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60.ある恋の結末 -3-

「夏ごろだったかしら。あのときあなたに叱られたからやめました」

「……その節は」


 王妃相手に、それが母親のすることかとかなりきつく詰ったのだった。


 頭に血が上っていたとはいえ、当時の自分のしたことには驚かされる。不敬罪を適用されるかされないか、チキンレースでもしているつもりだったんだろうか。


「私のことを恐ろしい女だとお思いでしょう?」

「そこまでは。ですが、わざわざ王太后殿下が為されずとも、陛下はいずれお亡くなりであったとは思います」


 わざわざ毒など用いずともエルクーン国王は近いうちに死んだだろう。国王に毒を盛るような危ない橋を渡る必要が果たしてあったのか、疑問は残る。


「……私はね、陛下を心より愛しておりました。そして同時に、心より憎んでもおりました」


 俺は王太后の顔を眺めた。


 王太后は、優しげにさえ見える微笑みを浮かべていた。


「最期はすっかり弱られて抵抗できないあの方をこの手で……」


 不意に、入ったこともない国王の寝室が思い浮かんだ。


 ──エルクーン国王が、大きな寝台に横たわり弱々しく息をしている。


 王太后は能面のような無表情で王の様子を見下ろしていたが、やがて寝台の上に乗り上がると、手にしていた布で国王の顔を覆った。


 布は、水が滴るほどに濡れていた。


「……そうでしたか」


 ため息まじりに相槌を打つ。


 この人はこの人で、ずっと復讐する機会をうかがっていたのかもしれない。


「あの方と一緒になれて嬉しかった。けれど同時に、どうしてあのまま捨て置いてくれなかったのかと思っていた。愛していたけれど憎んでもいた。……いつの間にか愛憎が表裏一体となり、切り離せぬようになっていました」


 それもまた仕方のないことだとは思った。この人の境遇を思えば、気軽に糾弾できるようなものではない。


「……なぜ、俺に話してくださるのですか」

「私はね、これでもあなたに感謝しているのですよ。ですからこれは老婆心からの忠告。寿命を同じくしない男女が一緒になったときの、その結末のひとつを教えて差し上げたかったの。あなたは後悔なさらないようにね」


 ずいぶん強烈な忠告だ。


「ご忠告、ありがたく」

「王家の事情に巻き込んでごめんなさいね。このあとローレン公爵代理にお会いになるのでしょう。私が言うのもなんですが、()()しておりますよ」


 王太后はにっこりと笑った。




 南の宮、その馬車寄せにローレン公爵家の馬車がとまっている。近づいていくと、御者はすぐに俺に気がついて扉を開けてくれた。


 中に乗り込み、ふかふかの座席に腰掛ける。


 その馬車が公爵家の屋敷へと進むあいだ、俺はずっと緊張していた。手持ちぶさたなのもいけなかった。なにか手土産でも持ってきたほうがよかったのでは、と今さらながら後悔の念が湧いてくる。


 ……手土産と言えば菓子か。いや、でも日本じゃあるまいし。では花束?


 ……話の用件もわからないし髪飾りを渡すだけなのに、いきなり花束なんておかしい気がする。


 出かける直前のユキムラとのやり取りを思い出した。


 ずっと悩んでいる俺を見かねたのか、ユキムラに「そもそもなんの用事で行くんだ」と尋ねられたのだ。


 わからない。


 だが彼女が話があると言っていて、俺も髪飾りを返さなければいけないので、公爵家にアポを取った。


 素直にそう答えると、まるで犬にやるような手振りで「いいからさっさと行ってこい」と追いやられてしまった。釈然としない。


 手持ちぶさたで、意味もなく制服のしわを整えたり手袋をいじっているうちに、馬車が止まった。


 初めて訪れる公爵家の屋敷は、貴族の屋敷が立ち並ぶ一角にあった。いかにも公爵家らしい威容を誇っている。


「どうぞ、こちらへ」


 屋敷の中を案内してくれるのは、いつかラナンの墓前で話した記憶のある老執事だ。俺の外套は、ハンナさんが預かってくれた。


 応接間らしい部屋でカナハ嬢が俺を待っていた。


「お待ちしておりました」

「……本日は貴重なお時間をいただきまして」


 自分で言いながら「なんだこれ、会社の面接か」と自己嫌悪した。制服を整えるより手袋をいじるより先に、まず気の利いた挨拶でも考えておくべきだった。


「あの、この髪飾りを」

「ありがとうございます。無事でよかった」


 カナハ嬢が安堵したように微笑む。


 恥ずかしいことながら、その表情を見ただけで胸がときめいた。


 いや、勘違いしてはいけない。彼女の言う「無事でよかった」とは髪飾りのことだ。俺ではない。


 自分の思い上がりを内心でたしなめていると、


「……あなたも、髪飾りも」


 まるで俺の考えていたことがわかったかのようなタイミングで彼女が呟いた。


「いつかも申し上げましたが、聖花祭ではこれをつけられなくて……本当にごめんなさい。国を捨てられない自分の立場のこともありましたが、あの夜この髪飾りを見たら、あなたはきっと私のために無理をしてしまうだろうと思ったのです。私のために何かを捨てるようなことは、やはりしていただきたくなかった」

「え」


 間抜けな声が出た。


 ちょっと待ってほしい。その言い方では、聖花祭でもこの髪飾りをつけたかったように聞こえるではないか。


 どういうことなんだ。俺にさらわれてくれるつもりがないのは、確かだと思うが……。


 極度の混乱に見舞われつつ、彼女をまじまじと見る。


 俺の視線を受け、彼女は再び微笑んだ。


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