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25. 恋とはどんなものかしら -3-

 面会の当日は朝からそわそわしていけなかった。


 落ち着きがない自覚はあったが、ラナンに


「もうひとっ走りして頭を冷やしてきたほうがいいんじゃない?」


 と呆れた調子で言われ、ようやく平静に戻った。


 一理ある。


 その辺を熊のように徘徊していては、また余計なトラブルのもとになる。かといって部屋にこもりきりでは間が持たない。


 面会に出かけるラナンとは途中で別れ、外周りをぐるぐると走ってみることにした。


 ひたすら走る。


 そうやっていると、以前に比べてずいぶん長く走れるようになったなぁと思う。息が切れる程度のペースで走っているのだが、そのペースそのものも段違いに速くなっている。


 帰宅部で運動に無縁だった人間でも、毎日やっていればそこそこ走れるようになるものらしい。


 ……そういえば、壁に囲まれているせいで外の様子がわからないが、自分の運動能力だけでなく気候も確実に変わりつつあった。


 神社の前で椎葉に告白されたとき、向こうの世界は夏休みを目前に控えた七月の下旬だった。そのときと比べると、朝夕の気温が全然違う。涼しいというより肌寒いくらいだ。


 どうもこちらの世界は季節の巡りが早いらしい。それとも暖かい時期が短くて冬が長いのか。


 ラナンの故郷はかなり寒いという話だった。ここ王都はどうなんだろう。こちらでも凍死者が出るほどなんだろうか。


 訓練所の設備を見る限り暖房器具は暖炉くらいしかないのだが、大丈夫なんだろうか。こんな刑務所のような場所で凍死するのだけは避けたいなぁ、と思う。


 そういうしょうもないことをぼんやり考えながら走っているうちに、日が落ちてずいぶん暗くなってきた。


 そろそろ面会が終わった頃だろうか。


 このタイミングで戻ればちょうど面会者たちが帰るところとすれ違うかもしれない。ハンカチの彼女が今日も来ているなら、ちらりとでも姿が見られるかも。


 などという我ながらちょっと気持ちの悪い下心もあり、二時間ほどで走り込みを切り上げて戻ることにした。


 廊下の向こうから、さやさやとした華やかな気配が近づいてくる。女性の多い集団は男所帯にはやはり目立っていた。


 その中に彼女がいないかどうか、目が自然と探してしまう。


 ……いた。


 あの亜麻色の髪は間違いない、ハンカチの彼女だ。


 彼女は今日も来ていた。


 少しうつむきがちに、けれども背筋だけはしゃんと伸ばして歩いている。


 ……なにかあったのかな。ちょっと落ち込んでいるように見える。


 遠目に見ていると、その彼女がふと顔を上げた。


 もちろん偶然だとは思うが、そのときに目と目がばっちり合って三秒くらい見つめ合う形になった。


「!」


 びっくりした。まさか目が合うなんて思ってもみなかったから、本当にびっくりした。


 俺と目が合ったというのは、彼女のほうもわかったらしい。驚いたように目を丸くした後、ふわりと儚く微笑んだ。


 やっぱり、綺麗な人だ。ふとした仕草の一つ一つ、たぶん彼女本人ですら意識していないだろうその仕草のすべてが好ましい。


 ただ、なんだろう……。


 さっきの微笑みだってもちろん見惚れるくらい綺麗だった。


 だけど、なんとなく沈んでいるように見えた。直前の俯きがちだった様子と相まって、余計に。


 面会者の一団はそのまま廊下を進んで行き、角を曲がったところで完全に見えなくなった。


 彼女に会えた。なのにその奇跡を素直に喜ぶことはできなかった。


 去り際に彼女が見せたあの微笑みは、一体どういう意味だったんだろう。


 なにが、彼女の顔を曇らせたのだろう。




 喉に小骨が引っかかったような気分で寝室に戻ると、硬い表情のラナンが俺を待ち構えていた。


 そして開口一番に、


「ハンカチの彼女の件なんだけど、一切忘れてほしい」


 と言いのけた。


「え。な、なんで……?」


 唐突すぎて意味がわからない。いや、言葉の意味はわかるのだ。ただ内容が理解できないというだけで。


「それが彼女のためなんだよ。こんなことになって、ごめん。だけど、本当に……駄目だ。彼女だけは、駄目」


 そう言うラナンの顔は、少し青ざめてさえいた。


「……そんなんで、じゃあ今から忘れますって言えると思うか? せめて面会でなにがあったのか教えてほしい」


 そんなに簡単に好きな人を忘れられるなら、恋愛で失敗する人間なんていなくなる。


 友人の言うこととはいえ、すぐさま納得できるようなものではなかった。


「そうだね、確かにこれは公平じゃない。ちゃんと説明しなくちゃ、ね……」


 ラナンは自分の手をぎゅっと握りしめると、ため息をついてベッドに座り込んだ。


 そうして、おもむろに口を開いた。


「アヤトの言っていたハンカチの持ち主はね、僕の姉だったんだ」

「ラナンの……」


 ハンカチの彼女は、ラナンの血縁だった。心の中で静かに反芻する。


 やっぱりな、と納得する気持ちのほうが強かった。


「あんまり驚かないんだね」

「いや、なんとなくそんな気はしてたんだよ」


 気がつかないふりをしていただけで、わりと最初から。


 彼女と似た色の髪と目の訓練生は、俺調べによると五人いた。


 その中にはあのリーダー格の男も含まれるが、あれはない。一番ない。人種が違うんじゃないかってくらい骨格が違うし、なにより言葉遣いが違いすぎた。


 人の生まれ育ちやそれまで受けてきた教育は隠そうとしても滲み出るものだ。


 他の女性から浮かないようにか、彼女は地味なドレスを着てはいたけれど、言葉遣いや仕草までは装いきれていなかった。


 彼女はたぶん貴族だ。


 目の前のラナンも同じだ。彼も高度な教育を受けてきたのだと思う。その辺の訓練生とはふとしたときの所作が違うからわかる。


 ラナンに関しては、この前に聞いた壮絶な過去といい他にもなにかありそうだけど、規則であまり詳しくは聞けないからな。とりあえず今のところは置いておこう。


「髪や目の色が似ているからさ。正直、その可能性が一番高いと思ってた」

「鋭いね。それにしても僕と姉上が似ている、か……」


 ラナンは一瞬だけ自嘲的な笑いを浮かべたが、すぐに口元を引き締めた。


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