19.今はまだ小さな牙 -3-
俺は自分で自分の道を切り拓けるようになりたいのだ。
贅沢かもしれないけど、人から貰った力で「自分の尊厳を守るんだー!」とか、なんかおかしい気がするんだよな。
「ここが神様の言うとおりの界で、ここで一年過ごしても向こうではほとんど時間が経っていないなら……。ひとつ我儘を言いたいんですけど」
竜神は器用に片目を眇めて、俺に続きを言うよう促してくる。
「俺を鍛えてくれませんか。この世界で、自分の身を守るためには、今の俺では弱すぎると思うから」
「元よりそなたの願いは叶えると言っておっただろう。むしろ、そんなことでいいのか」
いい。それ以上を望んだら、逆にまたよくないことが起こりそうだから。
「相わかった。なれば、ひとまず今の窮地を乗り越えるための実地訓練を行おう」
そう言うと、竜神は咆哮を一つ上げた。
すると風が起こり、同時にまばゆい光が差して辺りの景色が一瞬で様変わりした。
訓練所の廊下だった。どこからどう見ても俺がさっきまでいた食堂前の廊下と同じ場所に立っている。
「混乱するでない。最適な場所を創造しただけだ」
「すご……」
壁に触れてみたが完全に本物だ。幻なんかではなかった。
「とかくお主は荒事に慣れていなさすぎる。自身の痛みにも他人の痛みにも敏感だ。それが悪いこととは言わぬが、戦いの最中は不要、一切捨てよ。泥臭い戦に想像力などいらぬ。必要なのは、敵を倒すにあたり最適解を選択する、その瞬発力だけだ」
そこに思考が介在する余地はなく、体に最適解を覚え込ませるだけでいい。むしろそれ以外は不要なのだとすら言う。
俺はいちいち考えているところが駄目、ということらしい。
神様の言いたいことはわかるんだけど殴ったり殴られる瞬間はやっぱり考えてしまう。自分の歯が折れちゃったらどうしようとか、このまま俺が殴ったら相手の鼻がつぶれるんじゃないかな、とかさ……。
やっぱり躊躇はしてしまうんだよ。
「己の痛みと怖れを飼い慣らせ。怒りと破壊の衝動のみに身を任せてみよ」
言うが早いか否か、神様の竜らしいシルエットがしゅるしゅると縮み、代わりに若い男の姿に変化した。
黒い長髪に黄金色の目の男だ。顔立ちがそこはかとなくカルカーン王子に似ている。
「っ……!」
似ていると感じた瞬間、胃の奥の方がぞわりと煮え立った。
ぎゅっと手のひらを握り込み、正面に相対する男を睨みつける。
「どうした、先手はくれてやるぞ」
王子にそっくりの容姿で、神様が気障な仕草で手招きをする。そのいかにも王子が言いそうな口ぶりと相まって、怒りがよけいに煽られる。
椎葉でもない。直接的に暴力をふるったレオでもない。俺にとっては、カルカーン王子こそがこの世界における理不尽の象徴だった。そしてその理不尽こそが俺の戦うべき敵だった。
握った拳に万力をこめる。
そうして俺は、目前の敵へ向かって最初の一歩を踏み出した。
……ぷるぷると頭を振って、状況を改めて確認する。
気を失っていたらしい。ずいぶんと時間が経ったように思うが、神様が言ったとおりこちらの界ではほんの一瞬くらいしか経っていなさそうだ。
結局、俺は半年近くを向こうの界で過ごした。そのせいか時差ボケではないが、感覚のズレがひどい。界を移動する前になにをしていたのか記憶が曖昧だった。
鼻の下が濡れている気がして拭ってみると、手の甲にべったりと血がついた。鼻血だ。そうと認識するとかなり痛い。正面から誰かのパンチを食らって、脳震盪かなにかを起こしていたようだ。
手をついて立ち上がる。足がふらついて二、三歩たたらを踏んだが耐えた。
俺が立ち上がったことで、人だかりがわっと沸いた。
正面の男は、俺が立ち上がってくるとは思ってもいなかったようで、露骨に表情を変えた。それが見てわかるくらいにぎょっとした顔だったので、ちょっと笑ってしまった。
その顔を改めて観察していると、なにをしていたのかだんだん思い出してきた。確かこいつは、俺が訓練所に来ることになった日、盛大にリンチをかましてくれた男だ。
……そういえば、また揉めてたんだったな。
「根性だけは認めてやるよ、新入り。性根が腐ってるって話だったが、そうでもないようだ。だからこそ忠告しといてやる。ラナンとつるむのはやめておけ。あいつはお前を見捨てて逃げたんだ。見ただろ、庇われておいて振り返りもしなかったのを。あいつはそういうやつなんだよ。いつも自分を助けてくれる寄生先を探してる」
どうもレオから相当俺の悪口を吹き込まれていたらしいな。まあ、それはもうどうでもいい。
レオは騎士だから訓練所では顔が利いて当然だ。それに、騎士から頼まれたら訓練生は断りにくいだろう。
わからないのは、その後の忠告とやらだ。だって、そうだろう。ラナンに逃げろと言ったのは確か俺のほうだったのだから。
首を傾げていると、
「辞めたやつらも、最初はみんなあいつを庇ったんだ。だけど最後は後悔してた。当然だよな。見ないふりを決め込んでおけば、途中で夢を諦めなくてもよかったんだからよ」
リーダー格がにやにや笑いながら言った。
「……るさいな」
「あ?」
知ったこっちゃないんだよな。
リーダー格の男とそいつを取り巻く五人、それから同じ考えらしい他の訓練生をぐるりと眺める。
だって、俺はそっち側には絶対行かないんだから。
「ゴチャゴチャうるさいって言ったんだ。そんなもん、知るか」
ラナンは最初から親切だった。どんな意図があったかなんて関係ない。俺は人として彼の親切に応えるべきだった。ただそれだけのことだ。
「……やっぱ、腹の立つ男だな。じゃ、続きと行くか。今度は途中でやめてやらねえからな」
こっちは目が覚めたときからそのつもりだったけどな。
向こうでの修行期間は半年ほど。その程度ではただの付け焼刃で、数の暴力には結局負けることになるのかもしれない。
だけど今度は連中も無傷じゃ済まない。俺も自分にできうる限りの全力で抗うからだ。食らいついて食らいついて、一人でも多くやり返してやる。それで痛い目を見たら、連中もさすがに少しは控えるようになるだろう。
神様との修行の成果を確認するにはちょうどいい機会だった。