17
全速力で走りながら、ティンクルは神崎七星の姿に戻った。
ログアウトはしたくなかった。ログアウトしたら、どのみち光星と顔を合わせることになるから。
アバターの能力を使って逃げようとは思わなかった。もう、変身したくないから。
だから、今の七星に行く当てなどなく、ただひたすらレプリカの街中を走る。走る。
しかし、走っても走っても聞こえる繰り返しのコール音。発信源は光星でも廻でもなく、夏井坂空の表示。鬱陶しいから削除する。
「七星さーん……七星さーん‼︎」
すると、今度はチャットを介しないダイレクトな大声が響き渡った。遠距離ならボイスチャットで話すのが普通のレプリカで、その叫びは最高に目立った。道行く人のほぼ全員が振り返る。
「僕は止まるまで何度も呼びますよ……! ななっ……七星さーん!」
叫び続ける空。VR空間にいるというのに、なんてアナログかつ野蛮なやり口か。そもそも、ここまで追いかけてきているとは思わなかった。
結局、七星は無視できなくなった。数十メートル単位で離れていた距離を自分から詰める。だけど、説得に応じたわけじゃない。今の七星はどうしようもなく、ぐずぐずだから。黒い感情が、渦巻いているから。
「……七星さん」
相変わらず、肩で息をしながら空が名前を呼ぶ。そこにポジティブな感動はない。ただ渦巻きが加速するだけ。
七星は黙ったまま、半ば強引に手を引っ張って空を人通りの少ない路地裏に連れ込んだ。
「…………七星さん?」
「もうやめて」
断ち切るように手を離して、小さな声で七星が言った。本人はもっと大きな声で言おうとした。だけど、何かが喉に詰まって出てこなかった。
力ずくで、絞るようにして出そうとする。そうやって七星の口から転がり落ちてきたのは、闇だった。消化しきれずにどす黒く澱み切った、七星のダークサイド。
「あんた、いい加減もう鬱陶しいのよ」
「えっ……」
空が言葉を失う。まさか、あれだけ毎日メッセージを送りつけておいて、なおかつ一度も返信されていないのに。
こんな風に思われていたなんて1ミリも考えなかったのだろうか。
ああ、おめでたい。実におめでたい。
その疑うことを知らない空の心を、汚してやりたい。傷つけてやりたい。自分に纏わりつく負を、全部押し付けてやりたい。
「あんたが浮かれて軽い気持ちで弟子入り志願してた時、あたしがどんな思いしてたかわかる? わからないよね? あたし、憧れてたヒーローになれなかったんだよ? 魔法少女って何よ、ふざけてんの? あたしが願ってた夢はそれじゃない! そんなのできるわけないじゃない!」
ヒーローになれなかった。
その事実が、今の七星の全てだった。
「でも……」
「もう、何も言わないで。もう二度と、あたしに関わらないで」
そして、七星が最後に言い残した言葉は。
「あたし、もうヒーロー辞めるから」
七星は、その場を立ち去った。
空は、それ以上七星を追わなかった。
2人とも、さらにその後をつけていた存在には、ここまでとうとう気づかなかった。