43.月と花と雪の夜に -5-
っていうか、俺たちなんで普通に喋ってるんだろう。まずそこだよ。
俺の記憶が正しければ、椎葉と最後に話したのはあのときだ。もうかなり前のことではあるが強烈すぎる出来事だったのではっきり覚えている。
環境の変化についていけず、元の世界からそのまま持ってきていた私物もすべて取り上げられて、眠れなくて精神的にかなり参っていた。殴ったり蹴られたりもし始めていた時期だ。まあ、殴られ蹴られは俺が自分で挑発しちゃったせいなところもあったけど。
『超越者サマは家族が大好きなんだよな。そうそう、こいつ、毎晩うなされてるんだって。ママ、ママーってさ』
あのときのレオの声は今だって鮮明に思い出せる。
『えっ、そうなの? 礼人くんって、マザコン? やだぁ』
笑っていた椎葉の声も顔も全部すぐに思い出せる。
あのとき、自分が言ったことも。
『黙れって言ったんだよ!』
女相手に怒鳴るなんて、あれが初めてのことだった。反抗期に姉と本気の喧嘩をしたときですら、大きい声を出したことはなかった。
すぐに我に返って謝ったが、非常に苦い記憶だ。感情に任せて怒鳴ってしまった、あれは本当に最低だった。
あの後、椎葉は子供のように泣きわめいていた。
椎葉はまた全部なかったことにしたんだろうか。いや、本気で覚えていないという線もある。あのモードになると明らかに様子がおかしくなるから、ころっと忘れていても不思議はない。厄介なことに変わりはないけど。
本当に覚えていないのか聞きたいような気はしたが、やっぱりその勇気がなかった。
「……椎葉はなんでここにいるんだ?」
結局当たり障りのなさそうなことを尋ねている。
「あのね、今日のパーティーで私のことお披露目してくれるんだって。竜の巫女がいるって内外的にけっこうアピールになるらしくて、カーンが正式にエスコートしてくれることになってるの! このドレスもカーンから貰ったんだ」
椎葉はそう言うと、頬を紅潮させて嬉しそうにカルカーン王子のほうを振り返った。
竜の巫女としてお披露目、ねえ。
いや、別に俺のことをお披露目してほしいとは微塵も思っていない。いないんだが、同じ超越者としてこの待遇の差は一体なんなのか、少し引っかかりはするところだ。
どうせ王子辺りがねじ込んだんだろうけどさ。
「ね、どうかな?」
椎葉がもじもじと身をくねらせながらそんなことを聞いてくる。
どうって、なにが。と聞き返すのはさすがに寸前で思い留まった。
考え事をしていたせいで素でなんのことなのかわからなかったのだが、どうもその仕草からして王子から贈られたドレスを見てほしいらしい。
どうって言われてもな……。
女物の服のことは正直よくわからない。生地はよさそうだし、身に着けているアクセサリーも高そうだなと思う。だけどそれだけだ。よくよく見ても金がかかってそうだなという感想しか思い浮かばない。
そもそも王子には婚約者がいるんだ。その婚約者だって今夜のパーティーにはやって来るはずだ。王子が椎葉をエスコートするなら、その人のエスコートは一体誰がするんだ?
その人の家族か? 自分の婚約者が他の女をエスコートしているって、その人からしたらどうなんだ……?
今日の昼、少し浮かない様子だったカナハ嬢の姿を思い出した。なんとなく顔も名前も知らない王子の婚約者とカナハ嬢を重ねて見てしまう。
普通の女の人は嫌な気になるんじゃないだろうか。自分の婚約者が別の女と親しげにしている姿を見て、少なくともいい気にはならないと思う。
それにさ。婚約者でもない異性にドレスを贈る男ってどうなんだよ。そしてそれを喜んで受け取る女は?
尋ねてみたらどんな反応をするかな。
「ドレスを貰った、って……でも、椎葉は殿下の婚約者じゃないだろ?」
椎葉は笑顔のままでぴしっと固まった。
「あんまり吹聴しないほうがいいんじゃないか」
その話が耳に入ったら、王子の婚約者と絶対に揉めることになる。もらったのが事実であれば、自衛の意味でも口を噤んでおくべきだろう。
それだけじゃない。王子の婚約者に少しでも悪いと思う気持ちがあるなら、やっぱり黙っておくべきだと思う。
「ひどい……。なんで礼人くんまでそんなこと言うの?」
「なんでって」
常識的に考えるとそうだろ。
「褒めてくれると思ったのに! かわいいねって、似合ってるねって、言ってくれると思ったのに。なんで礼人くんはいつもひどいことばっかり言うの!?」
思わずぽかんとしてしまった。
「言うわけないだろ」
だって今はもうミジンコほどにも思ってないもん、椎葉がかわいいだなんて。
階段の上にいたレオがゆらりと動いた。
視界の隅でそれを捉え、すぐに一歩分飛び退る。
その直後、さっきまで俺のいた場所にレオが立っていた。階上から飛び降りてきたらしい。ずいぶん身軽なことだ。
「調子に乗りすぎたな、アヤト」
カルカーン王子の冷たい声が上から降ってくる。
反射的に見上げてしまい、すぐに後悔した。あの金色の目と真正面から目が合ってしまったからだ。
体が硬直しかけたところに、レオの腕がにゅっと伸びてくる。
「殿下がお怒りだよ。俺も、最近のお前は調子に乗っていると思うな」
その手が胸倉を掴み上げてくるのを、辛うじて身をよじりかわした。




