49.きざはしを行く者 -4-
今のこの雰囲気なら聞ける気がする。
「……そういえば、王子殿下と俺の同郷者椎葉さくらのことですが」
ユキムラが冷めた茶を淹れ直してくれる傍ら、俺はついに本題を切り出した。
「殿下はずいぶんと彼女のことを気にかけておられるご様子。そのご寵愛ぶりは市井の者も知るところのようですが、殿下にはすでにご婚約者様がいらっしゃると聞きました。今後、彼女──つまり、椎葉さくらはどのような立場に?」
別に、椎葉のことが聞きたいわけではない。俺が知りたいのは、カルカーン王子の婚約者が今後どんな立場になるのか、だ。ただ面識のないはずのカルカーン王子の婚約者のことを俺が尋ねるのもおかしいだろうから、遠回しに聞いただけだ。
「ああ、彼女はそなたと同じ超越者であったな」
王はちょっと疲れたような様子で相槌を打った。
「王子たっての希望もあり、彼女のお披露目を執り行った。今後は竜の巫女として、公の儀式に参加してもらうことになる。それと同時に国内の慈善事業にも携わってもらう予定だが……」
そう語る口調はどことなく歯切れが悪い。
なんとなくだが、王は椎葉の存在を扱いかねているのではないかと思われた。
「王子からは、まだなにも言ってきておらん。いずれはあれのほうから彼女を娶りたいと申し出てくるであろうがな。しかしそなたも知るとおり、王子にはすでに定められた婚約者がいる。予は、当然ローレン公爵令嬢が王子妃になるべきだと思う」
しかし、これも頭の痛い問題でな、と王はぼそりと呟いた。
「いっそ、予が存命のうちに王子の婚約を白紙に戻してしまったほうがいいのではないかと、そう思うこともある」
「そ、れはなぜですか……?」
尋ねる自分の声が自然と掠れた。
「王子の溺愛ぶりは、多くの者の目には異常にさえ映るであろう。だが我々竜人には少なからずそうした性質があるのだ。掌中の玉と見込んだものに執着し、一度手に入れれば決して手放さぬという厄介な性質よ。竜人としての力が強いあれは、その傾向がより顕著であるように思う」
カルカーン王子にとっての掌中の玉は椎葉さくらである、ということか。
「予にできることはな、今すぐに王子とローレン公爵令嬢の婚姻を成立させるか、さもなくば公爵家に存分の見返りを与えた上で今すぐに婚約取り消しに向けて動くか、その二択よ。いずれも、公爵家と令嬢には痛みを強いることになろう」
前者──王子と公爵令嬢の婚姻を進めれば、国王崩御の後の王子妃は、立場が弱くなる。新しい国王は竜の巫女を第二妃としそちらをより寵愛するようになるからだ。
後者──王子と公爵令嬢の婚約を白紙に戻せば、大なり小なり公爵令嬢は社交界での立場を弱くする。王家の側の問題によって婚約が取り消されるので、表立って口さがなく言う者はいないだろう。だが、人々の認識は消えない。公爵令嬢は婚約者を竜の巫女に奪われた女性だ、という認識は常につきまとう。
この話を黙って聞いていられる俺を、誰か褒めてほしいとすら思う。
こんなの、どっちに転んだって公爵令嬢は針のむしろではないか。
「むろん、婚約を取り消すに当たっても相応の問題が生じる。神祇省の占い、それも神託に近いものを覆すわけだからな。煩雑な手続きと時間を要する。予の存命中に間に合うかどうか」
憂いの表情でそうぼやく王に向かって、怒鳴りつけたい気分だった。
どうのこうの理由をつける前に、取り消しに向けてとっとと動け、と言ってやりたい。存命中に間に合うかどうかなんて悠長なことを言っている場合じゃない、とどやしてやりたい。
「……俺には、婚約取り消しに向けて今すぐに動かれるべきのように思いますが?」
感情を押し殺して、噛み締めた歯の隙間から絞り出すように言う。
だって、そうだろう。
まだしも婚約取り消しのほうがましではないか。
王子の妃になったら、彼女はよりにもよってあのくそ王子の子を産むことになるのだ。……ああ、違う。これは俺の私情が混じりすぎている。
つまり、こうだ。
王子の子を産んでも、彼女に安寧は訪れない。なぜならエルクーン王という抑止装置を失ったカルカーン王子は、喪が明け次第すぐにでも椎葉を娶るだろうからだ。その後はいわずもがなの地獄だろう。
椎葉が子を宿さなければまだいい。だけど、もし子供ができたらどうなる? それが男児であれば?
泥沼の後継者争いに発展したって、なにもおかしくない。
俺は、カナハ嬢にそんな目に遭ってほしくなかった。
「であろうな。だが、それでも予は占いの相手であるローレン家の令嬢が妃になるべきだと思う。少なくとも、カルカーンの次代はローレン公爵令嬢の胎から生まれるべきだ」
かっと怒りが込み上げそうになるのをすんでで堪える。なぜと飛び出しそうになる言葉を必死で飲み込む。
「なぜなら、予が占いの胎から生まれなかった子であるからだ。そして、それ故に竜人の真なる力をほとんど持ち合わせず、寿命も短く生まれついた弱い王であるからだ」
俺は、王のその言葉を聞いて、不覚にも自分の怒りを一瞬忘れた。
「それは……、では占いはその、本当に」
「左様、ただの縁起事ではない。ああ、ユキムラはそうと睨むな。話しすぎた自覚はこれでもある。なぜであろうか、アヤトにはつい話しすぎてしまうな」
苦笑いを浮かべた王がユキムラへ向けて手をひらひらと振るのを、どういう顔をして見ればいいのかわからなかった。




