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45.心のよるべ -前-

 忙しい。玄の月──十二月に入った途端、とんでもなく忙しくなってきた。そういえば、この時期は去年もヒイヒイ言っていた。


 王宮に出入りする貴族が増え、夜会が増え、そちらに駆り出される騎士が増え、人手不足により俺も揺らぎの担当に宛てられることが増えた。


 同時に聖花祭の期間に入っており、街中はお祭りムード一色になった。言わずもがな、ケープルビナの白い花がいたるところに飾り付けられるようになった。


 ……今日は、ラナンの月命日だ。


 今日ばかりは王子に頼んで休みにしてもらった。ここのところ働き詰めだったからか、意外とすんなり了解してくれた。


 ラナンの月命日だからと怪しまれることもなかった。というか、たぶん誰もラナンの命日を覚えていないんだと思う。


 非番なので、今日は制服ではなく私服だ。


 箪笥から上着を取り出そうとして、一番奥にしまい込んでいたベルベットの小箱が不意に目についた。いつかラナンと出かけた際に購入した、ケープルビナと三日月の髪飾りだ。


 花言葉があるんだったっけ。確かあなたを見ているとか、あなたを忘れないとか、そんな熱烈な花言葉。


 何度も箪笥を開けているはずなのに、今の今まで完全に存在を忘れていた。


 俺は、なんとなくその小箱を上着のポケットに突っ込んだ。お守りと言ってはなんだが、これを持っていれば彼女ともうまく話せる気がした。


 馬車は墓地のやや手前で降りた。


 雪を踏みしめて歩く。雪の積もった石畳を歩くのもずいぶん慣れてきた。


 ラナンが亡くなってもう十か月近くが過ぎていた。だというのに、俺がここに来るのはまだ二度目だった。


 我ながらなんて薄情な人間なんだと思う。


 あの日──レナル・ローレン当主代理とカナハ嬢に墓前で会って以来、一度もラナンの墓参りに来ようと思ったことがなかったのだから。


 墓地の入り口で一度足を止め、どんよりとした雲の立ち込める空を見上げた。灰色の雲からは、雪が絶え間なく降っている。


 こうして空を見ることもずいぶん久しぶりな気がする。


 今までどれだけ余裕がなかったのか。あまりに情けなく、ため息が出た。その息がすぐに真っ白く凍る。


 ……うじうじしていても仕方ない。行こう。


 足を向けた先には、小さな人影がふたつ佇んでいた。見間違うはずがない。カナハ嬢だ。後ろに控えているのは、夏に会った覚えのあるあの侍女だ。


 ここで会えるとは思っていなかったが、よかった。公爵家の屋敷に不法侵入する必要がなくなった。


 故意に足音を立てると、侍女のほうが顔を上げて振り返った。「お嬢様」と注意を促す声がする。


 墓に向かって目を閉じていた彼女が、こちらを向いた。


「……どうしてこちらに」


 呆然と呟く彼女に花束を掲げて見せた。


「墓参りです」


 侍女が何か言いかけて口を開閉させたが、俺とカナハ嬢を見比べ結局何も言わなかった。そのまま彼女の後ろに引き下がり、口を噤んでいる。


「遅くなってしまいました」


 真新しい花束の隣に自分の持ってきたものを供える。そうしてしゃがみ込むと、日本にいたときにしていたように、手を合わせて目を瞑った。


 ……ずっと顔を出さなくて悪かった。忘れていたわけではないんだけど、俺には墓参りできるような資格なんてないと思っていたんだ。


 今、どうしているかな。もう次の生を得て旅立っただろうか。それともまだこちらを見ているかな。もし見ているなら、煮え切らない俺にさぞやきもきしているだろうな。


 今なら神様に愛想を尽かされた理由がわかるよ。


 お前のためって言いながら、俺はずっとお前のせいにしていたんだろう。言い訳のダシに使って、悪かった。


 もしかして、やきもきするどころか怒っているかな? お前も意外と短気だからなぁ。


 ……当然のことながら、答えはない。


 目を開けて立ち上がる。カナハ嬢と正面から向かい合った。


「今のは……?」

「俺が前にいた場所では、ああして故人や神様に祈るんです」


 とはいえ、祈りの仕草は宗教によって違うだろう。


 カナハ嬢は「そうでしたか」と静かに頷いた。


 それからちょっと苦笑いじみた微笑みを浮かべて、「あなたは、もうこちらに来られるつもりがないのかと思っていました」と言った。


 カナハ嬢は、俺のことを薄情で冷酷な人間だと思っていたかもしれない。いや、そう思われていても仕方がない。


 学園で再会した当初の彼女の強張った表情の意味が、今なら少しわかる。


 訓練生時代の俺と騎士になった俺は、別人なのだと思っていただろう。彼女は俺が王子の血を飲んだと思っているのだから、当然だ。


 あのときの彼女はきっと、騎士になった俺にあえて初対面であるかのように振る舞っていた。


「……こうして墓前に立つ権利も、資格も、何もないと思っていました。あなたに合わせる顔がないとも」

「弟を助けられなかったから?」

「……ええ」


 俺が頷くと、沈黙が落ちた。


 雪がしんしんと降っている。


「私は、あなたのせいではないと申し上げました。ご自分の道を行ってくださいとも」

「ええ」


 もう一度頷く。


 今ならわかる。あれは彼女の本心だった。噓偽りなく俺のためを思って、ああ言ってくれていた。


「さて、アヤト様。いつかの答えあわせをいたしましょうか」


 俺は何度か深呼吸をし、ポケットの中の髪飾りを意識した。


 口を開く。


「……あなたは、俺がラナンの仇討ちをしようとしていることにお気づきだった。そして俺にそうして欲しくないと思っていた」


 つまり、カナハ嬢は自分たち姉弟のために俺が何かを犠牲にしたり、何かを捨てたりしないでほしいと思っている。


 王子が自分との婚約を破棄しようとしていることも、罠にかけようとしていることも知っていて、それでも俺を頼ってくれなかった。


 そうすれば俺がこの国で得た立場や騎士としての身分を失うと思っていたから。立場も身分も、俺はとっくのとうにどうでもいいと思っていたのだが、この国の貴族として生まれ育った彼女はそうは思わなかった。


 ……恐らく嫌われてはいないだろう。というか、どういう種類であれ多少なり好意を抱いてくれていると思う。


 カナハ嬢は苦笑を浮かべた。


「あなたが弟の死に囚われているのはわかっていました。弟のことはあなたの責任ではないし、あなたには私を助ける義務もないのに」


 だから彼女はあのときラナンの呪いだとまで言ったのだ。彼女に亡くなった弟のことをそこまで言わせてしまったのは俺だ。


「……噂で聞きました。王女殿下のエスコートを頼まれておいでなのでしょう。とてもよいお話だと思います。ゆくゆくは爵位を得て──」

「そのお話は先日お断りしました」


 無作法なことで悪いと思いつつ彼女の言葉を遮る。


「……お断りした?」

「ええ」


 彼女はとんでもなく驚いていた。目をまん丸く見開いて俺を見ている。夜色の瞳がこぼれ落ちそうだ。


「なぜ?」

「好きな人がいるから、その人以外のパートナーは務められませんと申し上げました。妃殿下も王女殿下もご納得くださいました」


 じっと彼女を見つめる。


「……好きな人?」


 彼女は訝しげだ。


 対する俺は、案外冷静だった。


 そして、


「他でもない、あなたのことです」


 言った。ついに、言った。


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