15.その先で待つもの -4-
食事は確かにラナンの言うとおりの代物だった。つまりおいしくなかった。怪我をしていることもあってあまり喉を通らなかったが、ラナンが「早く治すためにもできるだけ食べておけ」と凄むので詰め込んだ。彼は見た目に反してかなり男前だ。
「……さて、揺らぎと界についてだったね。ざっくり説明はするけど、あとで資料室を確認しておいたほうがいいよ。揺らぎの発生場所や日時を一覧にしたものがあったと思うから」
そう前置きをしてから、ラナンは教えてくれた。
詳しいことはわからないらしい。
ただ、普通はそこに存在しない生物や物質が不意に出現することがある。例えば、そこの気候では生育するはずのない動物だったり、植物だったり。文字通り、なにもなかったところに突然湧いて出たかのように現れるのだと言う。
そして、そうしたことが起こりやすい場所がある。
「それが揺らぎなのか?」
「正確には界の揺らぎっていうんだ。この揺らぎから出てくるのがどこか遠く離れた地域のものだけならいいんだよ。でもそうじゃない場合が頻繁にある。この地上のどこを探しても存在しない生物が、揺らぎから出てくることがあるんだ。異形もその一つ」
揺らぎがどこに繋がるかは、発生するたびに都度変わるせいでわからないらしい。ただ揺らぎの現れる場所だけはある程度決まっていて、俺たちのいる王都内にも何か所か存在するということだった。
「じゃあ、いきなり街中に異形が現れる可能性があるってことか。物騒だな」
「物騒だから、神祇省が毎日何回も何十回も占いをするんだよ。それで、揺らぎの兆候がありしだい騎士団に出動の要請がかかることになっているんだ」
なんとなくわかってきた。
俺たちがこの世界に来たときも、たぶん揺らぎから現れたんだ。神祇省はあらかじめ揺らぎの兆候を察知していて、騎士に出動の要請を出した。で、やって来たのが最初の二人組の騎士だった。
それとは別口で、日時や場所がはっきりしないものの、超越者が現れるという占いもあった。こっちは国王や王子、とにかく国の上層部にしか知らされていなかった。
たぶん、そうしたことで間違いないだろう。
しかしそこで新たな疑問が浮かんだ。
この世界に存在しないはずのものが揺らぎを通して突然現れる──そういう観点でいえば、超越者も異形も本質は同じなんじゃないか?
「うーん、それはちょっと違うね。超越者は別の世界から竜神様に招かれて来た人たちだけど、異形はそうじゃない。異形はここと同じ世界の、別の界の生き物だから」
「世界と界は違うってことか?」
重ねて尋ねると、ラナンは大きく頷いて見せた。
ラナンいわく、界は世界を構成する要素の一つなんだそうだ。つまり、単位が全然違う。
さらに詳しく言うと、竜や精霊が住まうされる天界と、俺たちのいる人界……この二つは上下の層がそもそも別れているが、異形のいる界は人界と隣り合うか、もしくは完全に重なっているというのが最近の通説らしい。
異形がしょっちゅう揺らぎから現れるのは、界同士が近いからだと考えられているそうだ。
おお……、どうしよう。まったく意味がわからん。
わからないけど、とにかく俺と異形は別物らしい。よかった、違うもので。
「アヤトって変わってるね。だって、異形のことをなんにも知らないのに、超越者のことは知ってるなんてさ」
「う、うん。まあ、ちょっとな……」
俺がその超越者だからです、とは言えないんだよなあ。
「ふふ。それにしても、異形も知らないのに訓練生だなんてね」
ラナンはそうやって笑うと風呂に出かけていった。俺も行きたいと言ったが、「君は明日まで禁止!」と怒られてしまった。怪我がひどいからだそうだ。
久しぶりにちゃんと寝た。というよりほとんど気絶していたようなものだった。ラナンが風呂から帰ってきたころには、どれだけ揺さぶっても目を覚まさなかったらしい。
「夜中は熱も出てたよ。でももうだいぶいいみたいだ。治るのが早いね」
朝起こしてくれたときにラナンが教えてくれた。
「あと十分ほどで活動開始のベルが鳴るから、こっちの運動着に着替えて。その後は全員で部屋の掃除をして、食堂で朝食」
「は、はい」
年下とは思えないてきぱきっぷりだ。
ラナンに言われるがままに着替え、言われるがままに掃除をしていると他の同室者に笑われた。
「いい旦那ができてよかったじゃん、ラナンちゃん」
「新入りはさっそく尻に敷かれてんなぁ」
……少しむっと来るようないい方だった。
ラナンはちょっとだけ耳の縁を赤くしていたが、ふんっと顔を背けて別の場所の掃除に離れていってしまった。
その様子を見て、同室者たちがげらげら笑った。笑い方が昨日の六人組にあまりにもそっくりで、朝から不愉快な気分になる。
ほんとどこにでもいるよな、こういうやつ。
朝食のために向かった食堂でも、同様のことが起きた。
トレイを持って列に並ぶのだが、並んでいる間中、テーブルで食事をとっている連中からからかわれるのだ。
「今朝もかわいいね、ラナンちゃん」
「ほんとにアレついてんのかぁ?」
ラナンはこの手の雑言に慣れているらしく、完全に聞こえないふりで列に並んでいる。前が進んだらスペースが開かないように詰めて、また大人しく待つ。
俺より年下なのに大人の対応が板についていて感心してしまった。
だけど、内心ではかなり怒っているだろうと思う。さっき同じように、髪の隙間に見える耳の端がわずかに紅潮しているからだ。
ただ、目立った反応がなさすぎてからかう方が焦れてきたらしい。
足を引っ掛けてやろうとしてか、ラナンの足元ににゅっとつま先が伸びるのが見えた。食事のトレイを抱えているラナンからはちょうど死角になっている。
「うわっ……!」
「危ない」
ラナンは前に進んだ拍子にそのまま転びそうになったが、間一髪で後ろから支えて間に合った。
「あ、ありがとう」
「いや」
足を引っ掛けるとか、小学生かよ。一言言ってやろうかと睨みつけると、そいつを含む集団はにたにたと気持ち悪く笑っていた。
「早速お熱いねー!」
「新入りは女に振られてここに来たらしいじゃん」
「昨夜はラナンちゃんが慰めてやったんだろ?」
うわあ。……うわあ。ゲスい。ここにもゲスが大量にいる。
「アヤト、無視して。放っておけばそのうち飽きるから。それより、早く食べて出よう」
唇をぎゅっと噛みしめてラナンが言う。彼がやめろと言うのなら、俺は頷くしかなかった。




