64.去りにし者 -4-
歓迎されるはずがないことは覚悟の上だ。ラナンの家族と直接話せるだなんて、そんな幸せなことも考えていない。
ユキムラからも「恐らく執事が最初に気づくだろう。そいつに遺品を渡せ。それで向こうがお前と話したいような素振りを見せたら、挨拶しろ。そうでないならすぐに帰ってこい」という助言を貰っていた。
ユキムラの予想に違わず、俺に一番最初に気がついたのはいかにも執事といった風貌の老人だった。
老人は俺を見ると露骨に顔を顰めた。
騎士団から与えられている上着とその下から覗く軍靴で、俺が誰なのかすぐにわかったのだと思う。来訪する旨は手紙で知らせておいたしな。
執事らしき老人はつかつかと早足でやってくると、
「お引き取りください」
開口一番にそう言いのけた。俺が言うのもなんだが、驚くほど抑揚に欠けた平坦な口調だった。
やはり歓迎はされていないらしい。
主家の人間が気づく前に俺を帰そうとしているのだろう。予想の範疇だったので、改めてショックを受けたりはしない。
俺は無言で頭を下げると、相手に遺品の入った箱と花束を差し出した。
「これは、坊ちゃんの……? わざわざ足をお運びくださらずとも、お送りいただければよかったのに」
言外に余計なことだと言っている。使用人でも家族でも誰でもいいから、せめて直接渡したいと思ったのだが、相手にするとそれすら迷惑だったようだ。
そういうことも当然あると思っていた。
帰ろう。執事がこう言うのだから従っておくべきだ。
そっと目を伏せて踵を返す。
「──待て。そいつが、例の従騎士だな?」
後ろのほうで鋭い声が上がった。ちょうど一歩目を踏み出しかけたところだった。
振り返ると、きつい顔立ちの男がこちらを睥睨していた。年齢は二十半ばかやや下くらい、恐らく当主代理を務めているラナンのお兄さんだと思う。ラナンやカナハ嬢と同じ栗色の髪だが、きょうだいの中で一番人当たりがきつそうで、また神経質そうにも見えた。
その人の後ろにはラナンのお姉さん──カナハ嬢の姿もある。同じく喪服姿でヴェールのついたトーク帽を被っており、はっきりと表情はわからない。
口を噤んだまま、俺は公爵家当主と相対するに相応しいお辞儀をした。
「……よくものこのこと顔を出せたものだ」
当主代理が吐き捨てるように言った。感情を押し殺しすぎたせいか、その声は細かく震えていた。
返す言葉もなかった。
「どうしてお前が生きているのに、ラナンは死んだッ? 直答を許す、答えよ」
頭の上に、怒りを湛えた声が降ってくる。
直接話すことを許されたので、下げたままだった頭をぎこちなく持ち上げた。
そうして当主代理と正面から目を合わせると、問いに対する答えを告げる。
「……ひとえに、俺の無力によるものです」
口にした瞬間、当主代理の顔が壮絶に歪んだ。
右手が大きく振りかぶられる。
殴ろうとしているのだとすぐにわかった。避けるのも簡単だった。だって、完全に軌道が見えているのだ。避けられないはずがない。
だけど、避けなかった。
自分が受けるべき痛みだと思った。
頬に衝撃があり、半歩ほどたたらを踏む。
カナハ嬢が悲鳴を上げた。
「お兄様、なんということを……!」
こちらに駆け寄ろうとするが、他でもない当主代理が彼女の腕を掴んで引き留めた。
「従騎士、お前が死ねばよかったのだ! 平民のお前と比べれば、あれのほうがまだましだ。運よく騎士になれば、あれにも使い出があったというのに。お前が、あれの代わりに死ねばよかったのだ!」
そうして痛烈に俺を罵る声音は涙に濡れていて、まだ年若い弟を失った兄の悼みがありありと表れていた。
表面上の言いようは褒められたものではないし、貴族らしい選民思想もあけすけだ。聞いていて気分のいいものではない。
だが、彼は彼なりに年の離れた弟を愛していたのだろうと思う。投げつけられる罵声がこれだけ悲嘆に暮れているのだ。まったくの初対面だが、そのくらいは察せられる。
俺はただ項垂れることしかできなかった。
「お兄様……。お言葉ですが、彼を責めるのはお門違いではありませんか。騎士ユキムラが仰っていたでしょう。私は彼に責任があるとは思えません」
カナハ嬢が気遣わしげな口調で言う。
一瞬、俺の妄想が具現化したのかと思った。そのくらい俺に甘い言葉で、もしかして彼女は俺を憎んでいないのでは、というおこがましい考えが一瞬よぎった。
「お前はこの従騎士を庇うのか? 殿下との婚姻が延期になったのに、お前に他人を庇う余裕があるのか?」
当主代理が自身の妹を振り返り、きつい声で問い詰めた。
「そ、れは……」
カナハ嬢が息を呑む。
彼女の表情はヴェールに阻まれて見えないが、きゅっと唇を噛んだような気配があった。
「そうであろうが! ラナンが生きていれば、お前は今ごろ式の準備を進めていたのだぞ。だいたいそうやって、日頃から小賢しいことばかり言うから殿下に厭われるのだ」
「それは、申し訳もございません……」
当主代理の怒声を浴び、カナハ嬢はしゅんとしょげ返って俯いてしまった。
「お前には殿下に好かれるための努力が足りん。お前も公爵家の人間なら、殿下好みの女を演じるくらいのことはしろ。ぽっと出の巫女姫に奪われるなど、情けないことだと思わんのか!」
「それは……」
当主代理は完全に黙ってしまった妹を見て溜飲を下げたのか、さすがに言いすぎたと思ったのか、それとも俺という他人がいることを思い出したのか……答えは三番目のような気もするが、
「……ええい、お前はいつまでそこに突っ立っているのだ。その顔、二度と見たくない。去ね! さっさと消えろ!」
俺へ向けて、口の端から泡を飛ばさんばかりの勢いで叫んだ。
カナハ嬢のことは心配だが、こうまで言われてこれ以上留まるわけにもいかない。もともと長居するつもりもなかった。
俺はラナンの家族へ向かってもう一度頭を下げると足早に墓地を後にした。
歓迎されるだなんて、能天気なことを思っていたわけじゃない。わかっていたことだ。だから罵られたくらいで傷ついたりしない。大丈夫だ。
ラナンの家族には、彼の死を悼むと同時に俺を罵る権利がある。お前もラナンと同じ目に遭えばよかったのにと言うことも、代わりにお前が死ねばよかったのにと言うことも、彼らの権利だ。
……逆に、ラナンを助けられなかった俺には彼の死を悼む資格なんてない。
わかってる。
大丈夫、自分がするべきこともちゃんとわかってる。




