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67.瞋恚の炎 -3-

「……それがお前の新しい名か。いいだろう、その名と命、預かってやる」


 王子が能面のようだった無表情を崩し、愉快そうに唇の端をつり上げた。


 先祖代々受け継いできた佐倉の姓を捨て、新たに別の姓を名乗る──これが、俺の用意した手土産で、王子に示す最初の恭順だった。


 あやまたず満足してくれたようで、なによりだった。


 新しい姓は、別になんだってよかった。王都の孤児たちと同じ姓を名乗ったことに、たいして意味があるわけじゃない。もとの世界へのよすがを断ち切り、過去と決別するためにちょうどいいかと思っただけだ。


 ちらりと椎葉を見やり、また目を伏せる。


 ()()なんて、存在しない。もしそんな馬鹿らしいものが本当にあるのだとしたら、すべてぶち壊してやる。


「……御身の血を賜れませ」


 ことさら深く頭を垂れて、その血を乞う。


 王子は笑みを浮かべたまま、手首に深い傷を作った。


 他の従騎士に対しては指を切って血を与えていたので、来場者がざわついた。


 王子の手首から溢れる血がぼたぼたとしたたり落ち、盃に溜まっていく。


 血が並々と入ったその盃を手渡されると、躊躇なくひと思いに(あお)った。途端に鉄っぽい血の味が口の中に広がり、非常に不愉快な気持ちになる。


 だが、一切顔には出さない。


 今日から俺は王子の騎士だ。王子が殺せと言えば、喜んでそうしよう。靴を舐めろと言われれば、必ずそうしてやる。


 それが表向きの恭順であることは誰も知らなくていい。俺だけが知っていればいいことだ。


 満足げに笑う王子を見上げ、ひっそりとそう思った。




 儀式が終わると、新しく騎士になった他の四人と共に詰所の医務室に移った。竜人の血を体内に取り込むと普通はそれなりの影響が出るためだ。熱っぽくなったり、息が浅くなったり、節々が痛くなったり、熱病に似た症状らしい。


 しんどそうな四人を尻目にベンチに腰掛ける。


「……いきなり手首をバッサリ行かれたな。驚いた」


 机に突っ伏していたひとりが呟いた。


「期待されてるんだろ」


 なんと言えばいいのかわからずだんまりを決め込んでいると、医務室の扉が開いた。


 そのドアの影からレオが顔を出す。


「あー、いたいた。どうよ、気分は?」


 まっすぐに俺のところへ歩いてきて、そんなことを言う。


「……気だるい感じがしますけど、悪くはないです。世界が変わったみたいだ」


 全然そんな感じはしないんだが、それらしいことを適当に言ってみた。世界が変わっただなんて危ない薬物をキメた人のようでおかしい。だが、その効能を鑑みると危険薬物とそう変わりはないと思う。


「効いてるみたいだな。じゃ、殿下が呼んでるからついてきて」


 なんの用事か、王子が俺を呼んでいるらしい。


「いやー、でも驚いたよ。お前は陛下から血を頂くんだとばっかり思ってたからさ。しかも名前まで変えて」


 東の宮に入った途端、レオがにやにや笑いながら言った。


 ものすごく腹の立つ顔だったが無言で耐えていると、


「どんな心境の変化があったわけ? それとも、()()()()()()()()()()でも聞いちゃった?」


 ちょっとよくわからないことを言う。


 聞いてはいけないこととはなんだ。そんなものは知らない。


「あれ、違うのか。竜人の血を飲む、その意味を知らなかったわけじゃないだろ?」

「それを知らぬほど馬鹿ではないだろう。姓を変えてきた辺り、小賢しくなにか企んでいたかもしれん。まぁ、どちらでもいい。血が体内に入りさえすればこちらのものだ」


 ソファーで偉そうに座っていた王子が立ち上がって、こっちへやってきた。


「ここに呼んだのは、お前を私の護衛兼側近に任ずるためだ」


 護衛兼側近。つまりエルクーン国王にとってのユキムラ、王子にとってのレオと同じ立場になるということだ。騎士になった初日に任せられるような仕事ではない。


「……身に余る大役のように思いますが」


 意外なことだったので思わず首を傾げる。


 とはいえ、完全に予想外の展開になったわけでもない。


 ゆくゆくはそうした立場を目指すべきだとは思っていた。むしろ手間が省けてよかったのかもしれない。


「お前に許された返事は一つだけだ。意味はわかるな?」


 つまり、はいかイエスで答えろってやつね。


「……謹んで拝命します」

「大出世で羨ましいね。ま、俺の方が先輩なんだからちゃんと敬えよ?」


 レオに対しても素直に頭を下げておく。


 当然敬うようにはする。ユキムラの従騎士だった頃とは仕事が様変わりしそうだし、しっかり教えてくれなきゃ困るのはこっちだ。仕事の先輩としては、きっちり顔を立ててやるつもりだ。


 俺の内心をよそに、王子は突然哄笑を上げた。


「ご機嫌がよろしいようで、殿下」

「ああ、無論いいさ。外法を使うまでもなかったのだから」


 いまだにくつくつと笑いながら、俺の真正面に立つ。


「おまけに、サクラと同じ名を自分から捨てたのだぞ。いくら配下にするとはいえ、名が残ることだけは業腹だったからな。可笑しくてたまらん」


 恐らく、その外法とやらがさっきの「聞いちゃいけないこと」に関係するのだと思う。一体なにを企んでいたのか知らないが、神奈備事件はろくでもない計画だったので、これも多分似たようなものだろう。


「どうだ、レオ。お前、一度こいつと本気で仕合ってみないか?」

「嫌ですよ、従騎士の身で異形に勝つような化け物とやるの」


 レオが心底嫌そうな顔をしたので、王子はますます高らかに笑い声を上げた。


 一方の俺は、この男がここまで上機嫌にしているところを初めて見たので、実はけっこう驚いていた。口数の多いタイプだとも思っていなかった。意外とよく喋る人間らしい。


「ともかく超越者は押さえた。これで陛下もお考えを改められるだろう。次の王になるのは私だ。ジルを後継者にするなど、一時だけの世迷言に過ぎぬ」

「では、あとは公爵家ですね」


 公爵家。当然、ローレン公爵家のことだろう。あの家に対してもろくでもない計画を企んでいるようだ。


 気になるところではあるが、外の来訪者のことも気になった。この部屋に向かって廊下を歩いてきている者がいる。


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