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41.月と花と雪の夜に -3-

 反射的に振り返ると、やはりラナンが立っていた。


 その隣には、もしやと思ったとおり彼女の姿もあった。


 コートとなにかの毛皮の襟巻、裾からちょっとのぞくスカート部分はえんじ色。足元は予想どおり編み上げのブーツだった。


 それだけ厚着をしているのにやっぱり寒いんだろう、鼻の頭がほんのり赤くなっていてとてもかわいい。


 こうして彼女の姿を見るのはずいぶん久しぶりのことだ。訓練所にいたとき以来のことだった。


 なのにやっぱりその姿に惹きつけられて仕方がない。これはもう一種の病気だと思う。


 彼女もまた俺を見ていた。


 夜色の目がゆっくりと瞬いて、じっと俺を見ている。


「あ……」


 目が合っていることを自覚すると、声ですらないような音が喉から漏れた。


 なにか、言わなくちゃ。いや、駄目なんだっけ。


 ハンカチの一件を忘れてくれと言われた、あのときのラナンとのやり取りが鮮明に蘇る。


「ラナンではないか。それにあなたは……そうか、ラナンはあなたの弟御でしたな」


 ユキムラがちょっと目を見開いて言った。


 彼女の視線が俺から俺の隣のユキムラへと逸れた。


「正騎士ユキムラ様。弟がいつもお世話になっております」


 彼女は膝を少し折ってみせた。王宮でよく見る貴族の女性が使うお辞儀の所作だ。


「従騎士になってからというもの毎日が充実しているようで、今日はずっとそのお話を聞かされておりますの」

「しごきが充実しているとは言っておりませんでしたかな」


 ははは、とユキムラが笑う。


 それを俺はなにかの劇のように他人事のような顔で眺めながら、内心では完全にテンパっていた。


 自分がどう振る舞えばいいのかわからない。


 ここは人目がある。間違いなく目立っていると思う。俺とユキムラがいかにもな異国人だし、彼女とラナンの服装は仕立てがいいからだ。見ればすぐに貴族階級の人間だと知れる。先ほどの彼女のお辞儀、あれもまた周囲の目を引いていた。


 年に一度の祭り、それも最終日だ。おそらく彼女たちと同じ身分の人間も大勢いるだろう。


 ちらりとラナンを見ると、ラナンもまた複雑そうな表情で実の姉と俺とを見比べていた。


「アヤト」


 ユキムラが俺を呼んだ。こちらはお前も同僚の家族に挨拶をしないかというような顔だった。


 ……そうだよな。普通は挨拶をするだろう。俺とラナンの仲を知っているユキムラからすれば、俺がラナンの姉に挨拶をしないのは逆におかしく見えると思う。


 ユキムラの視線を察した彼女も、再び俺を見ていた。


 本当は、あのときハンカチを貸してくれてありがとうと言いたかった。でも、それは今この場で話していいことなのだろうか。


 だって、ラナンは忘れてほしいと言っていた。そして、できればなかったことにしてほしいと。それが彼女のためだからとそう言った。


 だったら、俺がするべきなのはきっとハンカチのお礼ではなくて、


「……()()()()()()。ラナンの同僚のアヤトです」


 初対面の挨拶であるべきだろう。


 騎士が貴族の令嬢に相対したときに取るべき礼は決められている。相手の爵位に関わらず、王族に次ぐ地位にある者へ敬意を示すお辞儀をすることになっているのだ。


 姓を名乗ることができないのがちょっと格好悪いが、その辺はまだ従騎士なので仕方がない。


 お辞儀自体は従騎士になってから厳しく躾けられている所作の一つでもあり、自分でもそこそこ様になっていたと思う。


「……初めて、お目にかかります。ラナンの姉でカナハと申します。どうぞよしなに願い上げます」


 彼女はそっと微笑むと、ユキムラにしたのと同様のお辞儀で返してくれた。貴族令嬢が従騎士にする挨拶として考えうる一番丁寧なものだ。


 ……カナハというんだな。


 たぶん、俺があなたの名を口にすることは一生ないだろう。


 その名を知ることができた、それ自体が奇跡だ。


 初対面の挨拶を済ませると、俺はユキムラの後ろに引っ込んだ。他にできることといえば、黙って突っ立っているくらいしかない。


 だって、普通はそうだろう。友人の姉に会ったからって、そうべらべらと話すこともあるまい。なんせ俺たちは今日が初対面なのだから。


 一方のユキムラはカナハ嬢と当たり障りのない世間話をしている。話題は今日の夜に王家が催すパーティーのことだ。


「では、カナハ嬢は本夕の宴にいらっしゃるのですな」

「ええ……」


 カナハ嬢はやや視線を落とすとどことなく物憂げな口調で答えた。ラナンが言っていた「姉のほうも夕方から用事がある」というのは王家主催のパーティーのことだったのだろう。


 ただ、年頃の女性ならきらびやかな社交界を楽しみにしている者も多いだろうに、彼女はそうでもないような様子だった。


 たぶんユキムラも同じことを意外に思ったはずだ。だけどそれを直接聞くのは野暮というものだろう。


「師匠、もうそろそろ帰りませんか? ランタンも作れましたし、俺は満足しました。あと、実を言うと少し腹が減りました」


 こんなときは別の話を振るに限る。


 本当に腹が減っているわけではない。


 彼女のためにも退散しておくべきだと思ったのだ。ここは人目が多すぎる。もちろん名残惜しい気持ちはあるのだが、長居するのはよくない。


「ああ、そうだな。では戻るとするか。ラナンはどうする?」

「僕も姉を送り次第、寮に戻ります」


 ラナンたちのほうもそろそろ帰ろうということになっていたらしい。


 ラナンとそのお姉さんを見送り、俺たちも出店で適当に昼食を見繕って寮に戻ることになった。


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