第6章 神殿 その2 アッシュールの心の奥底
ナンムは立ち上がった。エルニカは距離をとる。
「おい、来い! 新たな神の誕生だ!」
入口から十名ほどの黒いローブの者達が並んで入ってきた。
「新たな神へ、貴様等の命を捧げよ」
「喜んで、新たな神の御霊へ参ります!」
一名が自分の喉に剣を突き立て、口から血を吹いて倒れた。残りの者も、次々に自害した。部屋は血の海となり、吐き気を及ぼす匂いが充満した。
「ふむ。十人全員の魂は使われないか。五人分か」
ナンムは少女の姿ではなく、成熟した女性の姿になっていた。顔は美しいが中性的だ。
「女神よ、ご誕生おめでとうございます」
ナンム、いや女神と呼ばれたものはじろりとエルニカを睨む。
「私の魂を食うのは待って下さいませ。ご降臨に慣れるまで、私がご案内いたします」
女神はじろりとエルニカを睨んだ。
「まずは、雨を降らして下さい。依り代の少女は隠し村の雨降です。あなたは雨降の力が使えるはずです。最初は小さな範囲で結構です。雨を降らしてくださいませ」
エルニカは要求に、エルニカは考え込みながら雨を降らせた。手のひらの範囲で、ごく少量の雨が降った。
「お見事でございます。お力が付くまで。私をお使い下さいませ」
エルニカは膝をつき、臣従を誓った。
「さ、体を拭いて、服を来て下さい。神殿へ行きましょう」
エルニカが新たな神を誕生させた頃、ルージャ達は人狼となったアッシュールを追い、宮殿地下の洞窟を急いでいた。
「ひ!」
ルージャは立ち止まって人狼の遺骸を見ていた。二体だ。洞窟内に響いていた足音の代わりに、ルージャの小さな悲鳴が響き渡る。
「ルージャさん。アッシュールではないでしょう。槍を持っていない。大丈夫です。生きていますよ」
ララクは頷くと、先頭を歩き始めた。洞窟はひたすら真っ直ぐに闇を伸ばしている。闇に飲み込まれたのか、飲み込まれまいとしているのか、皆無口で先を急いでいた。足音だけが響いていた。
永遠に続くかと思われた洞窟に、物音が聞こえてきた。獣の鳴き声だ。
「アッシュールの声だわ。急ぎましょう!」
ルージャは走り始めた。広くなった空間に出た。空間には大きな階段がある。下に行けるようになっていた。
ルージャの目には階段が目に入らなかった。暗闇で咆哮が聞こえて来る。ルガングがランタンをかざすと、アッシュールの姿が見えた。時折、アッシュールめがけて炎が飛んでくる。炎が上がった瞬間、アッシュールの周囲が明るくなる。何者かと対峙していようだった。アッシュールの左にはベラフェロがいて、威嚇を行っている。
アッシュールは炎を吹かれた瞬間、槍を振り下ろした。対峙している者の姿があらわになる。石像だ。石像が動いている。頭からは角が生え、口には嘴が生えている。目は精気が無く、虚ろだ。背中には羽根が生えている。四肢は人と同じようだが、後ろ足は獣に似ている。人と決定的に違うのは、鋭い爪が生えていた。尾は長く、先端が鋭く尖っている。
動く石像が炎を噴くと、アッシュールとベラフェロは左右に動き、炎をかわす。ベラフェロに鋭い尾が襲いかかるが、後ろに跳躍して尾をかわす。
アッシュールは両手で槍を振り下ろす。槍は動く石像の左腕を砕いた。
石像はガチョウを潰したような鳴き声を発し、階段を駆け下りていった。ベラフェロはルージャに気が付き、走り寄ってきた。振り向くと、アッシュールに向けて遠吠えを行った。アッシュールは遠吠えに気が付き、ゆっくりと歩いて近づいてきた。アッシュールはよろめくと、槍を杖代わりにして体重を支えようと力を込める。
「アッシュール!」
ルージャはアッシュールに向かって走り始める。
「駄目だ、ルージャさん! 戻ってください!」
ルガングはルージャに叫ぶが、ルージャは聞き入れない。
アッシュールは槍でも自分の体重を支えきれなくなり、俯せに倒れた。
「お願い、グアオスグラン。頼みを聞いて。あなたならアッシュールに掛けられた呪いを祓えるでしょう。お願い、力を貸して、グアオスグラン。お願い!」
