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61.ある恋の結末 -4-

「あなたのお気持ちも、あなたが私に手を差し伸べてくださったことも、私はとても嬉しかったのです」

「あの、すみません。とてもおこがましい勘違いだとは思うんです。ですけど、……その仰りようは、まるで」


 最後まで言えるような勇気はなかった。


 口元を覆って俯く。


 そんなはずがない。そんな俺に都合のいい展開、あるはずが……。


「勘違いではありません。もうずっと、あなたのことをお慕い申し上げております」


 ……いま、なんて。


 オシタイモウシアゲテオリマス、って……なんだ?


 彼女の言葉を脳内で反芻する。お慕い申し上げております、って言ったのか。


 それってつまり……?

 

 意味を理解した途端、全身の毛がぞわぞわっと逆立った。


「まさか、……本当に?」

「お疑いになるの?」

「いえ。でも、あなたは……公爵家の当主代理で、俺は」


 身分が違う。


 爵位の話は蹴ってしまったし、超越者として日本の知識をひけらかしたり、今以上に偉そうにするつもりもない。絶対にトラブルの元になるからだ。


 今の俺はただの騎士でしかない。貴族の末席に数えられるとはいえ、それも一代限りだ。


「お話したいこととは、そのことなのです」


 彼女は、そこで一旦言葉を切って息を大きく吸った。


 そして、


「あなたさえお嫌でなければ、私のお婿さんになっていただければと。王太后殿下のご実家──イドクロア伯爵家があなたの後見(うしろみ)になってくださるそうです。具体的には、一度伯爵家ご当主の養子になっていただき、その後にローレン公爵家の婿としてお迎えする形になるでしょう」


 婿。イドクロア伯爵家。養子。


 俺が理解するよりも先に、カナハ嬢はどんどんと言葉を連ねていく。


「もしくは、女皇陛下に新しく公爵家を興していただくことも可能です。この場合は、あなたに新公爵家のご当主になっていただくことになります。私が嫁ぎます。ただ、ローレン公爵家のお役目──北の神奈備を守る御役目を放り出すわけにはまいりませんから、土地も御役目もそっくりそのまま引き継ぐことになります。前者と違って手続きに時間がかかりますけれど、女王陛下と王太后殿下にはすでに根回し済みですから、大きな問題はございません。あなたは、どちらがよろしいですか?」


 驚いたことに、彼女はこれらをすべて一息に言ってのけた。ノンブレス。


 情報量があまりに多すぎて、目が回った。


 どちらが、っていうか……待って。


「すみません、婿とか嫁ぐとか、聞こえたような気が」

「気が、と言いますか、そのように申し上げております」


 気のせいじゃなかった。


「でも、俺はあなたと同じ時間を歩めないだろうし、きっと俺の血を発端に面倒なことが……」


 我ながら、うじうじとはっきりしない、歯にものの挟まったような言い方だった。


 カナハ嬢が不思議そうに首を傾げている。


 ……違う、そうじゃない。


 これじゃあ、前と何も変わらない。


 軟弱な思考回路に喝を入れる。


 彼女がこうまで言ってくれているのだ、俺が返すべきはこんなことじゃない。


「そうではなくて、つまり……あなたにはご苦労をかけると思います。ご存知のとおり俺はこの世界の人間ではないし、あまりに知らないことが多い。この先、ご迷惑をおかけすることも多々あるでしょう。それに、もしかしたら俺は今これ以降、一切年を取らないかもしれないし、あるいはもう少しくらいは年を取るかもしれないですが、それすらわかりません」


 そこで口を閉じた。一回二回と深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。心臓がばくばくと鳴っていた。


「……それでも、俺はあなたを望んでいいのでしょうか?」

「なんの問題がありましょう。まだ起こってもいないことを怖れるのは、無意味です。もちろん準備しておくことは大切ですけれど、ご心配のことはすべて、実際に起こってから考えてもいいことです」


 言いながら、カナハ嬢がやわらかく笑んだ。


「それに、私と一緒に考えて、一緒に悩んでくださるのでしょう?」


 その笑顔があまりに綺麗で、あまりにかわいくて、もうどうしようもなかった。


 気づけば俺は、手を伸ばしてカナハ嬢を抱き寄せていた。


 細い。俺が少し力を入れただけで、ぽきんと折れてしまいそうなくらい華奢で小作りだ。


 顔の位置だって頭ひとつ分以上違う。こうしていればすっぽりと覆い隠してしまえるくらいだ。


 それでいてあたたかくてやわらかい。おまけに花のような果実のような、いい匂いがする。


 自分とは完全なる別のいきものだと思った。


 名残惜しかったが、抱きしめていた体をそっと離す。


 それから、夜色の目を覗き込んで頷いた。


「……必ず」

「では、問題ありませんね」


 カナハ嬢が笑う。


 その瞬間、かわいいと思う感情が静かに爆発した。


 いいかな。駄目かな。キスしたら、怒られるだろうか。


「……キスしても、いいですか?」


 尋ねる声が少し掠れた。


 彼女が何度か瞬きをして、ちょっとはにかんだ。


 そして、小さく小さく頷いた。


 これは。これは、いいんだな。いくぞ。俺は、やるぞ。


 もう止まら──


「……こほんっ! えほんっ!」


 半開きだった扉のほうから咳払いの音がして、はっと我に返った。慌ててぎりぎりまで近づいていたカナハ嬢との距離を取りなおし、音のしたほうを見やる。


 老執事が半目でこちらを見ていた。


 老執事だけではない。ハンナさんやハンナさんと同じ制服を着た侍女らしき人が何人か集まって、興味津々といった顔でこちらを覗き込んでいる。


 急に気まずくなって、カナハ嬢からさささっと離れた。


 その間に老執事は部屋に入ってきていて、テーブルの上に大量の書類を置いた。置いた拍子にどさりと音がした。


「何はともあれ、まずはご婚約からです」


 そう言いのけた老執事の目は、氷のように冷たかった。


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