10.昼の底、夜の底 -前-
眠れない夜が続いた。
元の世界へのよすがを失うということが、思っている以上に堪えたらしい。
寝なきゃいけないと思えば思うほど、どつぼにはまっていくような心地だった。瞼を閉じると、家族の顔が思い浮かんでどうしようもない。
やっと寝れたと思うと同じ夢ばかり見る。
母親が泣いている。姉はその肩をさすって、自分が泣くのを耐えている。父親は二人の傍らで目頭を揉みながら何事かを話している。
その世界のどこを探しても俺はいないんだよ。諦めていいんだ。というか、頼むから諦めてくれ。
何回言ったって、俺の声は届かない。
こんなの悪夢以外のなんでもない。こんな残酷な夢を見るくらいなら、いっそ眠れないほうがましだ。
一度そう思ってしまうと、今度は本当に寝れなくなってしまった。
夜は一人きりの静かな地獄。
昼もまた別の意味で地獄だった。
「時間だ。出ろ」
見張りの兵がずかずかと部屋に入ってくる。こいつらは、出ろと言うわりに俺が出ていくのをきちんと待っていたことがない。ちょっとでも遅いと思うと腕をつかんで強引に立たせようとする。
一度抵抗してみたときにひどく殴られたので、こいつらには大人しく従うようにしている。そのほうが痛い思いをせずに済むので楽だ。
あの日以来、異世界聴取は俺一人で受けることになっていた。
連れていかれる部屋は、いつか想像した警察署の取調室とそう変わらない。窓は一つきり、中央に俺専用の小さい椅子があって俺だけが座らされる。
立ち会う事務官はその日によって様々だったが、カルカーン王子とレオだけは、短時間であっても律儀に毎日顔を出した。
目の前には見たくもない二つの顔が並ぶ。
こいつら、他にすることないのかよ。
「……王族とか騎士って意外と暇なんだな」
思ったことがうっかりそのまま口から出てしまった。この二人が相手だと俺もあまり冷静ではいられない。
「こいつ!」
レオはけっこう短絡的だ。軽い挑発ですぐに拳なり蹴りなりが飛んでくる。そうとわかっていても、つい憎まれ口を叩いてしまう。俺もたいがい参っているらしい。
今日は蹴りのほうだった。
「ッぐ、ごほっ……おえっ」
たぶん加減はしているんだろうが、ちょうど鳩尾に入ってしまったようで、朝に食べたものが逆流してきた。
とはいえ、固形物は味がわからないしあまり喉を通らないので、ほとんど胃液みたいなもんだ。それでも喉が焼けて、ついでに特有の饐えた臭いがする。
「こいつ、吐きやがった。くそっ、靴が汚れただろ」
「馬鹿者、もう少し加減しないか。騎士としての力を自覚しろ」
一度暴力をふるうことで溜飲を下げたらしいレオが、王子に窘められたのもあり、余裕を取り戻したように笑みを浮かべる。
「そーでした。この人、か弱い上に貴重な超越者サマなんでした。死なせたらまずいんでしたね」
「殺すな、目立つ場所に傷を作るな。最初にそう言ったな」
「それはわかってますって。じゃあ、気を取り直して。事務官さん、もう一回質問をどうぞ」
事務官は何秒かの間のあと慌てて我に返り、
「っはい! えっと、スマホなるもののバッテリーの構造についてお聞きしたいです。新しく製造できれば既存のスマホの充電が可能になります」
と同じ質問を繰り返した。
その様子から、彼らはあくまで普通のサラリーマンで、暴力をを見慣れているわけではないんだろうと思う。
椎葉のスマホがついに使えなくなったらしい。充電したいと毎日椎葉がぼやいているようで、その望みはなんでも叶えたい病の王子の要請もあり、喫緊の課題はスマホの充電ということになったみたいだ。
俺としては知ったこっちゃないんだけどな。だって俺のスマホ、こいつらに取り上げられたままだし。
「だから、わからないって言ってるだろ。リチウムイオン電池とかいうらしいけど、それ以上のことは知らない」
それを説明できる高校生が世の中に何人いると思っているんだろう。
そもそもだけど、バッテリーを作るより充電ケーブルの代替品を作って充電する方法を確立するほうが早いんじゃないのか。
電気そのものなのかはわからないけど、電気らしきものはあるっぽいんだし。まぁ、部屋と取調室の往復しかしないから詳しくはわからないんだけど。でも、意外と文明は進んでいるように思う。水洗トイレに驚かされたのはまだ記憶に新しい。
というかスマホを使いたがってるのは椎葉なんだから、俺じゃなくて椎葉に聞けよ。どうせ日がな一日菓子食ってるだけで暇だろ。
結局、ニ時間ほどリチウムイオンどーのこーのの話をしたもののなにも進展せず、今日もお開きになった。
果たしてこの時間に意味はあるのか……? 疑問だったが、解放されるなら万々歳だ。腹の立つ面々から解放されて、早く一人になりたい。
……ところが取調室を出たところでは、
「カーン、レオくん! 礼人くん! お話し合い、やっと終わったんだね!」
見たくもない顔その三が待ち構えていた。
「サクラ、どうしてここに? 部屋で待っていてよかったのだぞ」
「誰もいないんだもん、すぐに飽きちゃうよ。一人じゃ寂しいし。スマホが使えたら暇つぶしにはなるんだけど」
すなわち、椎葉さくらである。
リチウムイオン電池が執筆当時話題だったのでつい