4.かたわらの傍観者
俺たちがいた森は、どうも中庭だったらしい。森を囲むようにしてロの字型の回廊があり、その東西南北から四つの宮へ渡れるようになっているようだ。
「とはいえ、超越者に関わることとなると私の手には余る。陛下にもお知らせねばならんが、今は会議の時間だったな」
「そうですね。遣いは出しておきますけど」
そんなことを話しながら、その辺の人間を捕まえて用事を言いつけている。
それより、今陛下がどうとか言っていた。陛下ってつまり国王陛下のことか? じゃあ、ここは王城ということか?
頭の上をクエスチョンマークが飛び交う。
「うん。やはり少し時間がかかるようだ。その間、私がそなたらをもてなそう」
俺たちが案内されたのは、応接室じみた部屋だった。
内装の豪奢さを見るにつけ、椎葉は「すごーい! ベルサイユ宮殿みたい!」などと歓声を上げている。王子様みたいな格好の男にエスコートされふかふかの椅子に座らせてもらった椎葉は、もう完全にお姫様気分らしい。
「名乗りがまだだった。私はカルカーン・クライシュヴァルツ。この国の第一王子だ」
「カルカーン殿下の側近で騎士、レオ・ルンハルト」
相手は本当に王子と騎士だった。椎葉の読みが両方当たっている。
「すごい、本当に王子様なんだ……! 私、本物の王子様に会うなんて初めて! 私は椎葉さくらです。えっと、こっちふうに言うならサクラ・シーバになるのかな。あ、それより王子様相手にこんな口調じゃまずい、ですよね?」
「いや、いい。超越者はすべて竜に招かれた者──この国では、王族に準じる地位が認められている。まあ、正式に認められるのは陛下に拝謁した後のことではあるがな」
「百年ぶりの竜の巫女だから国民が喜びますね」
椎葉とカルカーン王子たちは、ずいぶん打ち解けて話している。
一方の俺は名前さえ聞かれてない。
同じテーブルについているのに、完全に空気のように扱われている。給仕のお姉さんだけは俺が見えているみたいで、お茶を入れてくれるが。
「ねぇ、竜の巫女? ってなぁに?」
椎葉が尋ねると、カルカーン王子とレオは代わるがわるレクチャーを始めた。
いわく、竜神に招かれて異世界からやってくる人間というのは、ごく稀にだがいるものらしい。
そういう人間を、この国では超越者だとか竜の巫女と呼んでいるということだった。前回この国に超越者が来たのは百年前で、女性。その前も女性。記録に残るかぎりでは、全員女性。だから竜の巫女というそうだ。
ということは、あの空間で聞いた声の、とくに男のほう……あれがその竜神ということになるのか。
女ばっかり呼ぶって、竜神は女好きなのかなあ。でも、俺は男だけどちゃんと名指しで呼ばれたよな。
それに記録に残るかぎりっていうのが引っかかるところではある。
「記録に残っていないだけで、男の超越者もいたんじゃないですか? 現に俺、男ですし」
だからつい口を挟んでしまった。
途端にカルカーン王子とレオの冷たい視線が突き刺さる。
「……超越者に関わる記録は、特級資料としてすべて国庫で保管されている。また、その編纂は王族の仕事でもある。記録に漏れや誤りがあるなど、ありえぬことだ」
「殿下のおっしゃるとおりだ。それよりもその発言、不敬にあたる。気をつけるんだな」
えー。椎葉のタメ口はよくて、俺のは駄目なのかよ。
「やっちゃったね、礼人くん」
……イラッ。
小声で話しかけてくる椎葉に素で腹を立ててしまった。駄目だ、落ち着け俺。
「そんなことより、竜の巫女ってなにかしなくちゃいけないんじゃ? 私、難しいことできるかなあ」
「いや、竜の巫女は国にいてくれるだけでいい。竜神に招かれる際、大なり小なり加護を受けているからな。なにかしてくれると言うなら、国民向けの儀式や祭りに出席してくれたらいい。それだけで国民は喜ぶ」
「あとは、異世界の話をちょくちょく聞くくらいかな。まあ、基本的には王宮でのんびり暮らしてくれたらいいですよ」
説明を受け、「なーんだ、それくらいなら私でもできそう!」と椎葉が顔を明るくした。
いやぁ、儀式や祭に出席するのって結構大変なことだと思うぞ。
というか、この分だと確実に俺が偽物で椎葉が本物だと思われてるよな。呼ばれたのは俺のほうだって、言うべきだろうか。
