第1章 旅立ち その7 ララクの旅立ち
ララクは周囲を見まわすが、生き物が動く気配がしなかった。家が燃える音だけが響き渡る。
「静かね。化け物はもういないのかしら」
「わからない。用心しながら行く」
ジアンナは頷くと、両手に槍を持ち、周囲を見まわしながら歩き始める。幸いにも、トカゲに合うことなく墨婆の家にたどり着けた。村はずれにある墨婆の家には、トカゲの襲来は無いようだった。
「墨婆さま! ララクです! アッシュールを!」
ジアンナはドアを開くと、墨婆が立っていた。
「墨婆さま、アッシュちゃんは生きています! ベッドは何処ですか!」
「ジアンナ、すまんぞぇ。こっちへ」
ララクはアッシュールをベッドに降ろすと、自らもベッドの傍らに座り込んだ。
ララクは強烈な疲労感に襲われた。性も根もとうに尽き果てていて、精神力だけで戦っていたのだ。ララクもそのまま眠りに入ってしまった。
アッシュールは暗黒の中を漂っていた。何も見えない。感覚も無い。死んだのだと直感で感じた。暗黒の中に小さな光が点る。いや、光ではなかった。
「エリドゥさん」
エリドゥの首だ。エリドゥはアッシュールを見てにやりと笑うと、首が横倒しに倒れ、根元から血を吹き出した。
「ああああああ!」
アッシュールは絶叫する。
再び暗黒に襲われるが、また小さく明かりが点る。
「バドさん」
今度はバドの頭だ。バドの頭はまっぷったつに割れ、鮮血を吹き出した。
「うわわああああ!」
アッシュールが振り向くと、若い女性が立っている。
「ルアンナ! ルアンナ!」
アッシュールは婚約者で有っただろう女性の名前を叫ぶ。
ルアンナもにやりと笑うと、炎に包まれて炭になり、漆黒と同化した。
「うわああああ!」
アッシュールは跳ね起きた。
見慣れた風景だったが、何処かわからない。
「ここは」
アッシュールが当たりを見まわすと、ララクが立っている。傍らにララクの妻、ジアンナが立っていた。
「気が付いた、アッシュちゃん」
ジアンナが首を振るとアッシュールを寝かせた。
「墨婆さま、アッシュールが目を覚ましました」
ララクが叫ぶと墨婆がアッシュールの視界に現れた。
「ご苦労だったねぇ、アッシュール。戦いは終わったぞぇ。たんと休むがえぇ」
アッシュールは事情が飲み込めてきた。ここは家だ。アッシュールと墨婆の家だ。この家は石造りのため、火災を免れたのだろう。
「ララクさん。村は、トカゲは」
「アッシュール。トカゲどもは全滅だ。お前は良くやった」
「タンムは、ウバルさんは」
「タンムは残念だった。トカゲと相打ちだった。自暴自棄だったよ。目の前でご両親と妹を殺されたから、タンムは槍を構えて正面から突っ込んで、火を噴かれたんだ」
「そんな。でもウバルさんは生きてますよね、ね」
ララクは首を振った。
「ウバルは奥さんと子供が殺されたと知ると、自決したよ。ウバルとタンムの家は隣同士だろう。既にトカゲに殺されていた」
ララクは剣を口にくわえ込む仕草をした。
「そ、そんな」
「アッシュール。お前は良くやった。本当に、良くやった。お前が村長だったら、被害は少なかったかも知れない。心しておけ、お前は見事だった、アッシュール」
「何言っているんですか、ララクさん」
アッシュールは痛む体に鞭打って立ち上がるが、体重を支えることが出来ない。ララクが肩を貸してくれた。アッシュールはララクと共に外に向かった。ドアを開けた先には、焼け野原が広がっていた。一軒だけ建物が見える。鍛冶場だ。鍛冶場とアッシュールの家だけが石造りで、他は木造建築だった。
「村が、村が」
ララクは押し黙っている。
いつもであれば、一際大きな村長の家が見えるはずだった。村長宅の前は広場になっていて、家々が囲んでいるはずだった。
しかし、見えるのは炭化した木材が転がる、真っ黒な焼け野原だった。焼け野原にトカゲの死体が転がっている。
「村は壊滅だ、アッシュール。生き残ったのは、アッシュール、お前と、墨婆さま。俺と妻、鍛冶屋のエンメン、酒屋のパブヌと妻、子供二人だけだ。九名だ。パブヌ一家は今朝、村を出て行った。街に行って立て直すと行っていた。今、村にいるのはここにいる四人とエンメンじいさんだけだ」
