27.正騎士襲来 -1-
一度、芯から冷え込むような寒い夜があった。明日は雪が降るかもね、というラナンの予想どおり、翌朝は一面銀世界になった。
黙々と日々をこなしているうちに、気がつけば鐘の月──日本でいうところの十一月になっていた。
朝の走り込みの時間は雪のせいでいつもの半分になり、その分筋トレの時間が増えた。とはいえ、今日の雪が春までずっと残るわけではないらしい。雪の少ない日もある。そんなときは通常通りの時間割になるということだった。
「なんか、ぴりぴりしてるなあ」
「今日で修了試験までぴったり三か月だからじゃない? 来月は聖花祭だし、言ってる間にすぐだよ」
ふむ。
修了試験とはなんだ。聖花祭とは。
首を傾げているとラナンがぎょっと顔を引きつらせた。
「嘘でしょ。アヤト、まさか修了試験を知らないなんてことは……」
「知らないぞ」
悪いけど、聞いたこともない。
ラナンは天井を仰いでうめき声を上げた。「どうなってるの、本当に」と言っているように聞こえた。
「つまり、卯の月の末になると従騎士になれるかどうかの試験があるんだ。訓練生の中で上位三人。毎年この試験で成績のよかった三人だけは、確実に従騎士になれる」
「へえ……」
その言い方だと試験以外にも従騎士になる方法があるような感じだ。
「あるよ。正騎士が自分の従騎士にって取り上げるパターン。見込みのある訓練生を拾って、自分が鍛えてやろうって人がたまにいるんだ。正騎士が訓練所に来ること自体とても珍しいから、滅多にないけどね」
直接スカウトされて従騎士になることもあるようだが、これはそうないことらしい。
確かにレオがやって来たのも結局最初のあの一度きりだった。もっと頻繁に顔を出して嫌がらせをしてくるのだとばかり思っていたので、それは予想外だったな。
「その修了試験っていうのは、具体的にどんな試験をするんだ?」
「学科と実技、両方だね」
げ。ペーパーテストがあるのかよ……。この国の歴史とかそんな問題ばっかりだったら完全にお手上げだぞ。
「学科は簡単な読み書きと計算の試験。実技のほうは全員ごちゃまぜで戦って人数を絞り込んだあと、勝ち上がりで順位を決める。両方の結果、上から三人が従騎士に上がれる仕組みなんだ」
それを聞いて安心した。
読み書きは例の加護で問題ないし、計算だって現役高校生……ではもうないが、その程度の知識があれば大丈夫そうだ。異世界の歴史や地理を問う試験じゃなくて本当によかった。
実技のほうは、自分で言うのもなんだが自信がある。神様との修行はずっと続けていて、最近では教官に褒められることも増えてきているからだ。
この分だと修了試験はけっこういい成績を残せるかもしれない。さすがに一発で合格することはないだろうが、うまくやればその次の年くらいには従騎士になれるかも。
「あーあー、これだからコネで訓練所に入ったやつはよぉ」
そんなふうに思っていると聞き覚えのありすぎる声が降ってきた。
食事の手を止めて嫌々顔を上げる。
すると、案の定というかなんというか例の六人組がにやにやと俺たちを見下ろしていた。
最近は絡んでくることもなく、おかげで平和な日々を過ごせていたんだけど、今日は違うらしい。洗礼の日と同じ嫌な笑みを浮かべている。
「コネ?」ラナンが首を傾げた。
「コネっていうか……」
気絶している間にここに叩き込まれて、わけもわからず過ごしているうちにいつの間にか十一月になってます。とは言えないんだよなぁ。
「お前、別に騎士になんてなりたくないとか言ってたよな。だったら、棄権してくんねえ? そうしたら貴重な枠が一つ空くからよ」
リーダー格がそう言った途端、ざわりと食堂の空気が変わった。
「騎士になりたくないだって?」
「なんでそんなやつがここにいるんだよ」
他の訓練生のそんな声が聞こえてくる。
こいつ、わざとでかい声で言っただろ……。
「今はそんなふうには思ってない。悪いけど、棄権はしない」
いつまでもこんな刑務所じみた場所にいるつもりはなかった。今の俺には明確な目標がある。
六人組を睨みつけ、そう言ってのけたとき。
ぞわっと背筋が粟立つ感じがして、食堂の出入り口を勢いよく振り返った。
「へえ。訓練所で揉まれれば、腐った根性も少しはまともになるかと思ったけど……。なんだ、本当に騎士を目指すことにしたんだ?」
久しぶりに見る顔だった。
この世界に来たばかりのとき、それこそ毎日顔を突き合わせていた男──訓練所には滅多に来ないはずの正騎士レオの姿があった。
「なんで、ここに……」
「言っただろ、時々は顔を出すってさ」
レオはにやっと笑うとこちらへ向かってずんずんと歩いてきた。周りの訓練生がさっと道を開けるように割れて、まるでモーセのようだ。
「ルンハルト正騎士……」
「最年少で正騎士になった、あの?」
「嘘だろ、なんでそんな人が……あいつと知り合いなのか?」
時折そんな声が聞こえてくる。
レオは有名人らしい。
「アヤト、騎士ルンハルトと知り合いだったの?」
ラナンまでもが呆然とした顔で尋ねてきたので、ちょっとだけ振り向いて頷いてみせた。知り合いたくて知り合ったわけではないが、この世界における数少ない知人の一人ではある。
「あれ、君は……。へえ、面白い組み合わせじゃないか。これは殿下にお知らせしないと」
レオの笑みが深くなる。逆にラナンの顔つきは険しくなった。
この二人、知り合いなのか? いや、知り合いというほど親しい間柄ではなさそうだ。雰囲気からして、因縁の相手とでも言うべきだろうか。
「水臭いな。騎士になるって決めたなら、教えてくれればよかったのに。卯の月まで待たずとも俺が従騎士に引き上げてやるよ? もちろん相応の試練は受けてもらうけど」
レオはにやにや笑いながら、さらににやにや笑いの六人組をバックに引き連れて俺の肩にもたれかかってきた。六人組が久しぶりに強気で絡んできたのは、レオがいたからだろう。
それにしても、こいつ。なんでこんなに寄ってくるんだよ。馴れ馴れしすぎだろ。
離せと言うべきか試練とやらについて聞くべきか。
「……離せよ」
少し考えたが、レオにくっつかれているほうが気持ち悪くて駄目だった。




