55.おくるもの -後-
花言葉なんてこれまで一度も意識したこともなかった。
「『私を忘れないでください』あるいは『私を見ていてください』──これがケープルビナの花言葉です。聖花祭の折、神への感謝と共にケープルビナを捧げるでしょう。そうしたところに由来があるそうですよ」
「へぇ」
教えてもらったケープルビナの花言葉に感心したのは確かだ。
……でも、だからってなんでこうなるかな。
「ありがとうございました」
「どうも」
しばらくの後、俺とラナンはお辞儀する店員さんに見送られて店を出た。
「あれ、アヤトもなにか買ったの?」
「あ、ああ。自分用のカフリンクスをちょっと」
もちろん嘘だ。買ったのはカフリンクスなんかではなく、最初に目を惹いたあの髪飾りなのだから。
ふぅん、と頷くラナンに「君のお姉さんに似合いそうだと思っていたらつい買っていた。でも渡すつもりは毛頭ないから安心してほしい」だなんて言うわけにもいかず、ついごまかしてしまった。
どうして店で頷いてしまったんだ、さっきの俺。
カナハ嬢に似合いそうだなあ、とは思っていたのだ。そのタイミングで『お相手の女性はどのような方なのですか』なんて聞かれたせいか、うっかり自分と同い年くらいで亜麻色の髪の人です、と答えてしまった。その後はなんだかよくわからないうちにとんとん拍子で……。
いつの間にか買うことになっていた。店員さんってすごい。
買ったはいいものの箪笥のこやし決定だ。けっこう高かったんだけどな。
店を出た後は適当にぶらつき、昼食をとって寮に戻った。
箪笥にしまう前に、髪飾りの入った小箱を改めて眺める。
高かったがいい買い物だったと思う。好きな人のためになにかを選ぶという時間が、あんなにも充実して幸せなものだとは思ってもみなかった。もちろん一生渡す機会はないので、これは鑑賞及び都合のいい妄想をするための品として保管しておくことになるが。
次の日は、久々に揺らぎ対応が当たった。
満月が冴え冴えと光る、凍えるように寒い夜だった。
ユキムラと三人、連れ立って神護の森へ向かう。こうしてここに来るのは二回目ではあるがまだ慣れない。きっと今後も毎回緊張するだろうと思う。
照明が落ちて暗くなっている回廊を歩いている時間がけっこう辛いのだ。昼間と違って人気がなく静かなので、今度の揺らぎは当たりか外れかどっちだろう、とつい考え込んでしまう。
神護の森の門には、前回と同様ランタンを掲げた神祇省の人間が二人待ち構えていた。
一人には無言のまま、もう一人には前回と同じ定型文で迎えられる。
「定刻どおりのご到着、なによりでございます」
「正騎士ユキムラ、他従騎士二名。神祇省令一五号の召喚に従い参上した」
揃いの純白の仮面をつけた役人は俺たちを眺めて無言で頷くと、先導するように神奈備のほうへ歩き始めた。
積もった雪が月の光できらきらと輝く中、次第に神奈備が見えてくる。
何度見ても不気味な代物だ。昼日中であればまた違った感想が浮かぶのかもしれないが、夜中だとただただ薄気味の悪いいびつなオブジェにしか見えない。
神祇省の二人組は注連縄の手前で立ち止まると、前回と同じく跪いて頭を下げた。そうしているうちに移ろいでいたいくつもの景色が次第に減り、やがて一つの場所で固定される。
物寂しい場所だ。遠くに見えるのは廃村だろうか、雪に埋もれた古びた集落が映っている。
「神奈備の準備が整いました。つつがなく済みますように」
「…………」
神祇省の役人のうち、一人は前回と同じ定型の挨拶を述べ、もう一人はやはり無言で頭を下げてくる。
その無言の役人が、なぜか気になった。
……こいつ、なんでさっきから一言も喋らないんだ?
しかし気になっているのは俺だけのようで、ユキムラもラナンも二人組に会釈をして神奈備に近づいていく。
遅れてはいけない、と慌ててその後に続く。
その二人組の間を通り過ぎる際、無言を貫いているほうをふと窺い見た。
そのとき仮面の目の部分から相手の瞳が見えたのは、偶然だった。たまたまフードで隠れないような角度だった。そしてたまたま月の光が直接そこを照らした。
垣間見える目は、金色。縦長に切れ目の入ったような瞳孔の……、
「あんた……!」
声を上げた瞬間、他でもないその男に背中から突き飛ばされていた。
あまりに不意打ちすぎて、たたらを踏むこともできない。
一瞬の後、俺は注連縄の内側に足を踏み入れていた。
あの目を、俺は知っている。
間違いなくカルカーン王子の目だ。
なんで、ここにいるんだ?
答えが出るより先に、揺らぎに吸い込まれていく。
注連縄の内側に一度入ってしまえば、もう抗うことはできない。強烈な引力に襲われ、成すすべもなく別の界へ引きずられていく中、仮面の男の口元がにやりと笑みを浮かべるのが見えた。




