48.きざはしを行く者 -3-
農奴解放からまだたったの二年だ。
土地を売却した農奴が自由民になって都市部へ移ったとして、貴族がその土地で大農場なり工場なりを経営して利益を出すには、時間が足りていない。設備投資した資金の回収すら済んでいないだろう。地方貴族はまだ旨味を理解していないのだ。
そこへ新しく免税特権を廃止するなどと言われる。反発するのも当然だ。外様の俺だってさもありなんと思う。
エルクーン王は世界史の授業で習ったオーストリアのなんとかという王と似ている。革命的な政策を多く打ち出したものの国内で猛反対にあい、挙句の果てに後継者の政策ですべてなかったことにされた不遇の王。
確かその王様は、自分の入る予定の墓に自分で「なにも果たせなかった人、ここに眠る」と刻んだんだったかな。
「僭越ながら、陛下は焦っておいでのように思います」
「そう見えるか」
エルクーン王は今度ははっきりと苦笑を浮かべた。
「確かに焦っている。あれに……カルカーンにこの座を明け渡すまでに、予の描く政策をすべて実施せねばならぬと思っているからな」
「……なぜですか?」
腑に落ちない。
全部を自分の代でやろうとせずとも、次代に任せればいい。人民は急な改革より緩やかな変化を好む。そうしたことは、現在進行形で猛反発にあっているこの人であれば嫌というほど知っているはずだ。
「そなたは、その理由をよくわかっているのではないかな?」
「……カルカーン王子殿下が、陛下の政策を引き継がないから、ですか」
王は肯定はしなかったが、否定もまたしなかった。口元に皮肉気な笑みを刷いて、窓の外へ視線を向ける。
「あれはな、予ではなくむしろ予の父のほうに似ている。竜人としての力が強いところや、文を軽んじ武を重んじすぎるところが特にな。それを危惧し、幼少より神学校へ入れて神官もしくは文官として長ずることに期待したのだがな……」
王の口調に苦いものが混じった。
「あれは竜人としての血があまりに強い。一種の先祖返りだろうと思っているが、恐らく予の倍は生きる」
……倍? えっと、それはつまりどういうことだ。
「そなたはまだ知らぬか。予ら、竜人の年齢はな、決して外見どおりではない。予はこの見た目だが齢一〇〇を数える」
まじか。
えっ、つまりあのカルカーン王子もあの見た目で実際はおじさんだったりするのか?
「安心せよ、あれはまだ見た目どおりの年齢よ。そなた、歳はいくつだ?」
「一七です」
「ならばカルカーンと同年だな」
あ、そうですか……。
見たとおりの同い年とわかって安心したような残念なような。まあ、そうだよな。あの言動で実は四〇オーバーのおじさんでした、とかさすがにホラーすぎる。
「予の倍ともなれば、二〇〇年になる。竜神スヴァローグの御許に逝く前に貴族特権を廃止し定着させねば、カルカーンの代で予の成したことすべて無に帰してしまうだろう」
国王は、眼下に広がる王都を眺めたままでそう言った。
その表情がまるで死期を悟った老人のように見えて、背筋がぞっと粟立つ。この人が焦っているのは、まさか……。
俺の様子を察してか、国王は窓の外からこちら側に視線を戻して、また少し笑って見せた。
「むろん、今日明日の話ではない。来年か、その次か。恐らくそのくらいであろう」
俺がユキムラを振り返ると、ユキムラはすでに承知の事実らしく、無言のまま頷いた。
「恐れ多いことながら、陛下のお考えは理解したつもりです。ですが、それでも俺は同じことを申し上げましょう。急な改革は避けるべきです。貴族特権の廃止はせめてあと三年、可能であれば五年はご様子を見られてから行うべきと存じます」
それだけの時間があれば、地方貴族は気づく。農奴の解放は決して悪いことではなかった、むしろ地方貴族が力をつけるための一端であった、と。
農奴解放より五年……工場経営や農地経営が軌道に乗るには十分な時間だ。その頃であれば貴族の特権を廃止して税をかけたとしても、今ほどの反発はないと思われる。
「上からの改革を短期間に押しつけるのは、よくありません。往々にして、革命はそうした経緯で起きるからです。俺がいた世界では、市民革命を経て王家自体がなくなった国があります」
時代背景がだいぶ違うが、俺はフランス革命を思い浮かべていた。
「だが時間がない。そなたであればどうする?」
「……俺であれば、ですか」
それはちょっと無茶振りがすぎる。だって俺は社会学者でもなければ歴史学者でもない。その辺に転がっているようなごく普通の男子高校生で、今は姓の名乗りも許されない一従騎士だ。
思い浮かぶことといえば、
「摂政を立てますかね」
せいぜいこのくらいだ。
今のうちから次の国王をうまく操縦できる人材を育てておくくらいしか思い浮かばない。一番いいのはエルクーン国王が上皇的な立場になって権力を持ち続けることだろうけど、それができないなら代理を立てるしかないと思う。
「であろうな。予もあれの側近にはそうした立場を期待しておったのだがな。どうも『血の絆』が邪魔をする。レオではうまく行かん」
国王が物憂げな口ぶりで言った。
血の絆とはなんだ。初めて耳にする言葉だった。
「そなたはまだ知らぬか。では、騎士の力が竜人の血に依存することは知っているか?」
「それは以前聞きました」
初めはラナンから。その後、神様から詳しく教えてもらった。正騎士と従騎士の差は、ひとえに竜の系譜に連なる者の血を飲んだか否か、それだけであると。
王は俺の返答を受けて頷くと、おもむろに語り始めた。
「血の主である竜人とその騎士の間には、切っても切れぬ縁ができるのだ。大概は、主の快不快がなんとなくわかったり主の命の危機を感じ取ったり、その程度のものではあるが」
カルカーンとレオはその傾向がことさら強いようだ、と王は言う。
言われてみれば確かにそうだと思わなくもない。
レオが王子の思考を代弁しているように感じることがあった。言葉を交わさずとも通じ合っているように見えることさえあった。
「カルカーンの竜人の力は特に強いのだ。故に、あれの血を分けた騎士は皆、予の騎士より強い。レオはまだ十になるかならないかの頃にあれの血を飲んだ。あまりに幼すぎたのと、血が強すぎたせいであろうが……あれはカルカーンの情動に同調している節がある。カルカーンの意に反することは、恐らくできまい」
カルカーン王子とレオの過去の話は、わりとどうでもよかった。
そんなことより、王の血を貰った騎士よりも王子の血を貰った騎士のほうが強い、というのが衝撃的な事実だった。
両者の差はどれくらいなんだろう。努力次第で埋められる差なんだろうか。いや、どうにかして埋めるしかない。だって、あの王子を自分の主にするなんて、想像するだけで虫酸が走る。
俺がそんなことを考えている間にも、エルクーン王はどんどん話を進めていく。
「レオでは足りないのだ。そこで、そなたがカルカーンを支えてくれたらと思うのだが、どうだ? 騎士などやめて文官として側近を目指すというのは?」
「お断りします」
考えごとをしていたが、これは食い気味で断った。
俺が王子の側近になるなんてあり得ない。向こうもきっとお断りだろうが、こっちだって絶対に嫌だ。
王は苦笑いを浮かべると、
「現人神と崇められても、ままならぬものよな。国王は国家の第一の下僕という言葉があるが、まさしくそのとおりだ」
遠い目をしながらそう言った。
それから大きなため息をついて、すっかり冷めているであろう煎茶の残りをすすった。




