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セレクターが訊いた。
「さっきまでの話、全部聞いておったのか?」
答えたのは、万里だった。
「全部、ではないがな。七星が縄を解けと騒いでたあたりからかな?」
「それはもう、ほぼ全部じゃろうが」
七星が再び不満たらたらでラボを出た後、万里がセレクターのところへやってきた。
「さっきのティンクルの戦いぶりを見てきた。散々だったんだな。最初とはいえ、あそこまで派手にやられる奴もそういない」
万里は苦笑いで言った。過去のヒーローの戦闘は、全てラボで閲覧することができる。VR空間ゆえにカメラによる撮影はいらず、1人称から3人称の視点切り替えも自由自在。それらは全て、ラボに記録として保管されていた。
「ワシはお主の仕事中にリアルタイムで見たわ。まさかあんな戦い方をするとは思わなんだ」
「七星は、やっぱり白兵戦向きか。さすが、剣道の有段者なだけある」
「じゃがの、本来武道やスポーツの格闘技を嗜むものは、ヒーローの接近戦には不向きじゃ。何故かわかるか?」
「そうなのか? 経験値高くて得意そうに思うけどな」
はて、と万里は首を傾げる。
「想像してみるがよいぞ。例えば、剣道や柔道やボクシング。それらが試合で、一体どういう場所で戦っているのか」
想像してみる。剣道なら剣道場。柔道なら柔道場。ボクシングなら、リングの上。想像力を繋ぎ合わせて、それらの共通点を探る。そして、万里は見つけた。
「どれも、1対1なのか」
「その通り。じゃが、ヒーローの戦いは常に1対1というわけにはいかん」
ヒーローは、状況によっては1人で多数の敵を相手にしなくてはならない。むしろ、1対1の状況のほうが少ないくらいかもしれない。
しかし、タイマンでの勝負に慣れてしまっている人間は、ここの切り替えでつまずく。集団戦で1体の相手に集中しすぎるあまり別の敵を取り逃がしてしまったり、最悪、背後から返り討ちに遭ってしまったり。
だから、実は集団戦においては、幅広い視野とチームプレーを要求されるサッカーやバスケなどの球技経験者の方が巧い立ち回りを見せていたりする。
「今回のティンクルの場合も格闘技経験者が苦手な、よくあるパターンじゃった。そのはずなんじゃが……」
セレクターが、珍しく言葉を濁した。
「あの立ち回りっぷりは、『よくあるパターン』じゃなかったな。あいつ、敵から何回ダウンを奪ってた?」
「27回じゃ」
その、『27』という数字が表す意味。
今回、最終的に確認できたマルウェアの数は30体だった。
だから、七星がもし近接戦用の武器を持っていたとしたら。
全く、とんでもない新入りが現れたものである。
「……このわしが、見誤ってたとでも言わせたいか、葛城万里?」
「別に言わせたいわけじゃないが……すっきりしないのは確かだろ?」
「あやつのヒーローアバターを変えてやるつもりはない」
セレクターの基本スタンスは、変わらない。しかし、彼女は後から付け加えた。
「じゃが、何もしないわけではない」