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気づいたら、割とギリギリの時間になっていた。
弟子は取りたくない七星。弟子になりたい空。2人の主張は長いこと平行線を辿る。時間のなかった七星はギリギリの妥協点として、ひとまず連絡先を交換することにした。しかし、これから事あるごとに弟子入りの要求が来るかもしれないと思うと、地味に憂鬱だった。彼のことは、嫌いではないけれど。
「ただいまー」
自宅に戻って、早足で階段を上がる。するとその足音に気づいたのか、2階で人の動く気配があった。ドアが開く。
「おー。来たな」
「お兄ちゃんごめん、遅くなった」
「もう待ちくたびれたぞ」
そう言って、兄の光星はからっと笑った。
頭脳明晰。スポーツ万能。きりっとした顔立ちにすらりと伸びた180センチ越えの長身。さらに人間性も申し分なし。まさにヒーローになるべくしてなった完璧超人。
そんな兄の背中を、ずっと追いかけていた。
そして今日、ついに自分は兄と同じステージに立つ。
「なんだ七星、ニヤニヤして」
「そりゃあ……念願のヒーローだし」
「遊びじゃないんだぞ、と言いたいとこだがニヤニヤするのも無理ないか。ずっとなりたかったヒーローだもんな」
光星の大きな手が、七星の頭の上に覆い被さる。優しい体温を感じた。
「改めて、ヒーロー試験合格おめでとう!」
「ちょっ、いやっ、髪が崩れるー!」
わしゃわしゃと、まるで犬のように頭を撫でられる七星。
「相変わらず七星の頭は撫でやすいな。高さが丁度いい」
「やかましいわっ」
事あるごとに頭を撫でてくるのは、正直勘弁してほしいと思う。憧れの兄に褒められるのは、確かに嬉しいけれど。
「じゃ、俺は部屋に戻るわ。ログインしたらレプリカの柏の葉キャンパス駅前に集合で」
「ん、了解」
ひとしきり頭を撫でて満足したらしい光星は、そう言い残して自室に戻っていった。
「うわ、やっぱり髪がヤバい」
竹刀と防具袋を置いて手鏡でチェックしたら、せっかく部活後に整えたショートボブがくしゃくしゃになっていた。お兄ちゃんめ……と小声で不満を呟きながら、手ぐしで髪を直して部屋に入る。
七星の部屋には、モノが多い。しかし、そこで幅を利かせているのは少女漫画でもファッション雑誌でも、その他ガーリィな小物でもない。
本棚にはバトル系の少年漫画。
壁に貼られた仮面ライダーのポスター。
極めつけは、ガラス棚にずらりと並べられたウルトラマンやレンジャー系のフィギュア。
部屋だけを見たら、小学生男子の部屋にしか見えない特撮グッズの数々が、そこにある。
でも、七星にとってはこれがいいのだ。憧れのヒーローを近くに感じることで、幸せになれるのだ。
「あたしもなれるかな……憧れのヒーローに」
七星は制服のまま、ベッドに倒れこんだ。それから、傍らに置いてあったヘルメット型の電子機器に手を伸ばす。
それは、人とVR空間を繋ぐもの。名を『セントエルモ』という。他にもヘッドギア型やチョーカー型など、VR対応のコントローラーには多様な種類があるが、現在でもVRが実用化された初期から流通しているヘルメット型が根強い人気を誇っている。七星の感覚としても、VRにはヘルメット型が一番しっくりくる感じがあった。
バッテリーの充電を確認して、電源を入れる。かぽっと被って、ふかふかのベッドに沈む。しかし、柔らかいベッドの感覚はすぐに消えた。
全身を包む浮遊感。視界は真っ暗で、まるで宇宙の果てか海の底のよう。しかし、すぐに暗闇の中から『NOW LORDING』の文字がどこからともなく浮かび上がった。それから続けて現れる『0%』という数値。数字は急速に増えたり止まったりを繰り返して、100%に近づいていく。
そして、100%になったその瞬間。
暗闇が、光に塗りつぶされた。