8.不自由な選択 -1-
ジルムーン王女を支えながら、この子が鍵だと思った。
「ご面倒をかけてごめんなさい」
王女が弱々しい声で囁いたので、ゆるゆると頭を振った。
「何ほどのこともありません。これもお役目ですから」
「……ありがとう」
王女は青白い顔に消え入りそうな微笑みを浮かべた。
王女の控室には御典医と女官が数名詰めていた。
御典医の顔には見覚えがあった。以前北の宮にいたとき俺も世話になった老医師だ。
「こう言ってはなんですが、殿下にはよくあることです。気分を落ち着けるお薬──これもいつもと同じものですが、処方しておきました。陛下と妃殿下にはそのようにお伝えください」
診察を終えると、老医師はそのように説明してくれた。
「精神的なご負担が増えると、以前体調を崩されたときのことを思い出し、今回のようにお倒れになるのですよ」
なるほど。要するに、フラッシュバックとかいうやつだ。病がちな体質が改善するなりして本人が自信を持てないかぎり一生ついてまわる問題だろう。
「おかわいそうなことです」
老医師は気の毒そうにしながら去っていった。
その背を眺めながら考える。
もしジルムーン王女を治す魔法のような薬があったなら、どうなるだろう?
王女が次の王になれば、カルカーン王子の占いの重要度は極端に下がる。あるいは、一度潰えた婚約取り消しの路線に戻すことも可能かもしれないと思う。
神様の血は、ただの人間だった俺を竜の系譜に引きずり込んだ。結果、俺はすべてをすっ飛ばしていきなり神様直下の眷属と同じ格を得た。
では、俺は?
俺が竜人に自分の血を与えたらどうなる?
……俺の血は、その魔法の薬たりうるのだろうか。
翌日、東の宮の執務室へ向かうと完全なる無人だった。昨日の夜会でアルコールが入っていたようなので、王子も椎葉もまだ寝ているんだろう。
暇つぶしに書類の整理を始め、小一時間が経ったところでようやくレオが現れた。
「お前、ほんっとぶれないなぁ……」
ぼんやりした口調のレオに茶を淹れてやる。
「昨日も適当に切り上げてこっちに来るかと思ってたけど、しっかり陛下の小間使いやってるし。あ、そうだ。昨日サクラ様が王立学園に行きたいって言い出してさ。その流れで面白いことになった」
「……面白いこと?」
ろくでもないこと、の間違いじゃないのか。椎葉が学園に行きたいと言い出したから、王女は夜会で倒れるはめになったんだぞ。
などと思いつつ、首を傾げる。
「お前、聞いたことある? お前とサクラ様の世界じゃ、学園の卒業パーティーで婚約破棄するげーむや物語が流行ってるらしいけど」
婚約破棄されるゲーム? 物語?
「なんですか、それ」
唐突すぎる。
レオもよくわからないというその内容を整理すると、どうもこういうことだった。
ごくごく平凡に暮らしてきた一人の女の子がいる。これがゲームなり物語なりの主人公だ。ある日、自分が貴族の落胤だったことが判明し、突然貴族の一員になることが決まる。貴族令嬢として相応しい教育を受けるため、貴族の子弟が集まる学園に入学する。
この出だしはものによって多種多様で、貴族でない場合もある。バリエーションがいろいろあるらしい。
主人公はその学園で数多の美男子と出会い、そのいずれかと結ばれるため、努力して障害を乗り越える。
障害というのは、美男子の婚約者や妹など対象によって様々だが、いわゆるライバル──お邪魔虫キャラのことのようだ。
そして卒業パーティーの夜、罠にかけようとしてくるライバルキャラを逆に嵌め、断罪する。相手は国外追放や修道院行き、ひどくなると死刑なんてものもあるらしい。
一方の主人公は、相手の美男子と結ばれハッピーエンドに至る。
逆張りでこのライバルキャラが主人公のパターンもあるらしいが、ようするに恋愛シミュレーションゲームやそれを題材にしたマンガ、小説のことだと想像する。
「サクラ様はそういうげーむが好きで、すまほのあぷりでよくやってたらしいけど、お前は?」
「いえ、俺は……」
やったことがあるのは、FPSとかTPSのアクションゲームがほとんどだった。
「でも、なんとなくわかりました。ローレン公爵令嬢との婚約破棄を、その乙女ゲームのシナリオになぞらえようと、そういうことですよね」
俺が要約するとほとんど同時に扉がばたんと開いた。
「そういうことだ。察しがよくて助かる」
王子と椎葉がようやく起きてきたのだった。
「昨日、エルネストくん、アーヴィンくんと話しててね、王立学園の話になったんだ。その学校のこと、聞けば聞くほど私が前にやってたスマホのゲームにそっくりで驚いちゃった。ほら、去年ちょっと言ってたでしょ?」
去年の記憶を掘り起こす。
そういえば、そのゲームのスクリーンショットを王子に見せびらかしていたせいで、スマホ騒動が勃発したんだった。モバイルバッテリーを持ってないかとかなんとか、本当にくだらない騒ぎだった。
大昔の出来事のように思うが、あれからまだ一年も経っていない。
淹れたばかりの茶を渡して、話の続きを促す。
「私、まさかこんな形で高校を卒業できなくなるとも思ってなかったから、こっちの世界でもずっと学校に行きたかったの。ちゃんと卒業できるならすごく嬉しいもん。それでカーンが婚約破棄するためのお手伝いができるなら、一石二鳥だなって思って」
「サクラ……!」
カルカーン王子が感極まったように椎葉を抱き締めた。
今日も仲がいいようでなによりだが、婚約破棄の話を続けてほしい。こほんと咳払いをして、桃色の空気を漂わせ始めた二人を現実に引き戻した。




