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57.氷の顎 -2-

 ……無理だ。


 ラナンを見捨てて、ここで大人しく待っているなんて、俺にはできない。


「行けば、お主も死ぬぞ」

「だからってあいつを見捨てることなんてできない!」


 できるはずがない。


 初めて俺を個人として認識してくれた人だ。


 ぼろ雑巾のようになって訓練所に放り込まれた俺を、ラナンが救ってくれた。折れかけていた心を初めに救ってくれたのはラナンだ。この世界で初めて人間らしい扱いをしてくれたのもラナンだ。


 彼がいなければ、俺はきっととっくにどこかで駄目になっていた。


 俺に誰かを好きになる心が残っていたのは、彼のおかげだ。


 恩人であり親友でもある人を、どうして見捨てることができるだろう。


 それに、今彼を助けに行けるのは俺だけだ。


 ユキムラとラナンがどれくらい離れているかもわからないのだ。


 俺が騎士団に戻って要請をしても、きっと無意味だ。揺らぎの対応を要請できるのは神祇省だけだからだ。ただの従騎士がピーチクと喚いても、騎士団の偉い人間は聞く耳すら持たないだろう。騎士団のトップが誰の父親かを考えれば、容易に想像がつく。


「……決意は固いのだな? 二人とも死ぬ可能性のほうが高いのだぞ」

「それでも、俺が行かなきゃラナンは確実に死ぬ。俺が行くことで少しでも助かる可能性があるなら、それに賭けたい」


 俺の返答を聞いて、神様は大きなため息をついた。


「我は、お主を気に入っているのだ。今死なせるのは惜しいと思うほどにはな」


 それは、ありがたいことだけど。でもやっぱり気持ちは変わらない。


「……よかろう。この界を人界へ繋げる。よいか、礼人。なにがあっても諦めるな。死ぬな。意地汚くとも生きよ。我は、今のお主であれば、あるいは異形討滅も可能かもしれんと思う。とにかく、心を折るな。生き延びる可能性を探り続けよ。よいな?」

「わかりました」


 神様の姿は見えないけれど、しっかりと前を見て頷く。


「我が行くまで、持ちこたえよ」

「はい」


 もう一度、頷く。


 同時に界の空気が震え、俺の正面から光が差した。その光は徐々に大きくなり、やがて眩しくて見ていられなくなって、目を瞑った。




 氷の粒混じりの冷たい風が頬を打った。しっかりとコートを着込んでいるのに、あまりの寒さにぶるりと体が震える。


 なにもない界からいきなり屋外に放り出されたからだけじゃない。寒気がして見据えた方向には、すでに揺らぎが現れ始めていた。


 空中に黒い靄がじわじわと広がりつつある。その中には青白い塵のような光が明滅している。異形が現れるまでそう時間がない。


「あ、アヤト……?」


 その声に振り返ると、潰れかけた納屋の影に真っ青な顔をしたラナンがいて、呆然とこちらを見ていた。


「無事でよかった。師匠は……やっぱりいないな」


 辺りを見渡すが、神様の言っていたとおりユキムラはいない。別の揺らぎの場所へ飛ばされたのは事実のようだ。


「き、気がついたら僕一人でここにいたんだ。師匠は? やっぱりって、アヤトはなにか知ってるの?」

「俺も詳しいことはわからない。ただ、神奈備を使ったときにいた神祇省の人間、あのうちの一人はカルカーン王子だったと思う」


 俺の話を聞いて、ラナンがひゅっと喉を鳴らした。


「殿下が? でも、なんでそんなこと……」

「わからない」


 わからないが、発動する間際の神奈備になにか細工をして、こうして俺たちを分断させたのは王子だと思う。どうしてそんなことをしたのか、その理由はわからない。


 はっきりとわかるのは、王子は……あいつは、俺たちが異形に殺されたって別にいいと思っているだろうということ、それだけだ。


「とにかく、あれをなんとかしないと俺たちは死ぬ」


 あれ、と見やる方向には今にも異形が現れんばかりに大きくなった揺らぎがある。


「い、異形が」

「来るぞ!」


 靄の中から、異形が顔を出す。ぎこちなく頭をもたげるように、ゆっくりと揺らぎのはざまから現れ出る。


 その光景の不気味さに、思わず息を吞む。


 どうしたって異質なそれは、周囲の温度を根こそぎ奪うかのように深く息を吸った。


「ッ……!」


 ラナンが悲鳴にならない悲鳴を上げた。


 無理もないと思う。前回だってここまでの至近距離で相対することはなかった。ユキムラの指示する場所に隠れて、遠目から戦いを見守っていただけだったのだ。


 俺だって、こうして異形の近くにいるだけで肺が中から凍りそうだ。


 手足が無様なくらい震える。こんなので刀が抜けるのか。いや、抜くしかない。


 ここにユキムラはいない。


 俺たちでやらなきゃ、二人とも殺される。


 不意にラナンの体が傾いだ。腰が抜けたのだ。


 その動きに異形が反応し、獣じみたスピードで手を振りかざした。


 異形は睨み合って微動だにしない俺ではなく、ラナンのほうを狙っていた。


 ──抜け。動け。動けよ、俺の体!


「うおおおッ!」


 叫ぶ。


 刀の柄を握り、抜く。


 刃が満月の光を浴びてささやかに光った。



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