50.超越者 -1-
こうなる前に後継者を指名してとっとと引退しておけばよかったのに。死に体ででしゃばるから肝心なときに仕事ができないのだ。
愚かな王だ。同時に憐れでもある。これから何が起こるのか、この国の王なのにひとりだけ事情を知らされないで蚊帳の外にいる。
鼻先で笑ってやりたい気分だったが、やっぱり顔の筋肉はぴくりとも動かなかった。
「私はローレン公爵令嬢との婚約を破棄し、竜の巫女と婚約を結びなおすことをここに宣言する!」
そして、王子はついにそのように宣言した。
全身の毛が歓喜に逆立つような感覚があった。
俺は、その言葉をずっと待っていた。
「ローレン公爵令嬢も捕らえるんだ。兄と共謀して竜の巫女を害そうとするなど、言語道断! 相応しい罰を受けてもらわねばならん」
王子の指示を受け、残っていた騎士や衛兵がカナハ嬢を取り囲もうとする。
「させません」
俺は、傍からはまったくそう見えないだろうが、嬉々として男たちの行く手を遮った。
「アヤト様……!」
俺の背後で彼女が呆然と呟いた。
「駄目です。どうして……? だって、髪飾りは……」
横目で彼女を振り返る。
「つけてきてくださいませんでしたね」
だけど、それは別にもういいのだ。この人が俺より国を取ろうがなんだろうが、関係ない。自分の好きにやると決めたからどうだっていい。
ようやくここに立つことができた。ずっとこうしたかった。ラナンが亡くなってからここに来るまで、本当に長かった。
ずっとこの時を待っていた。待ちわびていた。
彼女の前に立ち、壇上の王子をまっすぐに見据える。
「……なんのつもりだ、アヤト」
「あ、礼人くん? なんでその女を庇うの?」
訝しげな王子とぽかんとした表情の椎葉を無感動に眺める。
なんのつもりも、なんでもない。俺は最初からそのつもりだった。
招待客がまたもざわついた。
「あの騎士は何者だ?」
「確かユキムラ殿のお弟子の……」
自分のことを噂されるのはやはりむず痒いものがあるが、外野は関心のらち外に追い出し、王子を見つめた。
「彼女が受けるべき罰なんてない。すべて冤罪ですから」
「なんのつもりだ、と聞いている」
王子の竜眼がぎらりと光った。
「裏切るつもりか!」
「君のことは気に入らないが、認めていたのに」
アーヴィンとエルネストが怒声を上げる。
同時に、王子の後方に控えていたレオが無言で剣に手をかけ、一歩動いた。
この場で抜くつもりらしい。
「少し離れていてください」
傍らのカナハ嬢が呆然としながらも頷き、何歩か離れたのを確認する。
こちらもいつでも刀を抜けるように気を張りながら、懐に隠していた黒い筒を放り投げた。
エルネストが王子に渡したあの計画書だ。
床に転がる筒を見て、王子たちの表情がさっと変わった。動揺している。
「婚約破棄に関する計画書です。今のこの状況が殿下たちの筋書きどおりであること、中を見ればすぐにわかります」
エルネストが筒に飛びつくより先にユキムラが動いた。さっと取り上げ、中身を確認する。
勢いあまったエルネストが転倒したが、誰も助け起こさなかった。
「これは……」
ユキムラはすでにその中身を知っているのに、初見のふりで驚いてくれた。演技がうまい。
「すでに写本師も押さえていますよ。竜の巫女誘拐を指示する手紙と天雎祭の招待状を偽造した男です。それからラナン・ローレンが死ぬ原因となった、神奈備の暴走に関わった神祇省の神官も」
自分の声が、思ったよりも大きくホールに響く。
「どういうことだ?」
ユキムラが再び声を上げた。
「ラナンは神奈備の暴走による事故死と断じられました。ですが、これは間違いです。俺はあの夜ラナンと共にいました。そして王子殿下によって騎士ユキムラとは別の揺らぎに送られた。あの夜殿下と共に俺たちを死地に送った神官がいます。そしてその者に然るべき場所で証言させるための準備もできています」
招待客がどよめいた。
「まさか、殿下がなぜそのようなことを」
客たちの誰もが疑問に思うであろうことを、再びユキムラが代弁してくれる。
おかげでずいぶんやりやすい。
「ラナン・ローレンを死なせることで、ローレン公爵家は喪に服すことになりました。その結果、王子殿下とカナハ・ローレン公爵令嬢の婚姻は延期された──今のように、公爵令嬢が国母に相応しくないと断じる舞台を整えるため、そして、やがて殿下が竜の巫女を娶るためです」
「では、つまりすべて殿下の計画の上だと?」
ユキムラに頷いてみせると、招待客の視線が壇上の王子と椎葉に集中した。
「辻褄が合う」
「あの騎士の言うことが正しいのでは?」
「いや、まだそうと判断するには……」
王子がぶんぶんと頭を振った。
「適当なことを! 根拠のないでたらめではないか。竜人であるこの私に疑いをかけようとは、万死に値する。死をもって償え!」
王子の竜眼がひときわ強く輝き、同時にレオが剣を抜いて飛びかかってきた。
「万死に値する、死をもって償え」の辺りに外向きの真なる力が乗っているのがわかる。レオだけでは俺には勝てないとわかった上で、援護しているつもりなんだと思う。俺にプレッシャーをかけて動きを鈍らせたいんだろう。
格下の真なる力なんて、痛くも痒くもないのに。
こちらも刀を抜いて、抜きざまのひと振りでレオの右手を撥ねた。
悪いが、今回は峰打ちじゃない。寸止めもしない。好きなようにやると決めたからだ。
肘の少し上あたりですっぱりと切断された腕が宙を飛ぶ。
そこから血が噴き上がり、同時にレオと客の悲鳴が響いた。




