第5章 蠢動 その7 アッシュールの家族
アッシュールは呆然と立ちすくんだ。人狼の呪いを解いたのに、それ以上の人格支配に陥っていたのだ。
「死んだの、アッシュール」
アッシュールは力なく頷いた。
「パブヌさんを殺した疑惑があったのに、聞き出せなかった。こいつ等、何者なのだろう」
アッシュールが呟く。
「見事、討ち果たしましたな。こいつ等はおとぎ話で聞く人狼でしょうか。人狼は不死に近いと聞いた事があります。流石です。しかし、エルニカと新たなる神とは何でしょうか」
アッシュールはルガングの声で正気に返った。
「こいつ等は、神殿と名乗る集団の一味だと思います」
「神殿? 聖堂に籠もるクソ坊主どものことでしょうか」
アッシュールはルガングに首を振る。
「街の城壁の中の人では無いと思います。どこかに神殿があり、何かを企んでいるのでしょうか」
アッシュールは返り血を拭う。
「竜の棟梁が姿を現したのに、新たな神とは何者なのでしょうか」
ルガングの問いに、アッシュールは答えが無かった。
「わかりません。しかし、神殿は僕の知人の敵である可能性が高いのです。見つけ出したい所です」
アッシュールはグアオスグランを鞘に仕舞うと、大きく息をした。
「さぁ、アッシュール。ココちゃんも大丈夫だし、ほら、下に行く階段が見えるから降りてみるわよ」
ルージャとココは階段に向けて走り始めた。慌ててベラフェロがついて行く。アッシュールも階段に向かって歩いていった。
アッシュールはランプを掲げ、先頭で階段を下りていく。階段の先も広場になっている。
「わぁ、広いっちゃね」
ココが回りを見まわすと、ルージャも同意した。
「凄いわね。流石に王家の秘密だわ。王子さん、凄く素敵よ。あら、洞窟の続きがあるわ」
ルージャが指先に、二ジュメほどの大きさの洞窟が見えた。
「アッシュール、行きましょう」
アッシュールはルージャの言葉に頷くと、洞窟へ向かって歩き始める。アッシュールは洞窟の入口で耳を澄ませると、微かに物音がした。物音は一定のリズムでを奏でている。
「誰か歩いて来る」
アッシュールが言うと、全員静かになった。アッシュールは竜の剣、グアオスグランを抜くと、全員が武器を取った。アッシュールとルガングが前に並ぶ。アッシュールはルージャとココを下がらせた。ココの傍らにはベラフェロが寄り添う。
物音は誰の耳にも響いてきた。アッシュールの額に脂汗が流れる。物音が大きくなるにつれ、アッシュールの中で違和感が大きくなっていた。
物音はいよいよ大きくなる。走っている物音ではない。足を引きづりながら、ゆっくりと歩いている音だ。
「アッシュールかい」
アッシュールの耳に、微かに聞こえてきた。いや、耳ではなく、魂に直接語りかけられている。
「アッシュールだよね」
「アッシュール、姿を見せておくれ」
アッシュールは大量の脂汗を流す。微かに記憶に残る声だった。
「どうして、あなたの声が聞こえるのか」
大きな金属音が洞窟内に響く。アッシュールがグアオスグランを落としたのだ。
「パパ、パパ!」
ココがアッシュールの異変に気づき、駆け寄って抱きつく。
「どうしたっちゃ、パパ、パパ!」
ルージャとベラフェロはアッシュールの前に立ち、音がする洞窟に集中する。
「何かがくるわ。ココちゃん、アッシュールをお願いね」
洞窟に響く音は大きくなり、二本足で歩いてくる影が見え始めた。人だった。人が足を引きずりながら歩いて来る。
「なんだ? 人か?」
ルガングはランタンを掲げると、人影は姿を現した。
「そんな、どうしてここにいるんですか、母さん」
アッシュールはココの体を離すと、洞窟内に歩いて行く。
「棟梁殿! そのものは棟梁殿の母御では無いぞ! 胸に剣が刺さり、はらわたを引きずる母御がいるものか!」
ルガングはアッシュールを取り押さえると、アッシュールは膝から座り込んだ。
「そんな、そんな」
アッシュールの目は上の空で、母と呼ぶ人物を見つめている。母と呼ばれた人物は、中年の女性だった。顔には精気が無く、目は虚ろだ。胸には剣が刺さり、歩く度に血を吹き出している。腹は引き裂かれ、左手ではみ出たはらわたを掴んでいる。
右手。右手に何か持っている。肉塊に見えた。
「アッシュール、いるんでしょう。あなたの妹よ。みて。妹よ」
母と呼ばれた者の首が右にねじ曲がった。
「がががが」
母と呼ばれた者は呻き声を発し、口から大量の涎を吐き出した。母と呼ばれた者の首の左に、肉塊が盛り上がってきた。
「がががががが」
肉塊は口を開き、うめき声を発する。肉塊は目を開く。母と呼ばれた者の首の左に、新たに首が生えて来た。
「とう、さん」
アッシュールが呆然と新たな首を見つめる。
「アッシュール。お前の、妹だ。受け取れ」
新たな首が声を発すると、母親は肉塊を渡そうと手を前にした。
「本当にご両親なの、アッシュール」
「とうさん、かあさん」
ルージャの問いに、アッシュールは呆然とと答える。ルージャはアッシュールの顔を、張り手で叩いた。大きな音が洞窟に響く。
「しっかりしなさい、アッシュール!」
ルージャは再びアッシュールの頬を叩く。ルージャの目から涙が零れる。
「目の前の人はお父様とお母様かもしれないけど、もう死んでいるのよ。しっかりと送ってあげて、アッシュール。お願い、送って上げて、アッシュール!」
ルージャは両手でアッシュールの顔を抱き寄せた。
「アッシュール、しっかりして。きちんと送ってあげて!」
ルージャの悲鳴に近い声が響くと、ルージャはアッシュールに抱きかかえられる。
「父さんと母さんは、もう死んでいるのだろうか」
アッシュールは精気の籠もった目でルージャを見る。ルージャは力強く頷いた。アッシュールは大きく息を吸うと、ルージャを抱いたまま、グアオスグランを拾い、立ち上がる。
「我が父アッシルリル・イズドゥバル、我が母クラファアンナ・イズドゥバル、そして生まれ得ぬ我が妹よ。我、竜の名の下に我に帰る事を許そう。そなたの人生は残る者の模範になり、清く、正しかったと証明しよう。そなたの苦しみは皆の糧となり、生きる力となろう。そなたの足跡は皆のしるべとなり、暗闇に明かりを灯すだろう。そなたの子孫は繁栄し、皆がそなたを目指すだろう。安心して我に帰るがよい。我はそなたの一歩、耐え難い苦難に充ちた一歩一歩を称えよう」
アッシュールは息絶え絶えに祈りの言葉を口にした。アッシュールは左手にしっかりとルージャを抱き、前に進み出た。アッシュールは目を閉じ、母親と父親の頭の上を、グアオスグランで薙いだ。
アッシュールは目を開けると、洞窟に血痕だけを残し、母親と父親の姿は消え失せていた。
アッシュールはグアオスグランを鞘に戻し、ルージャを抱き寄せた。ルージャの温もりが、アッシュールを生きていると証明してくれる感じがした。
「アッシュール、ごめんね。剣の師匠様の魂を送らせて、今度はご両親と妹さんまで送らせてしまったわね。ごめんね。本当は私の役割なのに、ごめんね」
アッシュールは涙を流すルージャの胸の中で気を失った。アッシュールは性も根も尽き果ててしまったのだ。
アッシュールの家族の登場です。




