9
バス停からは、歩いて10分程で着いた。東大キャンパスの敷地に入るまで5分。それから敷地内を歩くこと5分。大学構内まではヒーロー試験やその後の座学を受けるために何度も入っていたが、案内されたエリアはまだ七星にとって未踏の場所だった。
そして、立ち並ぶ研究棟のうちの1つで、光星は足を止めた。白くて窓の少ない、巨大なサイコロを積み上げて作ったような建物。研究施設にありがちな、美的センスを徹底的に排除して合理性を突き詰めたようなデザイン。
「ここなの?」
「ああ、ここが『ラボ』だ。たぶんもうすぐお迎えの人も出てくる」
すると光星の言った通り、男が1人施設から出てきた。
黒のシャツにデニムを履いて、顎髭を短く生やしている。首から入館証らしきカードを下げているので関係者だとわかるが、見た目はその研究棟の雰囲気からは明らかに浮いていた。研究者というよりは、実業家に近い空気を醸し出している。
そんな彼を見つけて、光星が手を振る。それに気づいた実業家風の男も、爽やかな笑顔で手を振り返した。
「お疲れ様です、マサトさん」
「よう光星。今来たとこか? 余裕の10分前行動、感心だな」
2人のやりとりをじっと七星が見ていると、ぴったり男と目が合った。同じ爽やかな笑顔を七星にも向ける。
「君が、新しいヒーローか?」
新しいヒーロー。
その言葉の響きだけで、七星の心はきらきらときめいた。ついにやけそうになる口元に、ぐっと力を入れて噛みしめる。
「神崎七星です、よろしくお願いします」
「俺は葛城万里。万里の長城の『万里』と書いて『マサト』と読む。だから呼ぶ時はマサトでいい。よろしく」
「マサトさんはサイバーヒーローズ計画の実質的なリーダーだからな。七星もわからないことがあったら、マサトさんにいろいろ聞くといい」
「よせよせ、俺なんてただの裏方さ」
光星と話している万里は、実にフランクだった。組織のリーダーというよりも、運動部の頼れる先輩、という印象が強い。
「じゃあ、俺が案内するからついて来てくれ。もうお偉いさんは、首を長くしてお待ちだ」
「お偉いさん? マサトさんの上司ってことですか?」
七星の問いに、半分困ったような苦笑いを浮かべながら万里は言った。
「んー、合ってるような合ってないような……でも、あいつがこの計画の核になる部分を司っている、と言っても過言ではないけどな」
正面の自動ドアが開き、万里を先頭に室内へと進んでいく。
「お兄ちゃんは、その人に会ったことあるの?」
「もちろん。今でも何かと顔を合わせるけど……初対面だと驚くだろうな、いろんな意味で」
「いろんな意味?」
「そこは、会ってみればわかるさ」
清潔感を押し固めて作ったような廊下を抜ける。守りの堅そうな鉄扉を、万里がカードキーで解錠してさらに施設の奥深くへ。
「そういえば、バーチャルなのにカードキーを使うんですね? カードとか通さなくても手続きできそうなのに」
「カードとかそういう現物のあるほうが、セキュリティのレベルが高くなるんだ。仮想空間で『現物』って表現を使うのも、おかしな話だがな」
そう言って、万里は苦笑いを浮かべた。
そして、一行は施設の最深部へ近づいていく。
サイバーヒーローズ計画の中心を担う存在。その彼、あるいは彼女がどんな人なのか。七星の興味もまた深くなっていく。
「到着だ」
3人は今まで通った中でも特に分厚く頑丈そうな扉の前に立った。その重厚感はもはや、核シェルターの入口のようである。
「これから、ヒーロー候補生・神崎七星にヒーローアバターを授ける」
これから戦場にでも向かうかのような緊張感。扉やその周囲から発せられるプレッシャーに、七星は気圧されそうになる。
「心の準備はいいかな?」
「は、はいっ」
少し、声の上ずってしまった返事。それに頷くと、万里がカードキーにパスコード入力に指紋読み取りと様々な認証を受けて解除していく。
ついに、重い扉が開いた。
そこにあったのは——実に風流な和室だった。
畳敷きの部屋。左側には開放された縁側と豪勢な日本庭園。真ん中に置かれた座椅子と大型のちゃぶ台。
そして、その座椅子にちょこんと座ったメガネに金髪ツインテールの女性。七星より小さいかもしれない体躯に、研究者的な白衣を着てずずず……とまったり湯のみをすすっている。途中で止まって、3人の存在に気づいた彼女は。
「……おう、来たな! ワシはもう待ちくたびれたわ!」
見た目にそぐわない一人称と口調で、万里に話しかけた。
「…………へっ?」
情報量が多すぎて呆気に取られていた七星に、光星が補足する。
「な、びっくりしただろ? だが、彼女こそ俺達ヒーローアバターの運営管理AI、セレクターだ」
「その通り! よろしく頼むぞ、新人よ!」
やっぱり情報量が多くて、七星は処理落ちしそうになった。