39.師と弟子 -3-
「私は、君を止めるつもりはないよ。君がラナンの仇を討ちたいと思う気持ちはわかるし、それが間違いだとも思わない。東の国の人間としては、君には正当な権利があるとすら思う。だが、当の君がそう思ってはいないな。今の君には、迷いがあるだろう」
どろどろと滾る王子への憎悪を、ユキムラは否定しなかった。それどころか、間違っていないとまで言う。
復讐なんて虚しいだけだからやめろと言われると思っていた。だから誰にも言わずにここまできた。ユキムラは俺がしたいことなんて最初からわかっていたようだが……。
とにかく、反対されると思っていた復讐をこうして「正当な権利」があると言われ、気が抜けた。
自分でやろうと思っていたことなのに、ここまで言われると逆に「復讐に正当な権利もくそもないだろう」と反論したくなってくる。
「立場上、様々な仇討ちを見届けてきたが、君のように迷いながら人を斬った者は皆、最終的に自分で命を断ったよ」
「……そうですか」
驚きはしない。
王子を殺したあとの自分が幸せに生きているような未来はまったく想像しなかったし、別に幸せになろうだなんて思ってもいない。
というか、カナハ嬢の将来を整えて少しだけ王女の手助けをしたら、それでもういいと思っていた。
そのあとのことを考える資格もないと思っていた。
例えば自分の命を守るためであったり、仕事として人を殺すのであれば話は別だと思う。
だが、これは違う。俺のこの気持ちは、結局のところただの私怨なのだ。
無事にやり遂げたところできっと何も残らない。
……いや、残るか。ラナンを助けられなかった後悔と王女に対する罪悪感だけは、きっとずっと残るだろう。
そんなことは俺だって最初からわかっている。
「仇討ちには反対しない。それどころか協力する心算がある。だが個人的な希望を言わせてもらうなら、私は君にはそうした最期を迎えてほしくない。世を捨てるには、君は、まだあまりに若い」
ずいぶんと好き勝手なことを言ってくれるものだ。俺がラナンの仇を討ったそのあとにどうするかなんて、俺の勝手だ。
口には出さなかった。だが俺のやや不貞腐れたような態度から察しはついたらしく、ユキムラは再び苦笑いを浮かべると、
「ラナンが死んだあの日、王子と神奈備にいた神祇省の役人を見つけた。それと招待状を偽造した写本師にも当たりをつけている」
さらに爆弾発言をかました。
「……えっ?」
素で聞き返してしまった。
「神祇省の役人については、既に私の麾下が確保している。その者に証言させる用意もある。他に人手が必要なことがあれば言いなさい」
あの夜の男が見つかっていたのか。正直もう見つからないものだと諦めていたのに。
「これでもまだ私は信用に足りないか?」
ユキムラはさっきのことなんてまるで嘘かのように、穏やかな顔をして俺を見下ろしていた。
信用していいのか。俺の知っていることを洗いざらい打ち明けてもいいのだろうか。
確かに人手は足りていない。俺があともうひとりか二人くらいは必要なくらい足りていない。
王子に復讐したいという俺の気持ちを知った上でこのように進言してくれるのなら、あるいは信じてみてもいいのかもしれなかった。
「……殿下は、レナル・ローレンを公爵にするためにラナンの出自を暴露しようとしてるんです。現当主よりもレナル・ローレンのほうが動かしやすいから。最終的にはレナル・ローレンに椎葉を誘拐させて、それを理由に婚約を破棄しようとしている」
「なるほどな。まずはその記事を差し止めるべきだな。私の部下は情報収集の玄人ばかりだし、陛下がああなられた今、私の裁量で他の側近を動かすことも可能だ。その辺りのことは任せておきなさい」
ユキムラは口元に笑みを浮かべると、俺の肩をばしんと叩いた。
「だから、君は早まるなよ。お倒れになったとはいえ、陛下は今すぐに亡くなるわけではない。むしろあと半年はもつのだと考えろ。そういう意味では、竜人の死期というのは読みやすい」
半年はもつ。相手は国王だというのにあまりに遠慮のない口ぶりだった。くたばりかけと言い放った前科のある俺も、他人のことは言えないのだが。
「これまで様々な仇討ちを見届けてきた。果たした者も、果たせなかった者もいる。それと、さっき迷いながらでは人を斬れんと言ったが、あれは嘘だ」
嘘だったのかよ。
めちゃくちゃ真剣な顔で言っていたのに。
「君は迷いながらでも人を斬れるだろう。それだけの力がある。だが、陛下は明日すぐに亡くなるわけでなし、事態は何も変わっていない。だったら、別に今でなくともいいだろう? 今しばらく自身の迷いと向き合ってみても悪くないはずだ」
「……はい」
頷きながら考える。
それも、悪くはないかな。
俺は迷っていた。そのことについて、もう疑う余地はない。
カナハ嬢と話したから迷いはじめたわけではないのかもしれない。たぶんそのずっと前から俺は迷っていた。彼女は、俺が目を背けつづけてきた迷いを浮き彫りにしてくれただけだ。
やろうと思えばすぐにでもできるのに、ずっと王子に引導を渡すことを避けてきた。
王子を殺せないなら殺せないで、すぐに次善の策──自分の血の主を明かした上で王女に血を飲ませればよかったのに、それもしなかった。
叙任式の日に名前と一緒に捨てたつもりでいた現代日本で培った感覚が、それら全部を拒んでいたのだと思う。




