62.去りにし者 -2-
俺が今いるのは、北の宮でも国王やその家族が暮らしている「中奥」と呼ばれる場所だった。普段ユキムラと一緒に出入りしているのは、北の宮でも一番南側に位置する「表」の建物なので、ここに来るのは正真正銘初めてのことだ。
その中奥で俺はエルクーン国王と久しぶりの対面を果たしていた。年の暮れ、国王が王子と親子喧嘩をかましたとき以来なので、けっこう久しぶりだ。
「話には聞いていたが、本当にここまで回復しているとは。……いや、ともかくそなただけでも無事に戻ってきてくれてよかった」
第一声で国王はそのように言った。
俺だけでも、というその言い方にラナンの死を否応なく実感させられる。この一週間ずっと眠っていたから、あれは本当は夢だったんじゃないかって期待している自分がどこかにいたのだと思う。
「ラナンは今どこに……?」
「彼の遺体はこの宮のしかるべき場所に安置されている。後でユキムラに案内してもらうといい」
遺体。そうだよな、もう亡くなってるんだから、遺体なんだよな……。
「アヤト、辛いことだとは思うが、改めて確認しておきたい。あの日、そなたとラナンは神奈備を事故によりユキムラとまったく違う場所に出た。そして、そこで異形と遭遇し倒した。その際にラナンは亡くなった。そうだな?」
「事故……?」
あれが事故なはずがない。あれはカルカーン王子が故意に起こした事件だ。
「俺は神奈備の誤作動にカルカーン王子が関わっていると思っています」
「カーンが?」
王が目を丸くした。予想外のことを聞いた、とばかりの反応だ。
「あの夜、神奈備で出迎えた神祇省の神官のうちの一人が王子でした。仮面の向こうに見えた目が竜眼だったのを確かに覚えています」
「ふむ……」
王の相槌は、生返事というわけではないが、半信半疑といったところだ。
「ユキムラ、そなたは見たか」
「いえ、私は気がつきませんでした。二人とも既定の装束を着ていましたし、特に不審な点はなかったかと」
ユキムラも頭を振る。
確かに、にわかには信じられないことかもしれない。そもそも目撃証言は王子が仕組んだことだと断定する証拠にはなりえない。
せめて、ユキムラがあの神官を不審に思ってくれていたら、話は違ったかもしれない。しかし王子があの場にいた証拠もなく、まして動機もわからない今の状態では……。
見通しが甘すぎた。王子の罪を訴えでればそれで相応の罰を与えられると思っていた。
「こちらでも神祇省の当番表は確認しておくが……」
その口ぶりから、王が困惑しているのがよくわかった。俺がいきなりこんなことを言い出すとは、思ってもみなかったのだろう。
きっと、当番表なんてたいした証拠になりはしない。少なくとも俺が王子なら当番表に証拠を残すようなヘマはしない。
どうしようもなくもどかしかった。俺は俺の見たことを信じている。間違いなく王子のせいでラナンが死んだのだと思っている。だけどそれを信じてもらう術が、今ここにはない。いっそ腹立たしくさえあった。
黙り込んだ俺をよそに、王は少し明るい調子を取り繕って話を続けた。
「そなたの持ち物の中に、異形討滅の証拠があった。この功績によりそなた、そしてラナンを騎士に任じようと思っている」
「俺たちを……?」
ラナンについては、死んで階級特進というやつか。死者への餞に騎士の位などくれてやろうって? 馬鹿馬鹿しい。誰がそんなものを喜ぶんだ。
こんなひどい気持ちで騎士になるとは思ってもみなかった。
「……謹んで、お受けいたします」
しかし、内心とは裏腹に感情を押し殺して拝領する。
王がほっと安堵したような気配があり、俺はますます心が荒んだ。それでこちらの機嫌を取ったつもりか、と思ってしまう自分がいる。
「ラナン・ローレン……あと数年もすれば頼もしい騎士になったであろうに、惜しい若者を亡くした。これでローレン公爵家はしばし喪に服すことになろう。この分では、カルカーンの婚姻も延期に──」
王が頭痛を耐えるように目頭を揉みながら、そんなことを呟く。
ああ、やっぱりラナンはローレン公爵家の人間で、王子の婚約者はカナハ嬢だったんだ。そういう得心が、王子の婚姻が延期になるという事実に全部吹っ飛ばされた。
王も王で口にしてから気がついたらしく、大きく目を見開いた。
「……まさか。いや、まさか、そんな馬鹿なことをするはずが」
口元を覆った王を眺めながら、俺は先ほどまでざわついていた気持ちが冷たく凪いでいくのを感じた。
「普通、服喪の期間はどのくらいになるのですか」
尋ねる自分の声が、奇妙なほど抑揚を欠いている。
「短くとも、半年……長い場合は、一年」
喪に服している間、当然その家では祝い事が避けられる。半年、あるいは一年の間、祝い事──つまり婚姻も行われないということだ。
そのために、ラナンを死なせたのか。
ぐつぐつと腸が煮え始める。
それほどカナハ嬢との婚姻を厭っていたのか。それほどまでに椎葉と添い遂げたいのか。
「馬鹿な。考えすぎだ。あれがまさかそのような愚かな真似をするはずが……」
王はなおも独り言を呟くと、勢いよく席を立って部屋の中をぐるぐると歩き始めた。
その様子を俺はまったくの無表情で眺めていた。
ああ、駄目だ。
この人も、駄目だ。話にならない。
つまり、この人はどこまで行っても人の親なのだ。冷酷な支配者に徹しきることができない。口ではどんなことを言ったって、この人は肉親の情を断ち切ることができず、己の子を完全に見捨てることもまたできない。
喜べ、カルカーン王子。あんたの父親は、あんたを心底愛しているよ。誰から生まれようが、己の息子は息子として肉親の情をきちんと持っている。
こんなところに、いてられるか。
「……御前、失礼いたします。師匠、ラナンに会わせてください」
「あ、ああ」
ユキムラがちょっとたじろぎながらも頷いてくれたので、俺はこれ幸いと早々に王の私室を辞した。




