42.隧道の果てに -2-
「ちょうど玄の月に施療院の訪問があります。サクラ様にはこの日に誘拐されてもらいましょう。前回の写本師にまた手紙を作らせてください。今度はレナル・ローレンの名で」
「ああ、あの招待状はよかった。アーヴィン、犯人役の手配とあわせてもう一度頼めるか?」
「もちろん」
写本師を泳がせてもらっていてよかったと思った。ユキムラの部下はここまで見越していたんだろうか。だとすれば優秀すぎる。
ただひとり、エルネストだけは少し悩んでいる様子だったが、それ以上反対はしなかった。
「目撃者は作っておいたほうがいいだろうな。そのほうが信憑性がある」
「……だとすると、レオとアヤトは護衛につかないほうがいいですね。騎士が護衛対象をさらわれるだなんて現実味がなさすぎます。一般の兵を手配します」
兵士の隙をついて攫われた椎葉を、俺とレオが助けにいく。初動が早くすぐに発見できたので竜の巫女は無事。そういう筋書きで行くことになった。
「……好きな人と結婚するだけのことがこんなに大変だなんて、やっぱりこの世界ってちょっと変」
話を聞いていた椎葉が、思いつめたような表情でぽつりと呟く。
「すまない、サクラ。この国の因習のせいで苦労をかけている。そもそも、父上だって占いに無関係な超越者の子なのにな……」
「えっ」
また因習がどうのこうの言うのかと半ば呆れていたのだが、思わぬことを聞いて驚いた。
今、なんて言った。
エルクーン国王の生母が超越者と言ったのか?
「どうした?」
王子がこちらを振り返った。
「……あ、いえ。陛下が超越者との御子であったと、初耳だったので」
国王の母親が超越者だなんて、今はじめて聞いた。
従騎士時代の教養の授業では、エルクーン国王のその生母について習うことがなかった。ルナルーデ王妃の経歴について調べたときも、そんな情報は出てこなかった。
国王の年齢が百歳ということもあり、詳細な資料が残っていないからなのかと思っていた。
百歳。そういえば、この世界に来て一番初めのころ、百年ぶりの超越者だとか言って歓迎されていたんだったな。俺ではなく、おもに椎葉が。
背筋が粟立った。
では、俺たちの前に現れた超越者がエルクーン国王の母親だったのだ。国王が最初から俺に好意的だったのは、もしかしてそのためか?
「ああ、そうか。確かに一般的にはあまり知られていないな。父上は先王の四番目の子であり、先王最後の妻であった超越者との御子なのだ」
……知らなかった。
思い返してみれば、超越者が王族の後添えになった実績があると聞いたこともあった。どうして今までこのことに思い至らなかったんだろう。
ふと、疑問が湧いた。
そもそも超越者って何だ? なんで俺以外の超越者はみんな女ばかりなんだ?
神様に会いたい。会って超越者のことを聞きたいし、ひとつどうしてもお願いしたいことがあった。
だけど喧嘩別れしたようなものだったから、いざ会うとなったら少し気まずいかもしれない……。
その夜、久しぶりに例の真っ暗な界に呼び出された。目を開けると、神様が竜の姿で待ち構えていた。
「多少は見られる面構えに戻ったな。このまま悩み続けるようであればどうしてやろうかと思ったぞ。血をくれてやったことを後悔しかけていたところだ」
神様が鼻息をふんっと吐いて偉そうに胸を張った。
以前とまったく変わらないその様子に、緊張がほぐれた。
もう怒っていないんだろう。
いや、一応は神様であるこの人が、怒ることなんてそもそもないのかもしれない。あれは怒っていたのではなくて、見限られかけていただけだろう。
「……師匠の血の主のこと、わかっていて黙ってましたね」
「然るべき時が来ればユキムラ本人が告げるだろうと思っていたからな」
その口ぶりに、急にひっかかるものを感じた。
……この人、そういえばユキムラのことだけは最初からずっと名前で呼んでいるよな。
基本的に神様は人間の名を覚えていない。ラナンのことだって坊主坊主と呼んでいたくらいだ。たぶんカナハ嬢のことだって一度も名前で呼んだことがないと思う。
いや、違う。ユキムラだけではない。
神様が名前で呼ぶ人がユキムラ以外にもうひとりいる。
……ジルムーン王女だ。
思えば、王女のお披露目の直後から、神様は彼女のことをずっと名前で呼んでいた。
「神様、確かジルムーン王女の名前も覚えてましたよね」
「ん? ああ、まあな……」
神様は珍しく口ごもると、ふいっと視線を逸らした。露骨だ。この人はきっと腹芸ができないタイプだ。
「神様。俺、あなたの眷属なんですよね。教えてくれますよね」
ここまで来て隠しごとはなしだろう。
食い下がると、神様は「ええい、わかったわかった!」と自棄になったように声を上げた。
それから右手をさっと一振りし、周囲の景色を一変させた。
真っ暗の界から今度は見晴らしのいい野原へ。すぐ近くには小川が流れ、その上にはこじんまりとした四阿があった。
「話せば長くなる」
そう言いながら四阿のほうへ歩いていくので、俺もそのあとを追った。
「お主、超越者が女ばかりであることを疑問に思わなんだか」
再び手を一振りしてお茶を用意すると、神様はおもむろにそう語り始めた。
「思いました。男の超越者は俺が初めてだって聞いたときから、ずっと気になっていた」
女ばかりと聞いたときは、神様が女好きだからかと思った。初めて聞いたのは、この世界に来たばかりのころだ。もうずいぶん前のことのように感じるが、まだあれから一年も経っていない。
そしてつい先日も王子たちと話していて疑問に思った。そのことを神様に聞きたいと思っていたのだ。
「あれらは皆、あるひとりの女の生まれ変わりだ。我はな、ヒトの姿で現し世を旅した時期があった。今から……そうだな、千二百年くらいは前であったかな。女とはそのときに出会い、しばらくを共に過ごし、子をもうけた。まあ、そのときの子がお主の今いる国の祖でもあるわけだが」
ものすごくあっさり説明されたせいで、一瞬「ふーん」と流しそうになった。