でもさっきの塩対応を鑑みると、俺がなにを言ったところでこいつらは信じなさそうだ。逆に俺の立場が悪くなりそうな気さえする。
そんなことを考えていると事務官らしき男が入ってきて、
「殿下、陛下のご準備が整われたとのことです。それと、ローレン公爵令嬢が東の宮でお待ちですが……」
カルカーン王子の耳元でそう囁いた。
「あー、そういえば向こうを置いてきたんでしたね」
「あれはそのまま待たせておけ。茶と菓子さえ切らさなければそれでいい。こちらの対応のほうが重要案件だ」
同じように小声で返すカルカーン王子とレオは、明らかに件の人物を侮っているような雰囲気だった。
「おや。いいんですか、そんな扱いで。仮にも婚約者でしょう」レオが鼻先で笑いながら言う。
聞いていていい気持ちにはなれない。
「神祇省の選んだ婚約者だ。自分で選んだわけじゃない」
「俺のだって、そうですよ。でもうちは仲がいいですよ」
「お前は婚約者の体が気に入っただけだろう。あれは抱き心地がよさそうだからな。当たりの部類だ」
「殿下のところは外れでしたね」
ゲスい。会話の内容がゲスい。
椎葉は話し込んでいる二人を眺めて首を傾げているので、たぶん聞こえていないんだろう。王子たちも俺に聞こえているとは思っていないみたいだが、わりと筒抜けである。
「とにかく、私たちは陛下にお会いする。ローレン公爵令嬢のところへはいつ戻るかわからないので、遅くなるようだったら折を見て帰せ」
「そのように」
王子から指示を受けると、事務官はなんとも思っていないような顔つきで頷き、部屋を出ていった。
「なんのお話だったの?」椎葉がにこにこしながら尋ねる。
「ああ、婚約者がな。会っている途中で抜け出してきたものだから、しびれを切らして早く戻れと言ってきたのだ。巫女の案内は国事だというのに、その辺りの理解がなくて困る」
「お仕事なのにひどいね。婚約者さんなら、王子様が忙しいことくらいわかってほしいよね」
「所詮、占いで決められた婚約者だ。お互い気持ちがないので、仕方がない」
王子は椎葉にもっともらしいことを語っているが、レオとの話が聞こえていた俺としては、公爵令嬢のほうに同情したい気分だった。
神祇省とやらが占いで選んだかどうかは知らんが、要するに政略結婚ということだろう。王族なら政略結婚なんて当たり前だろうし、占いで選ばれたからと婚約者を蔑ろにしていい理由にはならないと思う。
なんか、かわいそうだな。その公爵令嬢……。婚約者ということは、ゆくゆくはこの王子と結婚して子供を産まなくちゃいけないんだろ。
「えー、婚約者を占いで決めちゃうの!? なにそれ! 王子様、かわいそう!!」
……椎葉は、俺と真逆の見解のようだけど。
「貴族はだいたいそうなんだよ。血統を保存するために、最適の相手を神祇省が占いで決めるんだ。祖先に竜を持つから、血を薄くしちゃいけないんだってさ。もちろん、濃くしすぎても子供が生まれにくくなったりするから、相手選びは重要でね。とくに殿下は王族で、必ず竜眼を引き継がなきゃいけないからさぁ」
レオが面白い動物を見るような表情ながらも、わりと詳しく椎葉に教えている。
「竜眼って、その金色の目のこと?」
「ああ。この目があるから、私たちは竜の系譜に連なる者とされる。逆に言うと、この目がなければ王族であることを証明できない。……だが、気味が悪いだろう?」
椎葉は、がばっと身を乗り出して王子の手をとった。
「そんなことない! 最初に会ったときからずっと綺麗な目だなって思ってた! 気味悪がったりなんて、私は絶対しないよ!」
「サクラ……。そんなことを言う者は、お前が初めてだ」
見つめ合う椎葉と王子。
……なんですかね、これ。恋の始まりってやつでしょうか。
椎葉さん、神社では俺のことがずっと好きだったとか運命の人だとかいってませんでしたかね。切り替え、めちゃくちゃ早いっすね。
状況に白けているのはこの場に俺だけみたいだった。
椎葉と王子は手を取り合って完全に二人きりの世界だし、側近兼騎士だというレオは微笑ましそうにそれを見ているからだ。
陛下を待たせてるんじゃないのかなあ。いいのかなあ、国王をお待たせしていても。
とは思うが、俺はもう口を挟まなかった。
……この状態で発言できるほど、俺は図太くできていない。