38.師と弟子 -2-
「試してみるか。それもいいだろう。抜け、アヤト」
俺の考えていることなんて全部お見通しだと言わんばかりに、ユキムラは鼻先でせせら笑う。
俺はまじまじとユキムラを見た。今、なんて言った……?
「抜け、と言ったぞ」
言いながら、ユキムラのほうはすでに刀を抜いていた。なんの躊躇いもなくすらりと。
昼ひなかの光を浴びて刀身が光る。眩しい。
目を細めつつ、こちらも釣られるようにして刀を抜いた。
それでも自分から仕掛ける気にはなれず、正眼に構えながら相手を見つめる。
本当にこれでいいんだろうか。
まだ混乱していたが、とっさに大きく飛び退った。ユキムラがいきなり斬りかかってきたからだ。
……この人は、本気だ。
避けたところへすかさず突きが迫ってくる。
避けきれない。
刀で弾く。硬い衝撃があり、金属のぶつかり合う音が回廊に響いた。
鍔迫り合いになる。互いの力が拮抗しているせいで、重なった二振りの刀が震える。
ユキムラの視線がまるで俺を貫くように鋭い。俺は思わず目を逸らした。
気持ちで負けている自覚はあった。それでも、渾身の力を込めてユキムラの刀を弾き返す。
「どうした。そんなものか」
ことさら嘲るような口ぶりでユキムラが言う。
「やる気があるとは到底思えんな。王子を弑するとは口だけか」
「そんなわけない! 俺は、本気で……!」
「ならば、本気でかかってこい。私を倒さねば王子は殺せんぞ」
ぐっと息を呑んだ。そうだ、この人を斬らなければ王子を殺しにいけない。そもそも向こうは本気なんだ。やらなきゃやられる。
刀を構えなおして今度はこちらから斬りかかる。
キン、と鋭い金属音が響き、易々と弾かれた。
「っぐ……!」
あまりの衝撃に歯の隙間から呻き声が漏れた。一瞬体勢を崩した。
ユキムラの刀がぎらりと閃き、すぐそこに迫ってくる。
防げるか?
──駄目だ、間に合わない。
致命傷にならないよう体を少し動かすことくらいしかできない。
次の瞬間、自分の血がぱっと弾け、目の前が真っ赤に染まった。
思わず膝をついたが痛みを感じるよりも傷がふさがっていくほうが早かった。怪我の治る過程を録画して、早送りで見ているような光景だった。
それ自体がわりと衝撃的だったが、それよりも俺は、自分が負けたという事実に打ちのめされていた。
完全に、負けた。
「負ける気がしない」だなんて自信満々に言った過去の自分が恥ずかしい。可能なら蹴り飛ばしにいきたい。
ユキムラは深いため息をついて刀を鞘に収めた。
「君の剣には迷いがある」
「迷い……」
否定はできなかった。カナハ嬢と話したあの日から、俺はたぶんずっと迷っている。
「その迷いを捨てないかぎり、人など斬れん」
ごもっともだ。
納得しつつ、ちょっとした疑問が生じた。
なんでユキムラは刀をしまったんだろう。
ユキムラの立場なら、俺のことは殺してでも止めるべきだ。今のとおり多少の傷なら治ってしまうようなので、殺せないにしても拘束なりなんなりするべきでは……。
「なんで、俺を殺さないんですか」
「……君はいろいろなことを勘違いしているな。私の血の主は国王陛下ではないし、そもそも東の国では仇討ちは合法だ。止める理由がない。ましてせっかく育てた弟子を自ら殺すなど」
えっ。
ユキムラを呆然と見上げる。
ユキムラは、苦笑いを浮かべて俺を見ていた。
まさか飛び散った自分の血を自分で掃除する日がくるとは思ってもみなかった。
目撃者が誰もいないとはいえ、王宮内での刃傷沙汰はご法度だ。騎士は武装を許されているものの、そこで私闘したなんてばれたら当然ただでは済まない。
証拠の隠滅は大事だ。師匠であるユキムラに掃除をさせるわけにもいかない。だから、自分の血の跡を雑巾でせっせと拭いている。
頭上からユキムラの声が降ってくる。
「まあ、誤解するのもしょうがないな。自分の血の主のことなど、君には言っていなかったからな」
そうだ。国王の側近騎士だから、ユキムラの主は国王だとばかり思っていたのだ。というか普通はそう思うだろう。
「師匠の主って……」
「東の国に、たまに湯治に来る竜だ」
竜。そうきたか。
っていうか、竜って湯治するものなのか……。
温泉に浸かってほかほかしている神様の姿を想像してしまい、急に緊張感がなくなってしまった。
咳ばらいをして、気を取り直す。湯治のことは聞かなかったことにしよう。
ユキムラの主については、言われてみればそんなヒントはあったように思う。
こう言ってはなんだが、国王の血をもらった騎士はみんなそんなに強くない。というか弱い。一方のユキムラは、国王の懐刀にして最強の騎士と言わしめる実力の持ち主なのだ。
そのことをなぜ疑問に思わなかったんだろう。
いや、でも、東の国に竜がいるなんて思ってもみないじゃないか。竜や精霊はみんな上の界にいるんじゃないのか。そんな騙し討ちのようなことがあっていいのか。
しかも湯治って……。
「いつ君が本心を打ち明けてくれるか、ずっと待っていた。だが、いよいよ時間がなくなってきたのでな。荒療治に打って出たというわけだ」
確かにさっきのは荒療治だったな。




