57.熾火の跡 -4-
「……私はもう王子ではない。王位継承権を剥奪された今、ただの罪人だ」
「何それ。そんなの剥奪されたって、罪人だって、王子様は王子様でしょ?」
罪人として王位継承権を剥奪された王子は、正確に言うともう王子ではない。いくつかの爵位はまだ残っているのだろうが、第一王子と名乗ればそれもまた新たな罪となる。
わかっていないのは椎葉だけだった。周囲の人間の眼差しに気がついていないのもまた椎葉だけだった。
王子が頭を振ると、椎葉は泣きそうな顔になって再び俺のほうへ向かってきた。
「ねえ、礼人くん! 礼人くんなら助けてくれるよね? だって同じ世界から来た同士だもん。あっ、そうだ。礼人くんが一緒になんとかっていう修道院に来てくれないかな? そうしたらずっと二人で……」
あまり寄ってこられたくなくて、二三歩距離をとった。
椎葉はそれに傷ついたらしく、ますます顔を歪めた。
「なんで? なんでさくらのこと助けてくれないの……? さくらの騎士なんでしょ。いつもみたいに助けてよ! 仕事でしょ!?」
久しぶりに見た。椎葉の一人称モードだ。
結局椎葉のこの子供返りする原因はわからないままだったな。たぶん俺の知らないトラウマか何かが椎葉にもあるんだろうが、知ったこっちゃないしな。
「そう。あなたを助けていたのは、仕事だったからです。今のあなたを助けることは、俺の仕事ではない」
「なんで? 意味わかんない! わかんないよっ」
話すだけ時間の無駄だ。
ため息をついて王妃を見やると、向こうもちょっと引いたような顔で頷いた。
「竜の巫女、あなたの身柄はまずローレン公爵領の神奈備に送ります。そちらで担当者が待っていますから、指示に従ってください。それでよろしいですね、ローレン公爵代理」
「はい、相違ございません」
王妃とカナハ嬢がやりとりを交わしている間も、椎葉は子供のように何かを喚いていた。
神祇省の役人が二人進み出てくる。彼らが今回の神奈備を調整するのだ。
「では、竜の巫女」
騎士に腕を掴まれ、椎葉が神奈備のほうに引きずられていく。
椎葉を無表情で見送るカルカーン王子が目に入った。
なんとなく王子のその様子に違和感があったが、椎葉が注連縄をくぐったのでそちらに視線を戻した。
神奈備を通して別の界へ移動する様子を、俺ははじめて見た。いつも自分が使う側だったからだ。
最初に注連縄を通った部分から椎葉の体が透けていき、最終的に全身が消える。傍からだとなかなか不気味な光景だった。
椎葉を神奈備まで引きずっていった騎士が、疲れた顔で戻ってきた。騎士として荒ごとには慣れているが、暴れる女子供の対応には不慣れなんだろう。
「では次はニースダンの塔ですね」
「揺らぎからニースダンの塔までやや距離がありますが、塔自体はすぐに見えますから」
神祇省の役人がかわるがわるに教えてくれるので、頷く。だいたいの地形は覚えているし、この大荷物の中には地図も入っているので問題ない。
ではそろそろ出発しようかという段になって、カナハ嬢がこちらへ歩み寄ってきた。
「アヤト様」
「……なんでしょう」
「これをお持ちください」
視界ににゅっと現れたのは、さっきまで彼女の髪を飾っていた三日月とケープルビナだった。
まとめ上げられていたカナハ嬢の髪は、いつの間にか解かれていた。
……そうか。これを突き返すために今日身につけてきたんだ。
情けなくへこみながら目を上げると、やわらかく微笑んだカナハ嬢と目が合った。
「ごめんなさい、勝手なことを申します。この髪飾りをお預けいたします。ですから、お仕事が終わったらもう一度これを私に渡してくださいませんか? やり直す機会をいただきたいのです」
「……え?」
まじまじと彼女の顔を見つめた。
「私は、あなたがこのままどこかに行ってしまうのは、とても嫌です」
「……なんで」
そのことを。
呆然としていると、彼女は受け取ろうとしない俺に焦れたのか、ちょっと背伸びをした。
それから俺の空いている胸ポケットにその髪飾りを差した。
木漏れ日を浴びて三日月とケープルビナの髪飾りが淡く輝いている。厳つい勲章の並んでいる側とはあまりに落差が激しい。
「それから、あなたが戻ってきてくださったら、もうひとつお伝えしたいことが」
伝えたいことってなんだ? 聖花祭のときも言っていた。今更だがものすごく気になった。
それに、なんで俺がやろうとしていることに気がついたんだ?
頭の中はまだ大混乱していたが、カナハ嬢があまりにも綺麗に微笑むものだから、俺は知らずと頷いていた。
それでまた彼女が満足そうに笑う。仮面のようなあの強張った表情とは全然違う。陽だまりのようにあたたかい笑顔だった。
……困った。かわいい。どうしたらいいんだ。
いや、今はどうしようもない。
とにかく仕事だ。王子をニースダンの塔まで送り、最速で帰ってくる。それで彼女にこの髪飾りを返して、彼女の話とやらを聞かせてもらおう。
顔を上げると、周囲の人間が生あたたかい目で俺たちを見ていた。ルナルーデ王妃とジルムーン王女、ユキムラまで。
居心地が悪すぎる。ふっとカルカーン王子のほうに目をやると、王子は王子で奇妙なものを見るような顔で俺たちを見ていた。
お前までやめろ。
「……行きましょう」
神奈備のほうに促すと、王子は椎葉と違って素直に従った。
「婚約者殿のあのような顔は、はじめて見た」
歩きながら王子が呟いた。
「もうあなたの婚約者ではない」
王子が自分で捨てたんだ。
歯の隙間から絞り出すように言うと、驚いたらしく竜眼をやや見開いた。
「お前……。いや、そうだな。悪かった」
今度はこちらが驚かされる番だった。王子も謝ることがあるんだ。謝っているところなんて初めて見た気がする。
「だが、これからのことは謝らないぞ。悪いと思っていないからな」
王子と共に注連縄の下をくぐり抜ける瞬間、王子がそう呟くのが聞こえた。
……これからのこと?
王子の竜眼がきらりと光った。
その目を見た瞬間、あの夜の記憶がフラッシュバックした。
フードの下、仮面の奥で光った金の眼。後ろから突き飛ばされた衝撃。全部が鮮明に蘇る。
「真なる力……!」
叫んだその声が、神護の森に残っていた他の面々に聞こえていたかどうかわからない。俺の体はすでに別の界へ移動しつつあったからだ。
どうして忘れていたんだ。王子には神奈備の行き先を操作することなんてお手の物なのに……!
「面白いものを見せてやる。最高の喜劇だ。あるいは悲劇かな」
王子がくつりと笑った。