ルージャの叫びが響き渡る。ルージャはグアオスグランを抜くが、グアオスグランは無反応だ。
「いいから私に使われなさい! お前は元々私なのよ! お前の主人の命が危ないのよ! 私に使われないとお前の主人は死んでしまう! 死んでしまうの! もう命が尽きかけているの! お願い!」
・・・我を振れ
「ありがとう、グアオスグラン。ココ! 行くわよ!」
「いいっちゃよ、ママ!」
ルージャは目を閉じると、アッシュールの上でグアオスグランを振った。
ルージャが目を開けると、畑の真ん中いた。左右を見ると、盆地になっている。ルージャの左手に、暖かい温もりを感じた。左を見ると、ココが泣きそうな顔をしていた。ココの左手を強く握りかえす。足下にベラフェロがいた。ベラフェロはルージャの裾を噛み、歩行を促した。
麦畑を進んでいくと、アッシュールが倒れていた。
「アッシュール!」
「パパ!」
ルージャは驚いてアッシュールの半身裸の胸に飛び込む。微かに鼓動が聞こえる。
「生きている。良かった」
ルージャは安堵の息を漏らす。
「ここは何処かしら」
ルージャは左右を見まわす。麦畑の向こうには山々が見える。盆地だった。
「ママ、パパの話の風景に似ているっちゃよ」
ココはアッシュールの頭に近づき、座り込むと足の上にアッシュールの頭を乗せた。
「ここが、アッシュールの古里の風景」
麦が黄金に輝いていた。風が吹き、麦が揺れる。ルージャは胸が熱くなる。素敵な場所だった。もう一度、アッシュールはこの風景を見なくてはならない。ルージャは強く感じた。
もう一度、ルージャは目を閉じるとアッシュールの上でグアオスグランを振るった。
ルージャは目を開ける。村だ。村にいる。
ルージャは左右を見る。村は燃え、死体が散乱している。
「ママ、酷い」
「うん。酷いね。ここはアッシュールの心の奥底よ。酷いのは、アッシュールの心の状態なのね。グアオスグランは私の竜の血の力の結晶だから、人狼ごときに負ける訳がないの。心が弱っていたから、人狼になったのね。私はアッシュールに頼りっきりで、苦しみを分かち合ってなかったのだわ」
ルージャの目から涙が零れた。
「ママ。どうしてここはこんなに酷いの」
ココもルージャの心に刺激され、涙を流している。
「アッシュールは故郷の村が、怪物に襲われて皆殺しになったと言っていたわ。責任を感じていたのだと思う」
ルージャは燃えさかる村を見て、どうして良いのか途方に暮れた。
「ここは棟梁殿の心の中なのですか」
「王子しゃまっちゃ」
ルージャは不意に聞こえた声の方を向くと、ルガングが立っていた。
「なるほど、昨日話を聞いた棟梁殿の村ですね。成る程、酷い」
ルガングは左右を見まわし、納得したように頷きながらため息を漏らす。
「王子さん、どうしたらいいのでしょう」
ルージャはすがる思いでルガングを見る。
「人ってね、人を殺すように出来ていないのですよ。我々王族は罪人や戦争で人を殺すのが仕事なのです。耐えれる者が王位に就くのです。兵達にも相手の兵や罪人を殺すことで、おかしくなる人間が出てきます。夜に眠れなくなったり、何かに怯えたり、見えない何かを見てしまったり、心が傷ついてしまうんです」
「どうしているんです、その人を」
ルガングは燃える村を見る。
「土地を与えて退役させます。兵としては使えません。というか、人並みの生活も出来なくなります。土地と、なかなか結婚出来なくなるので、理解のある兵の後家さんを娶らせます。時間が少しづつですが心を癒してくれるようです」
ルガングの話に、ルージャは光明を見いだした。ルージャは両手で持ったグアオスグランを凝視する。
「グアオスグランは傷付いた心を癒す剣のような気がするわ。ココちゃんもグアオスグランに助けて貰ったのよね。私もそう。竜の形にこだわる私を、人として生きていけばいいと諭してくれた。今度は、私の番よ」
前回からの話しの切り方がおかしかったです。
女神となってしまったナンム。一方、アッシュールもピンチを迎えています。




