66.瞋恚の炎 -2-
翌日は春めいた陽気で朝から晴れていた。花の月に入ったとはいえ、この季節にここまで晴れるのは珍しいことらしい。叙任式日和だと同期たちは喜んでいる。
制服におかしいところがないか鏡で確認しながら、以前とはまるで別人のようだと思った。
この世界に初めて来たときより背が伸びた。髪も少し伸びた。
そしてなにより、表情がやさぐれた。やさぐれたという表現は語弊があるかもしれない。ようするに荒んだのだ。こんな顔の高校生は滅多にいないだろう。
初めて会った異世界人は、この服を着ていた。あのときは、まさか自分が同じ騎士になるとは思ってもみなかった。
黒っぽいフロックコートに同じく黒のタイ、軍靴は膝の下まである。第一次世界大戦前のヨーロッパの軍服みたいだ。叙任式以降はこれに騎士の証が加わる。
最後に愛刀を剣帯に差して、身支度が終わった。
他の同期たちと一緒に控室を出る。
階上のホールからは、人が大勢集まっているとき独特の気配があった。
叙任式自体は貴族であれば誰でも見にくることができる。若手の騎士を見たいとやってくる貴族は、毎年ちらほらいるらしい。
この雰囲気からして、ちらほらどころの人数ではない気もするが……。
まあ、見にきた客が多かろうが少なかろうがやることは変わらない。
迎賓館の一番大きなホールに入るのは初めてのことだった。とにかく広くて天井が高い。ちらっと見上げた天井には一面絵が描かれている。
でかい竜と一人の女性の周りを小さな竜が取り巻いている絵だ。なんだか壮大な構図だなという感想しか持てず、すぐに正面へ視線を戻した。
俺たちの真正面は三段高くなっており、金の装飾の椅子が二脚並べられている。エルクーン国王とカルカーン王子が座る席だ。
その脇には銀の盃。あの盃に血を入れて下賜されることになっている。
騎士団や軍関係者、見物に来た貴族たちが囁きあう声が聞こえた。
「では、彼があの騎士ユキムラの……?」
「ユキムラ様と同じ東の国のご出身ですのね」
というご夫人方の声や、
「従騎士の身で異形を斬ったと聞いて、ぜひ地方にと進言したのだが、断られてしまったよ」
「いかにも、中央で腐らせておくには惜しい人材だ」
軍の偉いさんらしき人の声だ。
見世物になったようであまり気分のいいものではなく、聞こえていないふりに徹する。
それから数分が経ち、ようやくホールの扉が開いた。
「エルクーン・クラク・ネルウァ・クライシュヴァルツ国王陛下、カルカーン・クラク・エレシス・クライシュヴァルツ第一王子殿下、並びに竜の巫女姫サクラ・シーバ様がお見えになります」
先触れがあり、出席者は皆一様に膝を折って頭を垂れた。
俺たち従騎士も左右に分かれて道を開け、片膝をついて右の拳を床に立てる。これが騎士の主君に対する最上の敬礼だ。
俺たちのすぐ前を行く者が五名。先頭はエルクーン国王、その次がカルカーン王子だと思う。続いて竜の巫女でもある椎葉と二名の護衛騎士──ユキムラとレオだ。
ここで椎葉に会うことになるとは思っていなかったが、そっちは別にいい。お披露目がすでに済んでいる以上、こうした公式行事に参加することもあるだろうと思っていたからだ。
問題は、王子だった。あいつの顔を見て、自分が冷静でいられる自信があまりない。
「一同、面を上げよ。直接の拝謁を許す」
その後もう一度面を上げよという言葉があり、ようやくゆっくりと顔を上げた。それでもいきなり顔を見ては駄目で、せいぜい足元か正面の段差の辺りを見る程度だ。
立会いのためにやってきたアンゲラ教国大使の紹介がまず初めにあった。けっこうなご高齢で、話が長い。その人の二〇分ほどもある挨拶を大人しく聞き、それでやっと俺たちの儀式が始まった。
「新しく騎士となる五名。己が主とする御方にその名を捧げよ」
先触れを出しにきた男が進行を執り行う。
最初に一番年長の従騎士が立ち上がり、カルカーン王子の元へ進んでいく。今回は俺が一番最後だ。年齢順なのか、それとも騎士昇格が決まった順か、どちらかは知らない。いずれにせよ、俺が一番最後なことに変わりはない。
ひとりひとり順番に、従騎士である間一度も名乗ることを許されなかった名を告げる。その都度、王子が指に新しい傷を作って血を与えた。
いよいよ俺の番が回ってきた。
俺が王子の前で跪くと、王と王子の強張っていた空気がわずかに弛緩した。たぶん俺が王子を主に選んだのが、二人とも意外だったのだと思う。王の血を乞うと思われていたんだろう。
「名乗ることをお許しください」
跪いたまま、決まった文句を述べる。
「……許す」
王子からの返答があり、俺はこの日初めて相手の顔を直接見た。
王子は金色の目を少し細め、感情の窺えない表情で俺をまっすぐに見下ろしていた。
その竜眼をこうして真正面から見ても、もうなんともなかった。体が震えることも、硬直することもない。
ただただ、憎悪が静かに頭をもたげるだけだ。
俺は自分で思っていたよりもずっと冷静だった。王子本人を前にすると全身の毛が逆立つくらいの嫌悪感があるかと思っていたが、感情はびっくりするほど真っ平らだった。
まるで、感情にまつわるコードが全部綺麗に焼き切れたようだ。
俺も王子と同じかそれ以上の無表情で見つめ返し、
「アヤト・フォーカスライト、この名と命を我が主に捧げます」
ずっと考えていた、騎士としての新しい名──王都の孤児たちと同じ姓を口にした。




