30.正騎士襲来 -4-
速い。
目で追えないほどでもない。予想外の攻撃でもない。だけど、ただただ速い。
剣で受け切れなかった取りこぼしが服を裂く。そこからじわじわと血が滲んでくる。どれも致命傷ではないが、長引けば長引くほど不利だ。
力の差があるのは明白だった。
レオは強い。
元より身体能力が違うとは思っていたが、俺も神様とそこそこの修行を積んだ身、もう少しくらいはいい勝負ができると思っていた。
とんだ自惚れだった。
攻めることを捨て完全に防御に回ってこれなのだ。起死回生の手を打てない限り、俺はそのうち負ける。
レオの剣を捌くこちらの手が駄目になるか、それとも出血で動けなくなるほうが先か。致命傷だけは受けないように立ち回っているが、正直粘っても無駄なような気さえしてくる。
「ア、アヤト……」
かやの外になってしまったラナンが、心配そうにしている。その隣に佇んでいる教官も険しい表情だ。
あまりそちらに気を取られてもいられないので、すぐにまたレオへ目を向けるが……傍で見ていても俺たちの差は歴然らしい。
「くそっ」
探せ。なにかないか。この状況を打破するための一手を探すんだ。
「後悔してるか? でも、もう遅いよ」
鍔迫り合いをしながらレオが嗤う。
信じられないことに膂力でも負けている。相手が化け物じみている。
完全に押し込まれる前に必死で押し返し、同時に飛び退る。だが着地の際にぬかるんだ地面に足をとられ、膝をついてしまった。
耳元でぜえぜえと苦しそうな音がするのは、きっと自分の息の音だ。
諦めるな。最後まで探せ。心が折れたらそこで終わってしまう。
立て。立ち上がれ。
「ッ……」
剣を支えによろよろと立ち上がる。
大丈夫、まだやれる。そのはずだ。
「……まだ立てるか。会った当初はとんだ腑抜けだと思ったけど、もう一端の剣士じゃないか。なぁ、超越者」
「るせえ……」
取り落しそうになりながらも剣を構える。
「お前にだけは、負けたくない」
「諦めろ。世の中には、気合いや根性だけじゃどうしようもないものがあるんだよ。お前も薄々はわかってるんだろ。俺との歴然とした力の差が、さ」
唇を噛みしめる。あまりに強く噛んだせいで血が滲む。
諦めたら屈したことになる。それだけは嫌だった。
残った力を振り絞る。剣を腰だめに構え相手へ向かって駆ける。
たぶんこれで最後だ。このあとは、きっともう立てない。
斜め下からすくい上げるように剣を振り上げる。自分のものとも思えない雄叫びが口からほとばしった。
「……ま、こんなもんだよな」
決死の攻撃は、口元に笑みを佩いたレオに安々と弾き飛ばされた。
受け身もとれずに地面に転がる。受け身をとる、たったそれだけの余裕すらない。
灰色の空が視界いっぱいに広がる。
レオが近づいてくる気配があり、終わったなと思った。けっこう頑張ったつもりだけど、結局はこんなもんか。
「アヤト!」
目を閉じかけたそのとき、庇うように覆いかぶさってくる温かいものがあった。
栗色の髪が鼻先をくすぐる。
ラナンだった。
「……どくんだ、ラナン。お前まで」
お前まで、こんな茶番じみた争いに巻き込まれる必要はない。これは最初から俺とレオの戦いだった。お前が付き合う必要なんてない。
押しのけようとするが、思いのほか強い力でしがみつかれていてどうしようもない。いや、俺が弱っているのか。
とにかく視線を上げたらすぐそこに剣を携えたレオがやって来ていた。あの剣をそのまま振り下ろされたら致命傷では済まない。
「どけって」
「嫌だ!」
えー、なんでそんな頑ななんだよ。お姉さんのために騎士になるんだろ。こんなところで死んでどうするんだよ。
「麗しい友情、涙が出るね」レオがけたけた笑いながら言う。
雲の切れ間から夕日が顔を出す。その光を浴びて、今にも振り降ろされんばかりの刀身が血のように真っ赤に光った。
……駄目だ。
かっと目を見開き、
「どけ、ラナン!」
叫びながら渾身の力でラナンを突き飛ばして起き上がる。
赤く光った刃が近づいてくる。
目は瞑らない。正面からそれを睨みつける。
そうして痛みを覚悟した瞬間だった。
「……そこまでだ」
俺とレオの間に割って入る人影があった。
逆光だったのもあるし、人影は俺ではなくレオと相対していたので、背中越しで顔が見えなかった。だが、そもそもその声自体に聞き覚えがなかった。たぶん知らない男だ。
服装からしてレオと同じ正騎士か。
「あんた、なんでこんなところに」
男は剣──というより、あれは刀か? とにかく武器を抜かないまま、素手でレオの右手を止めていた。
対するレオは剣を振り下ろすことも引くこともできずにその体勢のままで固まっている。いや、相当の力で競り合っているように見えた。レオの手が小刻みに震えているからだ。
「騎士レオ・ルンハルト。私がなぜここにいるか、心当たりはあるはずだ」
「あんたは陛下の御傍を離れられないはず……」
呆然とした口ぶりのレオへ向けて、男は鼻先をふんと鳴らした。
「その陛下の御指示だ」
そうしてこちらを振り返ったその顔立ちは、この国では珍しい東洋系だった。
「あ」
見覚えがある。あのときだ。この世界に来た初日、この国の王と会ったあのときだ。国王の後ろに東洋系の無口そうな男が控えていた。
「国王陛下付き正騎士、シュウ・ユキムラだ。アヤト、君を迎えに来た」
男はレオの手をぱっと放り出すと、そのように名乗った。




