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23.王女の憧憬、あるいは王妃の誘い -3-

 そもそも今は戦争をしているような場合ではない。ひたすら国を強くせねばならない時期だ。


 王子よりも王女のほうが為政者としての素質があるのは間違いない。あとはどのようにしてそれを周囲に認めさせるかだが……。


「あっ」


 不意に、王女の体がぐらりと傾いだ。


 女官が泡を食ったような様子で、王女の子どもじみた小さな体を抱き支える。


 あの夜会のときと同じだ。今回は興奮しすぎたのがよくなかったのだろう。


「殿下、そろそろ中奥に戻られては」

「でも、ジルはもう少しお話していたい……」


 王女がいやいやと頭を振った。


「駄目だ、帰りなさい。また寝込んでは、辛くなるのはそなたなのだぞ。アヤト、ジルを中奥に」


 王は王女にはちょっと怖い声音を作って、俺にはいつもどおりの口調言った。


 そちらに頷いて見せ、女官とともに王女を支えながら執務室を出ようとする。


()()()()


 はっと振り返った。エルクーン国王は、やけにまじめくさった顔で俺を見ていた。





 王女付きの女官はみんな優秀だった。やや顔色を悪くした王女が戻ってくると、医者を呼びに行く者、王女のドレスを楽な服装に着替えさせる者、少しでも休めるように寝台を整える者に分かれ、きびきびと働き始めた。


 その様子を見ている限り、男手はまったく必要なさそうだ。むしろ王女の私室にいつまでも男が残っていては外聞が悪い。


 早々に立ち去ろうとすると、女官が一人やってきて声を低くして囁いた。


「騎士様、殿下がお呼びです」

「……しかし」


 すでに寝巻なりなんなりに着替えたのではないのか。


「お呼びです」

「はい」


 二度も言われては、従う他ない。隣室でベッドに横たわっている王女に近づく。もちろん部屋の扉は開けたままだ。


「王女殿下、お呼びと聞きました」


 王女は女官の手によって着替えさせられており、寝間着姿でベッドに横たわっていた。


 まぶたに覆われていた目が開いて黄色い竜眼がこちらを見上げくる。


「この間も、今日も、こんなところばかりお見せして、ごめんなさい」

「いえ」


 とんでもない。ただ急に倒れられると驚くので、できれば今日のように興奮するのはやめてほしいと思っているだけだ。


 王女の小さな唇が、ぽそぽそと動く。


「あのね。ジルのことを嫌いにならないでね。ジルは、アヤトのことが──」


 最後のほうは、ほとんど声になっていなかった。普通の人間であれば聞こえなかったはずだ。


 ただ、俺には、あいにくと聞こえてしまった。唇がはっきりと「好き」の形に動いたのも、見てしまった。


 急に血の気が引いて、全身が凍りつくような心地がした。


 完全に動きの止まった俺を見てなんと思ったのか、それとも俺には聞こえていないと思っているのか、王女は寝返りを打って反対側を向いた。


 その拍子に髪の毛の隙間から耳がのぞいた。顔色は驚くほど白いのに、ちらりと見えた耳のふちだけが赤い。


「……ううん、なんでもないわ。おやすみなさい」


 俺の返答や反応を求めているわけではないらしい。


 おやすみなさい、と言われたのをいいことに、俺は逃げるようにして王女の部屋を出た。


 ……なんだ、今のは。好きってなんだ。


 幽霊でも見たような気分だった。脈が驚くほど速い。


 足早に廊下に出ると、さっきの女官が追いかけてきた。


「殿下は紫色のフリージアがお好きです」

「は」


 一瞬本気で意味がわからなかった。首を傾げると、女官が眉根を寄せて睨み上げてきた。察しが悪い、いちいち口に出させるなと言わんばかりの顔だった。


「ですから、お見舞いの花を贈られるのでしたら、紫のフリージアになさってください」


 ふたたび激しく動揺したが、すっかり板についた無表情のおかげで表面化はしていなかったと思う。


「見舞いの花を贈るなら~」と仮定の形をとってはいるが、「貴重な情報を教えたのだから、やることはわかっているだろうな?」と言わんばかりの圧力を女官から感じた。


「わかりました」なんて言ったら、言質をとられるようなものだ。


 結局、頷いているのか首を傾げているのかわからない程度に顎を引いて、俺は女官の前からも逃げだした。


 ……これは、つまり、そういうことだ。


 王女は俺に異性としての好意を抱いているのだ。いくら俺がそうしたことに疎くとも、本人と本人を一番そばで見守っている女官にここまで言われれば、もう勘違いのしようがない。


 さっきの王の「頼んだぞ」発言も、「中奥まで王女を頼む」という意味ではないと思う。王は王女の気持ちをすでに知っていたのだ。


 急に、外堀が埋められているような、心もとない気になった。


 か弱い王女には同情する。カルカーン王子などよりもよっぽど次の王に相応しいし、王位を継ぐのは彼女であるべきだとも思う。


 だけど、王女を異性として見られるかというと話はまったく別だ。


 彼女が悪いわけじゃない。


 俺の問題だ。


 どうしたって俺の中心にはカナハ・ローレン公爵令嬢がいる。ハンカチを渡してくれたときの、淡く微笑んだ彼女の顔がいつだって思い浮かぶのだ。他の女性を留め置く余地があるわけない。


 色恋沙汰にうつつをぬかしている場合でもない。


 俺は、早く街に下りて写本師を探したいのだ。できれば早々に見つけ、天雎祭の計画を頓挫させたい。でなければ彼女がどんな目に遭うか。


 ふと足が止まりかけた。


 ……待て。俺はなんで躊躇しているんだ? 向こうが俺を担ぎ上げたいと言うなら、乗ってやればいいじゃないか。


 王女だって、好いた相手が用意したものであれば、得体の知れない血らしいものだって飲んでくれるかもしれない。別に俺の血と明かさなくても、滋養にいいものだと言い張れば……いや、これはさすがに無理があるか。


 いずれにせよ、見舞いの花くらいは用意しておいても損はない。写本師を探すついでに紫のフリージアも探してみればいいのだ。


 などと考えながら歩いていたところで、また別の女官に呼び止められた。


「騎士アヤト、ルナルーデ王妃殿下がお呼びです」


 見慣れない顔だと思ったが、今度は王妃付きの女官らしい。


「妃殿下が……?」


 なんだ、今日は。厄日なのか?


「行き違いにならずに済んでよかった。さあ、早くこちらへ」


 ずっと体調を崩していたという王妃からの呼び出し。それもこのタイミングで。


 絶対に王女の話だ。


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