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23.恋とはどんなものかしら -1-

 友人の話、である。


 駅で定期券を落とした。それを他校の女子が拾い、わざわざ追いかけてきてくれた。少し息を切らした女子は「よかった、すぐに追いつけて」と笑顔で言い、定期券を手渡してくれた。


 頬を少し赤らめて友人いわく、「俺はそのとき人間が恋に落ちる音を聞いた」と。


 その話に耳を傾け呆れた俺いわく、「なにそのベタな出会い。今どき少女マンガでも滅多にないぞ」と。


 微妙に詩的な友人の表現もなかなかに面白く、仲間内で思いっきり笑わせてもらった。


 しかもこの友人、定期券を渡された瞬間から恋心を自覚していたのに、なんと女子の名前や連絡先を聞けず、あわあわと礼を言っただけで済ませ、電車に乗ってしまったのだ。


 次にいつ会えるかわからない相手なのにそこで聞かずにいつ聞くんだ。お前はヘタレか。などなど寄ってたかって好き放題に酷評した。


「お主も他人のことを笑えぬではないか」


 人間バージョン、つまり王子によく似た顔をした神様に鼻で笑い飛ばされた。


 例の空間である。修行の終わり際、向こうから今日の話に触れてきたのだ。まったくもって神様の言うとおりなのだが、その顔で言われるとこの上なく腹が立つ。


「神様にはわからないかもしれないけど、人間ってそういうものなんです。予想外のことが起きるとポンコツになる」


 いや、それにしても昼間の俺のポンコツ具合は我ながらひどかったと思うけどな。なんなら友人のほうがずいぶんましだ。だって俺はお礼すらちゃんと言えなかったんだから。


「竜とて恋はする。長く生きている分、お主らヒトよりよほど経験豊富だぞ。見ておったが、なんだ昼間のあれは。お主はヘタレすぎるのだ。事務官がやって来たからといって、あっさり引き下がりおって。おなごの手を取って引き留めるなりなんなり、できたであろうが」

「ええ……?」


 いきなり手に触れるなんてできるわけない。というか、なんで俺は神様に説教されてるんだ。恋バナをするほど仲がよかった記憶はないぞ。


「ほっといてください。神様とそんな話したくない」


 ふんと顔を背けて、とっとと撤退する。


 なにが悲しくて、親しくもない上に人間でもない、竜神とかいう規格外の爬虫類から恋の説教をされなくてはいけないのだ。


 などと憤慨しながらも、ふと思う。


 ……今更だけど、これってやっぱり恋ってやつだよな?




「人を好きになったことがあるかって? なんで急にそんなこと。アヤト、この前からちょっとおかしくない?」

「大事なことなんだよ。真剣に考えてくれないか。人を好きになったことがあるなら、どんな気持ちになるのかも含めて」


 胡乱げなラナンにこれでもかというくらい食い下がって尋ねる。


 こんなことを聞ける相手はラナンしかいない。年下の友人に恋の話を聞くなんて情けないことこの上ないがしかたない。


「うーん、それなら六歳くらいのころかな、一人だけ好きになった女の子がいたよ。当時はすごく貧しくて、毎年生きて冬を越せるかどうかの心配をするような生活でね、相手も貧民街に暮らす女の子だった。その日に食べるものにも困る有様で僕も周りも殺伐としていたんだけど、その子だけはいつも優しかった。たまにパンを分けてくれたりして……」


 なにかを懐かしむように目を細めながらラナンが初恋の思い出を語る。


 それは、今の彼からは想像だにできない過酷な過去だった。


 現代日本でぬくぬくと暮らしていた俺は、その冬を越せるかどうかの生活をしたことがない。寒ければエアコンなりストーブをつけたし、食べ物にだって困ったことがない。


 想像もしたことのない過酷な暮らしを強いられる人がいる。それもけっこう身近に。やはりここは異世界なのだと痛感させられた。


「ローレン地方って知ってる? 北の要ローレン……国内で一番雪深い地域だよ。その子は、僕が七つの頃に亡くなった。その年はとくに厳しい冬で、春を迎えられない貧民が大量に出たんだ」


 しかも、初恋の女の子は亡くなってるのかよ。重い。ラナンの過去が重すぎる。


「親のいない子供はまだましだった。親がいなければ孤児院に入れてもらえるし、最近はちゃんと苗字ももらえるから。子供からしたら、下手に親がいるほうが不幸なんだよ」

「そうか……」


 親がいないほうがよかったと子供が思ってしまうような生活か。想像もつかないな。


「ごめん、変な話になっちゃったね。とにかく、人を好きになると……そうだなあ。ありがちなのは、その人がどんな人なのか知りたくなっちゃったり、その人がどうしているか気になっちゃったり、そういうものなんじゃないかな?」


 ラナンは謝るが、俺からすると自分のことを打ち明けてくれたのは素直に嬉しい。


 それにしても……。


「知りたくなったり、気になったり、か」

「ねえ、なんでそんなことを聞くの? やっぱりなにかあったんでしょう。面会日から本当におかしいよ。もしかして、お客さんの中に気になる人でもできたんじゃないの?」


 鋭い。


 ラナンが鋭すぎて怖い。それともなんだ、俺がわかりやすすぎるのか? いや、そんなことはないはずだ。


 最近、ちょっとポーカーフェイスが板についてきたからだ。思ったことが顔に出ると不利になることが多いので、あまり表面に出さないように努力していた。無表情に徹すると剣筋が読まれにくくなるし、反応が薄いとわかっていれば罵倒もされにくくなる。いいこと尽くしだ。


 ラナンが異様に鋭いのだ。本当に年下なのかも疑わしい。


 この分だと誤魔化し続けるにもすぐに限界が来そうだ。いっそ今のうちにゲロっておいてラナンに協力してもらったほうがいいか?


「……実は、その通りなんだ」


 結局、俺は生唾を飲み込みそのように白状することにした。


「へえ! お客さんの顔ぶれってそう変わらないから、僕にわかるかもしれないよ」


 ラナンは笑わなかった。笑わなかったが、ものすごく食いつきがよかった。


「でも、名前もなにもわからないんだ。その、ハンカチを貸してくれてさ。洗ったから返したいし、お礼もちゃんと言いたい。別にそれ以上のことは望んでないんだ。ほら、お客さんということは、誰かの恋人って可能性が高いだろ」


 誰かの恋人だった場合は、素直に諦める。まだ彼女の人となりもなにもわからない状況だし、芽生えたばかりの恋心に蓋をするのはそう難しくないはずだ。


 ……む、難しくない、はずだ。いや、無理かな。引きずらない自信は、あんまりないかも。


「確かにね。横恋慕なんてしたら間違いなくまたややこしいことになる。でも、訓練生の姉とか妹とかそういう可能性もあるんだから、諦めるのは早いよ。現に僕のところは姉が来てくれているんだし」


 まあ、訓練生の姉妹に恋をするっていうのも十分ややこしそうではあるんだけどな。俺の妹をお前なんぞにやれるかーって、また拳と拳か剣と剣で語ることになるパターンだろう。


「ねぇ、どんなハンカチなの? どんな人だった?」ラナンが身を乗り出す。


 気になる気持ちもわかるが、けっこうグイグイくるなぁ。


 その食いつき具合に正直ちょっと引く。しかしこちらは協力を仰ぐ立場であって、断るわけにもいかない。


 俺は、我ながら気持ち悪いくらい大切にしまっておいたハンカチをラナンに手渡した。


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