表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/70

第1章 旅立ち その8 墨婆の祈り

 槍が立てられた土盛りを二つ見つけた。土盛りは九個あり、うち二つに槍が立てられている。


 「タンム。ウバルさん」

 槍を使っていたのはアッシュールの隊の四人だけだ。槍が立てられた土盛りは、タンムとウバルの墓であろう。


 アッシュールは竜の祈りの言葉を口にした。もう、涙は流し尽くしたと思っていたが、関を切った様に流れた。泣いても、泣いても悲しみは拭えなかった。非常な現実にアッシュールの心の整理が追いつかない状況だった。


 アッシュールが涙を拭うと、鍛冶場が見えてきた。ドアは焼けて閉まっていたが、石造りの建物は立派に建っていた。

 アッシュールは建物を見ると、心が落ち着いて来た。アッシュールは、ララクの言葉を思い出す。エンメンは無事らしい。エンメンは赤い、家伝の槍を授けてくれた。生きていてくれて、非常に嬉しい。


 「エンメンじいさん!」

 アッシュールは大声で叫びながら入っていった。答えは聞こえてこない。アッシュールはテーブルの上の赤い鎧に目が行った。エンメンの家に伝わる、家伝の鎧のはずだ。遙か昔、竜の盆地に入った時、一族を率いた者の鎧と墨婆から聞いた事があった。鎧の保管は鍛冶の大事な役目として、伝わったらしい。


 「エンメンじいさん!」

 アッシュールは、鎧の横に座り込むエンメンを見つけた。エンメンは弱々しく、アッシュールを見る。


 「アッシュール、鎧、を、着て」

 エンメンは息絶え絶えに話す。


 「鎧、鎧だね、エンメンじいさん」

 アッシュールは鎧の胴、袖、面、と次々に付けていく。面は竜の口になっている。兜と合わせると、竜に見えるようになる。アッシュールは最後に兜を被った。兜はアッシュールの所有物だったかの如く、被ることが出来た。傍らには、赤い槍が置いてあった。ララクが運んだのだろう。


 「いい武者ぶりだ、アッシュール。戦いの舞を、見せて、くれない、か」

 アッシュールは頷くと、高らかに詠い始めた。


 「赤き竜よ、我と共に前へ進みたもう。

  赤き竜よ、我に祝福と与えたもう

  我の前に何が待つ

  我の前に困難あるか

  赤き心を打ち鳴らせ

  赤き腕を打ち鳴らせ

  勝ち鬨を大地に響かせ

  森を揺るがせ

  空へ、山へ、川へ、

  我の声を響かせ

  広がる青空は我らが青空

  深き森は我らが森

  我らが行き先は我らの大地」


 アッシュールは何度も繰り返して詠い、槍を振るった。唄に合わせて、槍の基本動作を繰り返していく。

 アッシュールは静かになったエンメンを認めた。既に息は止まっていた。


 「エンメンじいさん、この鎧は僕が引き継ぎました。安心して眠ってください」

 アッシュールは鍛冶場の前に穴を掘り、エンメンを安置した。そうっと土をかける。この村で何人も死んだ。もう、涙は涸れ果てたと思っていたが、土をかける間中、涙が出てきた。


 アッシュールは涙を拭わず、祈りの言葉をエンメンに贈った。

 村は、遙か昔、竜と共にこの土地に入り、住み着いたという。この村に住んでいるのは竜の軍勢を率いた者の末裔だという。エンメンの家は鍛冶として、村の伝統を伝える役目があった。しかし、エンメンの家は果て、伝統の半分は失われた。アッシュールの家は呪い師として、同様に伝統を受け継ぐ家であったが、アッシュールは呪いが出来ない。墨婆の様に、不思議な力は持ち合わせていない。呪いの家系も、アッシュールで終わる。


 エンメンが死んだことで、村の伝統を継ぐ者が絶え、本当に村が無くなったのだと、アッシュールは思わざるを得なかった。

 アッシュールは家に戻ると、パンを食べ、ベッドに横になった。奥では墨婆の祈りの声が聞こえてくる。アッシュールは目を閉じ、墨婆の祈りを聞いていた。聞いた事のない祈りだった。長い、長い祈りを聞きながら眠った。


 翌朝、アッシュールは墨婆の祈りで目を覚ました。アッシュールはパンと干し肉を食べられるだけ食べた。力が戻っていない。アッシュールは干し肉を囓りながら、厩舎に出る。先ほどから厩舎が騒がしいのだ。


