12.その先で待つもの -1-
水が降ってきた。
驚いて飛び起きると、ガタイのいい若い男六人に囲まれ、俺は地面に這いつくばっていた。
バケツががらんがらんと音を立てて転がる。あれで水をかけられたらしい。
「やーっと起きたか、お坊ちゃんよぉ」
六人の中で一番人相の悪い男がにやついた顔で見下ろしてくる。着崩れたシャツといいそのゲスい笑い方といい、本物のチンピラそっくりだ。こういうテンプレートなチンピラって、異世界にもいるんだな。
滴る水が気持ち悪くて、頭を振る。
けっこうな量をぶちまけられたらしくて、全身ずぶ濡れだった。今が寒い時期じゃなくてよかった。
「悪ィな。待ちくたびれたもんで、水かけた」
「お前、悪いとか思ってないくせによく言うぜ」
男たちがゲラゲラ笑っている。たぶん俺の返事は求めていないだろう。
それより今いる場所にまったく心当たりがなかった。
ちょっと様子を見るに、どこかの裏庭といったところか。煉瓦の壁に覆われているせいで一帯はかなり薄暗い。今が夕方なのもあるだろうけど、普段から日当たりは悪そうだ。
体育館裏とか、こういう雰囲気だよな。不良もののマンガで主人公が呼び出されがちな場所だ。
「……ここは?」
「騎士団併設の訓練所」
ぼんやり呟くと、返ってきたのはレオの声だった。六人の陰に隠れていてすっかり気づかなかったが、最初からいたらしい。
「お前はこれから従騎士候補の訓練生になる。とはいえ、上に上がれるのは年に三人だけだから、狭き門だ。そいつらはお前の先輩。訓練所のことを親切に教えてくれるってさ」
「そうそう。俺たち親切な先輩なんで、手取り足取り優しく教えまーす!」
男たちは「親切な先輩」というフレーズが気に入ったのか、またでかい声でゲラゲラと笑った。
「……従騎士候補? 別に、そんなのになりたいなんて思ってない」
そう言った覚えもなかった。そもそも従騎士がなんなのかを知らない。騎士とは別物なんだろうか。騎士といえば、目の前のレオと最初にこの世界に来たときに見た二人組、それから国王の後ろにいた東洋系の男がそうだったと思うが、その程度の認識しかない。
そんなので、どうやって従騎士とやらになりたいと思うだろう。
だが、俺がそう言った途端、男たちはぴたりと静かになった。誰もが急に口を噤んで、俺を睨みつけてくる。
……なんだ?
異様な雰囲気だった。
「その言葉、ここでは二度と口にしないほうが身のためだぞ。訓練生になれる平民は、血の滲む努力を経て武功を立てたうちのごく一部だ。中には貴族の次男や三男もいるが、騎士になれなければ実家から放逐される立場の者が多い。試験もなしに訓練所に入れる者は滅多にいない。お前は、幸運なほうなんだよ」
レオがため息をつきながらそのように言った。
幸運なほうとか言われてもな……。気がついたら見知らぬ場所で、水をぶちまけられて知らない男に取り囲まれている。それを幸運に思えるなんて一体どういう種類の人間だ。
「見てわかるとおり、こいつには道義も礼儀もない。同じ訓練生として恥ずかしくないよう、よく指導してやってくれ」
「ルンハルト正騎士が直々に出張ってくる意味がわかりましたぜ。確かに、こいつには洗礼が必要だ」
男たちがじりじりと輪を狭めて近寄ってくる。とっさに後ずさったが、俺のすぐ真後ろにはもう壁しかなかった。
「時々は顔を出す。死なない程度に頼むぞ。再起不能にするのも駄目。あまり頻繁だとまた監査が入る」
「任せてくださいよ。ちょうどいい塩梅ってのを学びましたから」
……どうも、そういうことらしかった。レオが地獄と言っていたのは、これのことか。
ひらひらと手を振ってレオがいなくなると、男たちは一斉に飛びかかってきた。
口の中が血の味で不味い。それにそこら中が痛い。いや、痛いのか熱いのか、それとも寒いのか……体がどう感じているのか、もうよくわからなかった。
「今日はこの辺でいいだろ」
はあはあ息を切らしながら男が言う。それを合図に、後ろから俺を羽交い絞めにしていた別の男がようやく手を離した。
自重を支える力も残っておらず、そのまま地面に倒れ込む。立ち上がることもできない。足にも腕にも力が入らなかった。
どうしようもなくてそのままでいると、腹に誰かの足がめり込んできた。
「ぐっ、……げほっ」
思わず吐き出した唾に血が混じっている。
たぶん口の中が切れてそこから出たものだと思う。内臓の血じゃないことを祈る。
「やめとけ。こいつ、喧嘩慣れしてなさすぎる。これ以上やるとまためんどくさいことになるぞ」
「まったく、どこのボンボンだよ。なよなよしやがって」
本気の喧嘩なんて、自慢じゃないが生まれて一度もやったことがない。ボンボンのつもりもなよなよしているつもりもないが、手慣れた風のこいつら異世界人からしたらそう見えるのも当然かもしれなかった。
「なよなよっていやあ、男女の部屋に空きがあったろ。突っ込むならそこだな」
いいながら、男が俺を担ぎ上げた。それが米俵にするような適当なやり方なものだから、視界がぐるっと回る。あまりの勢いにまた吐きそうになった。
「吐いたらぜってー許さねえ」
……そう思うんなら、もうちょっとでいいから丁寧に扱ってくれないかな。