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59.氷の顎 -4-

(注)苦手な方は引き続き薄目でご覧下さい。

 異形がなにかに噛みつき、咀嚼する、そんな音が尚も続く。


「う、あっ」


 それが自分の声なのか、それともラナンの声なのか、もうよくわからなかった。


 混乱している。だが「置いて逃げろ」というラナンの指示に従うつもりは毛頭なかった。その意思だけははっきりしていた。


 刀を手にゆらりと立ち上がる。雄叫びはもう上げない。声を出したら、気づかれるから。


 気配を殺す。覆いかぶさったものに夢中で貪りつく化け物へ、後ろから忍び寄る。


 考えるな。


 集中しろ。ただ目の前の化け物を殺すためだけに。


 息すら止めて、振り下ろす一太刀に全身全霊を傾ける。


 異形の首目がけて刀を薙いだ。


 刃が、通った。


 異形の頭は思いのほかよく飛んだ。出来の悪いボールのようだった。


 月光を浴びて明後日のほうに転がりながら、徐々に塵と化しぼろぼろ崩れていく。同時に頭部を失った胴体のほうも同じように塵になった。


 ……倒した。


 こうなってしまえば、いっそあっけないほどだった。


「……そうだ、討滅の証」


 集めなければ。


 何度も取り落しそうになりながら、予備で持ってきていた試験管に塵を詰める。


 そこまで済んで、ようやくまともに物を考えられるようになった。


 いや、なにやってるんだ、俺。討滅の証とかそんなことを気にしている場合じゃない。


「ラナンッ」


 痛む腹を庇いながら、倒れたままの彼のもとへ駆け寄る。


 意識はまだあるか。息はしているか。確認のために跪くと、足元でばしゃりと音がした。見れば、流れた血で水たまりができていた。


 耳を寄せたラナンの乾いた唇から、ひゅーっひゅーっと空気の漏れるような音がしている。でも、生きてる。大丈夫だ。


「し、止血。止血しないと」


 布と、包帯と、あとはなにが必要だっけ。


 焦りで手が震えて、うまく物が掴めない。


「……い、いよ。じぶんのてあて、して」


 苦しそうな息の合間合間を縫うようにラナンが途切れがちに呟く。


「俺のはかすり傷だよ。お前のほうが重傷なんだから」


 ラナンの腹に布を押し当てる。


「ね、アヤト。さいご、におねがいが、あるんだけど……」

「最後ってなんだよ! 縁起でもないこと言うな!」


 押し当てた布が、一瞬で血に染まる。こんなんじゃ全然足りない。もっと用意しなきゃ駄目だ。


 慌てて追加の布を足そうとした左手が、ラナンによって押し留められた。


「あの、ね。ねえさんのこと、気にしてあげてほしい。まもって、なんて……ぜいたく言わない、から。ちょっとだけ、きにかけて、あげてほしいんだ」

「そんなの当たり前だろ! 改めて頼まれるようなことじゃない!」


 今更なに言ってるんだよ。ラナンに頼まれなくたって、彼女のことはずっと見てるよ。ずっと探してるし、ずっと考えてる!


 俺の剣幕に驚いたのか、ラナンはちょっと目を見開いてふふっと笑った。だが、その拍子に咳き込んでまた血を吐いた。


「なあ、それよりあんまり喋るなよ。また吐くだろ」

「ごめん、ね。ぼく、ずっときみ、……ざんこくなこ……」


 不自然なところで声が途切れた。


 俺の左手に触れていたラナンの腕が、脱力してぱたりと落ちる。


「ラナン。おい、冗談やめろよ。それ、趣味悪いぞ……」


 その氷のように冷たい手を握り、肩を揺さぶる。


「こんなところで寝たら、凍死するって」


 雪山で寝たら死ぬって有名な話だろう。


 それに寝てる場合じゃないぞ。起きて、王都に帰って、王子に今回のことを追求しなきゃいけない。


 だから、こんなところで寝てる場合じゃない。


 ……頼むから、目を開けてくれ。




 時折、意識が途切れそうになる。それでも歩みを止める気にはなれなくて、ラナンの体を担ぎ、ひたすらに雪原を進む。


 方向はこれで合っているはずだ。朝になる頃には最寄りの村につく。そうしたら、傷の手当てをして、少し休もう。とにかくそれまでは歩き続けなくちゃいけない。


 だけど、足に鉛が詰まっているかのように重い。歩いているというよりは、足を引きずっていると言うほうが正しそうだ。


 振り返ると、芋虫が這ったような俺の足跡と血の跡が点々と残っている。さっきからほとんど進んでないのがわかった。


 止まるな。歩け。もっと早く。


 そう思うのに、なんでだかとても眠い。そして寒い。それだけじゃなく、いろいろなところが限界だった。あまりにも体が重いので、ちょっとくらい休んでもいいんじゃないかなって気さえしてくる。


 足が止まる。一度止まってしまうと、後はもうへたり込むだけだ。


 ラナンを担いだまま、どさりと尻もちをついた。


「さむ……」


 独り言を呟いて、夜空を見上げる。満月と星が綺麗だった。寒くて空気が澄んでいるからだと思う。夜空だけじゃない。月と星の光できらきらと輝く雪原も、ため息が出るくらい美しい。


 異形との死闘なんて、まるでなかったかのようだ。


「あー」


 眠い。上瞼と下瞼がくっつきそうだ。座り込んだのは失敗だったかもしれない。このままじゃ本当に寝てしまいそうだ。だんだん凍死が現実味を帯びてきた気がする。


 ここで寝たらまずいって、わかりきってるんだけど……睡魔に抗えそうになかった。


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