「え」
「パブヌはお前の見事な戦いぶりに感謝していた。ご武運をと言っていた」
ララクはアッシュールを部屋に戻し、ベッドに寝かせた。
「アッシュール、これも運命なのかえねぇ。酷いことだよねぇ」
アッシュールは墨婆に水を飲まされる。
「アッシュール。一つ聞いてもいいか。お前は他の奴らと、俺とも明らかに違い、見事に戦っていた。お前はあのトカゲどもが何者なのか知っていたのではないか」
「ララクさん、それは違います。僕は占い師墨婆の孫、村の伝統を引き継いで行く役目があります。伝統の中は、戦いの作法が数多く残っているんです。何のために戦いの作法が残っているのか、よくわからなかったんです。でも、体が勝手に動きました。でも」
「それ以上は言うな」
ララクはアッシュールの言葉、村を守れなかった無念の言葉を制すると、墨婆の方を向いた。
「墨婆さま、今までお世話になりました」
ララクと妻のジアンナが頭を下げる。
「お前さんも行くのかぇ。どれどれ」
墨婆は懐から小さな容器を取り出した。容器は金属製で、鎖で繋がれている。墨婆は容器に油を染みこませた木片を入れる。火打ち石で着火すると、木片は燻りはじめた。
「この者、ララクと妻ジアンナの行く手に竜神様の火のご加護があらんことを。雨の日も、風の日も、内なる火が消えぬように。火は全てを知り、全てを見通す。火に恥じぬ道を行くが良い。道を違えば、火はすぐに消え失せる。心に灯す火を絶やさぬように」
ララクと妻はお辞儀をする。
「さ、行くがえぇ」
「ララクさん、何処に行くんですか」
アッシュールはララクに残って欲しいと思ったが、墨婆が旅立ちを承知し、火の祝福を授けている。ララクが行くとを遮ることは、アッシュールには出来ない。既に竜神様が認めたと同義だからだ。
「すまん。アッシュール。俺たちは村を出る。村は死体だらけで、もう人が住める感じじゃない。一度、街に出てみる。パブヌと相談して身の振り方を決める。アッシュール、元気でな。槍は貰っていく」
ララクはアッシュールに手を差し出した。握手をすると、ララクは出て行った。去り際、妻のジアンナがアッシュールに手を振った。
ララクが出て行くと、アッシュールは深い眠りについた。夢を見ることもなく、泥の様に眠った。
翌日、アッシュールは目を覚ました。体がきりきりと痛むが、立ち上がる。
「墨婆、エンメンじいさんの所に行ってくる。村も、もう三人になってしまったのか」
「アッシュール。お前はどうするのかぇ。行ってもいいんだぇ」
「墨婆を置いていけないよ。変なことを言わないで」
アッシュールは外に出た。厩舎も無事だった。葦毛のタルボと、村長の馬だったカルボがいた。タルボとカルボはアッシュールが近づくと嬉しそうに嘶きの声を上げた。
アッシュールはタルボとカルボの顔を撫でると、鍛冶場に向かって歩き始めた。
村は酷い有様だった。全てが焼け、倒れていた。所々土が盛ってある。村人の墓であろう。墓標も無く、祈る人もいなかった。
アッシュールは土盛りに近づき、片膝をついた。
「名も無き短命の物よ、我、竜の名の下に我に帰る事を許そう。そなたの人生は残る者の模範になり、清く、正しかったと証明しよう。そなたの苦しみは皆の糧となり、生きる力となろう。そなたの足跡は皆のしるべとなり、暗闇に明かりを灯すだろう。そなたの子孫は繁栄し、皆がそなたを目指すだろう。安心して我に帰るがよい。我はそなたの一歩、耐え難い苦難に充ちた一歩一歩を称えよう」
アッシュールは墨婆に教えられた、古い竜の祈りを口にした。土盛りの下に誰が眠っているのかわからない。土盛りの横に、トカゲの死体が横たわっている。傷口に蠅がたかり、腐敗が進み始めていた。
立ち上がると、土盛りが多数有るのに気が付いた。
第1章はプロローグになります。
主人公のことが分かっていただけるかなと思い、
独立させています。少し長いですが、お付き合い下さい。
第1章は次話で終了です。