 厩舎では、葦毛のタルボと黒駒のカルボがしきりに嘶いていた。アッシュールが頭を撫でると、タルボとカルボは落ち着きを取り戻した。


 「胸騒ぎがする」

 アッシュールはタルボに鞍を付けると、槍と剣を携え、村の中に乗り入れた。アッシュールが乗ることで、タルボは落ち着きを完全に取り戻している。


 「何があったんだ、タルボ」

 アッシュールはタルボをゆっくりと歩ませる。村はもやは見慣れてしまった、焼け野原と土盛り、トカゲの死骸で埋め尽くされている。


 「様子がおかしいぞ」

 アッシュールは巨大なトカゲの死骸がおかしいことに気が付いた。

 死骸が動いていた。

 生きていないのだが、腹の辺りが動いている。腹の中に何かいる。


 アッシュールは槍を構え、息を飲んだ。いずれにせよ、良いことではないのは明かだ。

 先手を打ち、アッシュールは槍を突き入れた。槍は巨大トカゲの腹を貫いた。

 アッシュールが槍を引き抜くと、槍によって生じた裂け目が広がり、腹から何かが出てきた。アッシュールは思わず後ずさる。

 何かは巨大トカゲの腹を食い、徐々に姿を現した。


 「大蛇だ。頭が五つもある」

 大蛇は子牛ほどの口を開き、懸命に巨大トカゲを食べることに夢中で、アッシュールには目もくれなかった。

 アッシュールは慌てて家に戻る。


 「墨婆、大変だ!」

 アッシュールは家の中に入ると、大声で墨婆を呼んだ。


 「アッシュール。座りなさい」

 気が付けば、居間の椅子に墨婆が座っていた。

 アッシュールはテーブルの椅子に座る。


 「アッシュール。私は一晩掛けて竜神の法を執り行いました。あなたには教えていない、未来を見通す呪法です。この村は大変な災厄に襲われ、皆死んでしましました。しかし、悲しみに暮れている時間は最早ありません。今すぐ、旅立ちなさい」


 アッシュールはいつもとは感じの違う墨婆に違和感を感じた。アッシュールは墨婆をよく見ると、微動だにしていない。目も開いたまま、瞬きもしない。何しろ、口が動いていない。胸が上下しない。木々が揺らめき、太陽の光が墨婆の顔に当たるが、瞳孔が動かない。


 「墨婆、竜神の法って」

 「黙りなさい。アッシュール。良く聞くのです。この大地に、何かが起きようとしているようなのです。人の力では、大地の動きを止めることは出来ません。ただ、あなたは何が起きたのか、しっかりと見て後世に伝える役目があります。竜の伝統を担う者の最後の一人として、これから何が起きるか、しかとその眼に焼き付けるのです。そして、生き抜きなさい。倒れてはなりません」


 アッシュールは流れる涙を手で拭った。泣くのは何回目なのか。これ以上、愛する人達を失いたくは無かったが、墨婆の命はもう止まっている。墨婆の不思議な力が、アッシュールに最後の言葉を残してくれているのだ。


 墨婆が、竜神の法を執り行ってはいけないと言っていなかったか。占い師の命と引き替えに、全身全霊を込めるが故に極度の消耗をしうる、危険な呪法だといってはいなかったか。


 「その通りです。アッシュール。既に私は死んでいます。今、竜神様のお力をお借りして、こうしてあなたと話しています。何が起きるのか、竜神様は教えていただけませんでした。しかし、大事なことを聞けました」

 アッシュールは息を飲む。


 「あなたは風だと、たった一言竜神様はおっしゃりました。心のおもむくまま、進みなさい。風は誰にも束縛されず、自由に吹きます。強く吹くも、そよ風でも、誰にも邪魔されず、自由に吹きます。あなたは、自由に行けばよいのです。止まりたければ止まりなさい。心のおもむくまま、行きなさい」


 「墨婆」

 アッシュールは、墨婆の名前を呼ぶのが精一杯だった。


 「この者、竜の一族の末裔、アッシュール・イズドゥバルの行く手に竜神様の火のご加護があらんことを。雨の日も、風の日も、内なる火が消えぬように。火は全てを知り、全てを見通す。火に恥じぬ道を行くが良い。道を違えば、火はすぐに消え失せる。心に灯す火を絶やさぬように」


