32.うしろ向きの肖像 -3-
こっちはいきなり異世界に放り込まれてただ必死だったのだが、王子は王子で思うところがあったらしい。だからなんだよと思いつつ、黙って頷く。
「私の目を見ても、今はもうなんともないだろう? そういうものだ。私の周りにはな、恐怖しつつも私におもねる者か、私の血を飲んだ騎士か、もうずっとそのどちらかしかいなかった」
王子はそう言いながらレオを見やった。
「唯一の友人は、幼いころ私を庇って死にかけた。いや、あれは棺桶に片足を突っ込んでいたな。助けるには血を飲ませるしかなかった。……いまだに、あのとき血を与えたことを少し悔やんでいる」
王子が言うところの友人──レオが頭を振った。
「俺は殿下をお助けしたこと、後悔してませんよ」
「お前はそうだろうさ。私とてお前を助けられてよかったとは思っている。だが、目覚めたお前は私に小憎たらしい口をきくことも、反発することもなくなった。お前は私の意思を正しく汲み、私の思ったとおりに行動する優秀な騎士になった。一方で、わかるか? 私は唯一の友人をあのとき確かに失ったのだ」
そうらしい。
俺は以前のレオを知らないのでなんとも言えない。だけど幼い王子にはそこそこ衝撃的な出来事だったんだと思う。
……俺も、王女の変わりようを見たら王子と同じような気持ちになるんだろうか。
「これは呪いだ。この血に宿る竜の呪いだ。この目がなければ、私はもっと自由に生きられただろう」
「そんなこと言わないで! 私はカーンのその目、本当に綺麗だと思うもん。カーンのその目、全部ひっくるめて私はカーンのことが好きだよ」
目を潤ませたままで椎葉がそう言うと、カルカーン王子はふっと微笑んだ。
「……サクラ、お前だけだ。お前だけが私の目を怖れない。それがどれだけ得難いことか」
そういえば、椎葉は最初から王子の目を怖れてはいなかった。会ったすぐそばから「目が綺麗!」と喜んでいた。
王子の話を聞くかぎり、あれは王子が椎葉に最初から惚れていて、敵対心も警戒心も抱いていなかったからじゃないかと思う。
「だから、私は何があってもサクラを失うわけにはいかない。アヤト、昨日のお前の判断に感謝する。今後とも頼むぞ」
考えていることはおくびにも出さず、王子の目を見てしっかりと頷く。
こじつけ以外の何物でもなかったが、王子には好評でよかった。
なんとなく王子の思考回路が読めてきた気がする。
結局のところ、こいつは椎葉が無事ならなんでもいいんだろう。こいつの世界は、自分と自分の眷属、そして椎葉だけで構成されている。俺とラナンをあっさりと異形の餌にしようとしたあたり、それ以外の人間なんて別の生き物だと思っている節すらある。
思考回路はだんだんとわかってきたが、やはり理解はできないと思った。
ひととおりの現状共有を終えると、王子とレオはそろそろ王宮へ帰ると言い出した。
王子と椎葉はお互いに別れを惜しみ、馬車の前でしっかりと抱き合っている。どうせ一週間もすればまた会うのに大げさすぎる。
ぼんやり二人を眺めていると、不意にレオが隣に並んできた。
「ちょっといいか?」
どことなく思い詰めたような表情だ。先程もずっと口数が少なかった。この男にしては珍しいことだった。
「いや、お前すごいよなと思ってさ」
「……はぁ」
いきなりで意味がわからず、間抜けな声が出た。
「サクラ様の件だよ。尾行されてた公爵令嬢を見て、すぐエルネストとアーヴィンの仕業だってわかったんだろ? それでサクラ様のために動いた」
椎葉のためではまったくなかったが、肯定しておく。
「尾行に後詰めまで用意するなんて、素人には思いつきもしません。あまりに手馴れすぎている。アーヴィンの家は裏稼業に通じていると聞いていたので、それでもしかしたらと」
「ほんと、恐ろしいくらいに勘が冴えてるな。同じ場面を俺が見ていたとして、お前のように行動できていた気がしない」
レオは憂鬱そうにため息をついた。
「お前の説明を聞いたら、全部理解できるんだよ。ああ、サクラ様のためには必要なことだなって。だから殿下もお前を評価した」
それからちょっと遠くのほうに視線を向け、「俺には出来ないんだよ、そういうの」と呟いた。
レオには、王子の考えていることがだいたいわかる。だから王子がやりたいことを先回りして実行したり、逆に王子が起こって欲しくないと思っていることを先に潰しておくことができる。
「だけど、殿下が予想していなかったり思い至っていないことについては、てんで駄目なんだ。今回のことだって、お前の話を聞いてやっと『あー、なるほどな』って思ったくらいだし」
遠い目をしていたレオが不意にこちらに視線を戻した。
「いずれお前のほうが重用されるようになる気がする。殿下に本当に必要なのは、俺みたいなのじゃなくて、お前みたいに自分で考えて動けるやつなんだろう。ああ、別にだからどうってわけじゃないんだ。ただなんとなく話したかった」




