠れぬ夜はあなたと』って知ってる? 昨日観に行ったんだけど、すっごくよかったよ。シュペール座も、オペラ座みたいですごかった!」
眠れぬ夜がどうのという歌劇もシュペール座も知らないし興味もない。
どちらかと言うと自分がまさに寝られなかったところなので、眠れぬ夜に人なんかと会ったら余計に寝れないだろうが、と歌劇自体にケチをつけたい気分だった。
「天雎祭ではその歌劇をするんでしたね」
「そうなの! 私はオフィーリアの役をするんだよ。主役だよ!」
すごいですね、と適当に相槌を打ちながら小路を行く。途中、エルネストとアーヴィンと出くわした。
「天雎祭の計画について情報の共有をしたいところですが、放課後ですね。今日は殿下もお見えになるということでしたから」
……こいつらもか。機密の取り扱いについて、一度よく考えたほうがいいんじゃないだろうか。
放課後、やってきた王子とレオも一緒の場で、偽の招待状のサンプルをまず見せられた。思っていたよりもずっと質が高く驚く。
ざらついた紙質もそこに透かし入れられた白百合寮の紋章も寸分違わずそっくりだ。
「ほう……」王子が感心している。
この男の目から見ても完成度が高いのだ。
「驚いただろ」
偉そうに腕組みをしたアーヴィンが、にやっと笑った。
「思ったより出来がいい。よくやったな。この調子で天雎祭本番も頼むぞ」
王子が満足そうに相槌を打ったので、エルネストとアーヴィンは誇らしげに頷いた。やる気満々でなによりである。
この様子を見るかぎり、昨日のカナハ嬢の尾行はこいつらが逸った結果と思っていいだろう。
尾行のことをこちらから聞いてみるのはおかしいだろうか。
どのようにして切り出すか悩んでいると、
「あ、そういえば昨日はどうだったの? カナハ様が普通に寮に帰ってきたから、びっくりしちゃったんだけど。昨日誘拐するって話だったんじゃないの?」
なんと椎葉が尋ねてくれた。たまにはいいことをする。
「……誘拐?」
一方で王子は訝しげだ。演技をしているふうでもないので、本当に初耳なんだろう。
「ああ、その件は……」
エルネストが意味ありげな顔をしてこちらを見た。
「俺たち、お前に聞きたいことがあったんだよ」
アーヴィンも似たり寄ったりの嫌な笑みを浮かべている。
「君、昨日どこにいました? 異形討滅の帰還予定日とその翌日は、予備日として非番になるそうですが」
「俺んとこに気になる報告があったんだよ」
アーヴィンは昨日の三人からすでに報告を受けていたらしい。意外と仕事が早い。
俺は小さくため息をつきつつ、
「……あれは、やはりあなたたちの仕業でしたか」
そう言って頷いて見せた。
「では認めると?」
「ええ。昨日、カナハ・ローレン公爵令嬢を助けたのは俺です」
素直に認めると、エルネストとアーヴィンはいきり立った。同僚の失点をあげつらって相対的に自分たちの評価を上げたいという思惑が透けて見える。
「待て、なんの話だ? 昨日の一件とは?」
眉根を寄せた王子へ、エルネストは昨日の計画について意気揚々と語りはじめた。
やはり二人が先走った結果らしい。そうかもと思ったとおり、王子もレオも絡んでいない。エルネストとアーヴィン、それから椎葉の三人による独断行動だ。
「東の国出身らしき若い男に邪魔をされたと言ってきたんだよ。やたら腕が立ちそうな男だとも言ってた。なあ、そんな人間が王都にどれくらいいると思う?」
まあ、そうそういないだろう。
俺はユキムラ以外に東の国出身の人間を見たことがない。俺と椎葉は東の国の人間のように見えるかもしれないが、実際は日本から来た超越者だし。
恐らくだが、この国内には片手で足りるほどしかいないんじゃないかと思う。
「礼人くん、なんで?」
「どういうことか説明してもらえますよね?」
その場にいる全員の注目を浴びている。
「……もちろん。俺もそのことを話したかったので、ちょうどよかったです」
俺がそう言うと、エルネストもアーヴィンも意外そうな顔をした。
別に窮地でもなんでもない。カナハ嬢を助けたときからこうなるかもしれないとは思っていた。