 アッシュールは涙を拭う。


 「我、アッシュール・イズドゥバル、竜神様のご意志により旅立ちを決意いたす。竜神様のご意志は清く、尊い。我は竜神様のご意志を貫くべく、旅に出るものなり。我の行く手は険しい山の如く、深き森の如く、深き湖の如く、大いなる雨の如く、強き風の如く。一歩一歩大地を踏みしめ、我は歩んでいく。二つの眼と、清き心にて常に正しき道を歩むと誓おう。もし道を誤りたるときは竜神に誓いを述べ、正しき道に戻ると誓おう。もし、志半ばで倒れても誇りを持って歩んだと、全力で駆け抜けたと誓おう」


 アッシュールは頭を垂れ、旅立ちの祈りの返唄を詠う。返唄を覚えている者は墨婆とアッシュールだけとなっている。


 「偉大なる占い師、墨婆ことエンタラフアンナ・イズドゥバルよ、我、竜の名の下に我に帰る事を許そう。そなたの人生は残る者の模範になり、清く、正しかったと証明しよう。そなたの苦しみは皆の糧となり、生きる力となろう。そなたの足跡は皆のしるべとなり、暗闇に明かりを灯すだろう。そなたの子孫は繁栄し、皆がそなたを目指すだろう。安心して我に帰るがよい。我はそなたの一歩、耐え難い苦難に充ちた一歩一歩を称えよう」


 アッシュールは墨婆のために祈りを口にした。


 「ありがとう、アッシュール。あなたがいて、良い人生でした。あなたの両親は小さい時に行方不明になったけれども、あなたはよい子に育ってくれました。あなたがいて良かったです。アッシュール」

 祈りの言葉のあと、アッシュールは一人になった感じがした。死んでも尚、感じる事の出来た墨婆の存在感が、綺麗に消え失せた。


 「墨婆、墨婆」

 墨婆を呼んでも、もう答えてはくれなかった。村は最早アッシュール一人となっている。村の住人は人ではなく、巨大トカゲから生まれた大蛇となっている。


 アッシュールは立ち上がると、墨婆を抱き上げた。墨婆は軽く、小さかった。アッシュールは家の前に穴を掘り、墨婆を埋葬した。


 アッシュールは家に戻ると、一つ目のザックに小麦、干し肉、干し果実、水の入った革袋をを詰め込む。二つ目のザックに衣類、マント、毛布、大きめの布を入れる。三つ目のザックに斧、鉈、火打ち石、食器類、フライパン、鍋を詰め込む。四つ目のザックにエンメンから託された鎧を詰め込んだ。四つのザックを厩舎に運ぶと、黒駒のカルボにくくりつけた。四つのザックをロープで繋ぎ、左右にバランスをとる。カルボの手綱はアッシュールが騎乗する葦毛のタルボに結んだ。


 アッシュールはタルボに跨ると、後ろを振り返った。アッシュールの目に、石造りの小さな家が目に入る。アッシュールが育ってきた、占い師の家だ。


 「墨婆、さようなら」

 アッシュールは小さく呟き、視線を正面に向ける。視線の先は、焼け野原が広がっている。アッシュールは槍を構え、手綱を引いた。タルボはゆっくりと歩き始める。


 タルボはゆっくりと村はずれに向かって歩いている。村はずれにはアッシュールが最初に倒したトカゲが倒れている。中には腹が動いている死骸がある。大蛇が生まれてくるのだろうとアッシュールは見当を付ける。


 アッシュールはトカゲの死骸を横目に焼け落ちた門を通り、無事だった橋を渡る。とうとう村を出てしまい、アッシュールは本当に一人になった気がした。この先、何処に行けばいいのかもわからない。これから何かが起こるらしいのだが、アッシュールに何が出来るのかもわからない。墨婆は何が起きるのか、見定めよと言っていた。生き残り、後世に伝えるのが役目だと。孤独感に胸が締め付けられる。たったひとりで何が出来ると言うのだろう。アッシュールは泣きたくなる気持を堪え、村を出た。アッシュールが村を出たことにより、村は消滅し、帰るべき古里を失った。

 

 「僕はこの先」

 アッシュールは「この先」に続く、「どうすればいいのか」、という問いを飲み込んだ。竜神に誓って旅立った以上、アッシュールは旅立つ。とにかく前へ、前へ。アッシュールは自分を鼓舞し、気持を鎮める。


 アッシュールは橋を渡り終え、村を振り向いた。

 「さようなら、みなさん。さようなら、ルアンナさん」

長かったですが、主人公がいよいよ旅立ちます。

次回から、本当の清き風の叙事詩が始まります。

今後とも、お付き合いをお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