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58.氷の顎 -3-

(注)58,59話とややグロテスクなシーンが続きます。苦手な方は薄目でご覧下さい。

 ぎりぎりで異形の腕を弾くと、ぎぃんと金属同士がぶつかったような音が辺りに響いた。


 異様に硬い。金属同士がぶつかったのと、さして変わらない衝撃があった。思わず武器を手放してしまいそうなほどだ。


 ユキムラのように胴体を一刀両断にできるとは思っていない。だが、腕くらいなら斬り飛ばせるつもりでいたので、身構えができていなかった。


 そのせいで自分の体勢が大きく崩れてしまった。


 異形はその長身からは想像もできない俊敏さで、逆の手を振りかぶってくる。


「ッ……!」


 咄嗟に刃の部分で受け止めるが、今度は完全に競り負けた。受けた体勢も悪かった。


 吹っ飛ばされ、地面に転がるように受け身を取る。


 一方の異形は近場にいるラナンに手っ取り早く標的を定めたようだ。


 非常にまずい。ラナンとの距離が開きすぎている。


「ラナン、逃げろ!!」


 叫びながら、異形に向かって駆ける。


「む、むり……。足が」


 ラナンが引きつった顔でこちらを見た。


 間に合え。間に合わせろ。じゃないとラナンが──


 俺の焦りをよそに、異形は驚くほど高く跳躍すると、ラナンを地面に引き倒した。


「うっ……!」


 ラナンがうめき声を上げた。


 異形は彼に覆いかぶさった。そうして、小さな体の上でもぞもぞと身じろぎした。


「やめろおぉぉ!!」


 自分の声が、夜の雪原に響いた。


 駆け寄ったその勢いで、異形の胴体に刃を突き立てる。今度はちゃんと手応えがあった。


 だが、異形はぴくりとも動かなかった。ラナンの上に伸し掛かったままだ。


 異形の下、わずかに覗くラナンの足がばたついた。同時に甘いような血の匂いがふわりと漂う。


「やめろ! やめろよ!! そいつから離れろ!!」


 叫びながら異形に突き刺さった刀を引き抜く。全身の体重を使って蹴り飛ばす。


 そこまでして、ようやく異形はラナンから離れた。


 ラナンのコートを汚している血が、異形のものなのかそれとも彼本人のものなのか、にわかには判断できなかった。


「あ、あ……」


 ラナンは呆然と目を見開き、声にならない声を漏らした。月の光に照らされる顔が、驚くほど青白い。幽霊のほうがきっともっと健康そうな顔色をしているだろう。


 なにか勇気づけるような声をかけねば。いや、それより無事を確認するのが先か。


 どうするべきか迷ったが、視界の片隅で異形が立ち上がったのが見え、ラナンの対応はひとまず先送りにした。


 あの程度では、異形は死なないらしい。


 ユキムラのように胴体を一刀両断にするか、頭を斬り飛ばすかしないと駄目なんだと思う。


 ずた袋よりなおぼろぼろの布切れの隙間から、ぼたぼたと血が滴った。


 あれは、異形の血だ。だから、ラナンのコートを汚した血は、きっと異形の傷から出たものだ。そのはずだ。


 頭を振って、嫌な予感を払拭させる。大丈夫だ。大丈夫。


 異形が衣服代わりに身に着けているぼろ布が、ゆらゆらと揺れる。あの布のせいで動きの先読みがしにくい。足元や腕が隠れているので、踏み込みのタイミングがわかりづらいのだ。おまけに速さは獣並みときている。


 異形の一挙手一投足を見逃さないよう、全神経を集中させる。


 動く。


 こちらも刃を閃かせ、応戦する。


 今度は斬るより防ぐほうに意識を固めていたので、無様に体勢を崩すことはなかった。競り合っては膂力で負けることもわかっている。すぐに異形の鋭い爪が迫ってくると見て、渾身の力で押し返し、後ずさって距離を取る。


 顔を上げた拍子に顎の先から血が滴り落ちた。避けたつもりだったが、異形の爪が頬を掠めていたらしい。


「うっ、げほ……ごほっ」


 不意にラナンが咳き込んだ。


 嫌な音だった。まるで腹かどこかに穴でも開いて血を吐いたような……そんな音だった。


 思わず振り返ると、うずくまったラナンが地面にどす黒いような赤いような、よくわからないものを吐き出していた。よくわからないもの、というか……よくわかりたくないもの、が正解か。


 あれは、血の塊だ。


「ラナン!」


 では、先程の異形との接触ですでにやられていたのだ。遠目ではあるが、あの吐いた量では致命傷のように見える。


「ッう、うしろ!」


 茫然としているとラナンが鋭く叫んだ。


 咄嗟に刀を構えたが遅かった。横っ腹に熱い衝撃が走り、耐えられずにふっ飛ばされる。今度はろくに受け身も取れなかった。


 雪の上をごろごろと転がり、岩だか廃屋だかに背中から突っ込む。肺から空気が抜けた。


 痛みで震える手で腹に触れると、ぬるりと生暖かいものがこびりついた。紛うことなく血だった。


 これはどのくらいの傷だろうか。致命傷か? 俺はあとどれくらい動いていられる?


 いや、自分のことよりラナンだ。早く止血をしないと、あれでは……。


 違う。駄目だ。考えるな。考えるより動け。さっきも、そうだ。考えるから失敗したんだ。


 雪面に刀を突き刺し、杖代わりに立ち上がる。


 異形は立ち上がった俺には興味もくれずに、転がったままのラナンに向けてゆらゆらと近づいていく。より弱っていそうな獲物から先に喰うことにしたらしい。


 あの傷では、ラナンはもう動けない。俺が行かなきゃ……。


「っにげて!」


 ラナンの怒声が辺りに響いた。


「……なに、言って」


 なにを、言ってるんだ。


「わかるだろ。……もう、むりって」


 わからない。わかるわけがない。


 ラナンの上に再び異形がのしかかった。


 次いで、ぐちゃぐちゃ、とぬかるみをかき混ぜるような湿った音……あるいは、口の中のものを咀嚼する音、がする。


「……っあのときの貸しを、いまかえして。ぼくの言うこと、きいて」


 それでも、ラナンは途切れ途切れに言葉を紡いだ。


 貸しって、なんだよ。最初のときの、あれか? 俺の手当してくれたときのことか?


 そんなもん、とうに返してるだろ。それともなんだ。いちいち言わなきゃいけなかったのか? この前の借りは返したぞって?


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