第4章 街へ その10 沢の決戦
アッシュールは下を指さす。
「おはよう。アッシュール。何かいたの、あら、来たようだわ。大変大変!」
「ルージャ、みんなを起こして」
ルージャは立ち上がり、消えた焚き火のへ走ってく。
アッシュールは下を見る。小さな影は街道から昨晩の宿営地に入り、焚き火跡の匂いを嗅いでいる。
「来たわ」
アッシュールは振り返る。
「みんな、下に虎が来た。見えるかい。恐らく、もうじき戦いに突入すると思う。そこで、みんなにお願いがある」
「いいっちゃよ」
ココが明るく言う。ナンムとヘガルの顔は恐怖で引きつっている。
「ココとナンムはこの場所、この辺と上の足場が良さそうな場所で焚き火を大きく燃やして欲しい。オリーブ油の袋の準備も頼む。上も火がついたら、ココは弓を持ってここに来てくれ。ナンムはとにかく薪を集めて。鋸はそこにある」
「わかりました、アッシュール様」
ナンムは頷くと、ココと準備に取りかかった。
「ヘガルさんとチパコは申し訳無いが、上にも石を沢山集めて置いてほしい。戦いが始まっても、下には来ないでとにかく石を集めて欲しい」
ヘガルは難しそうに頷くと、上に登っていった。
「ベラフェロ、上を頼む。警戒してくれ」
ベラフェロは音もなく登っていく。
「私はどうする、アッシュール。何でも良いわよ」
「そうだね、皆に食べ物を配って欲しい。終わったら、ここで虎に向かって石を落とそう」
「そう言うと思ったわ。ほら、これを食べて」
アッシュールは鮭とブルーベリーを受け取ると、視線は下のまま、むさぼり食べる。
「パパ、薪を置いておくっちゃ。じゃ、上に行くっちゃよ」
ココとナンムは上に登っていった。
やがてルージャも戻ってきた。
「アッシュール、オリーブ油の袋は三つね」
「よし、ルージャ、虎が登ってきたらオリーブ油をぶつけて、火を付けよう。火は焚き火さ」
ルージャは頷く代わりに、下を指さした。
「一頭登ってきたわ」
アッシュールは焚き火の大きな薪を柵の前に投げ入れた。焚き火の大半を柵の前に投げ入れる。ルージャはオリーブ油が入った皮袋を手にしている。
アッシュールは大きな石の横に陣取る。ヘガルとチパコが運んだ石は大きさが人の頭ほどだが、一個、人の大きさほどの石があった。昨晩のうちに、転がりやすいよう石の下の土砂を取り除き、小石で止めている。
「半分まできたわ。完全に沢に入ったわ」
アッシュールは小石をどけ、石を沢に放つ。石は大きな音を立てて転がり、一頭の虎に当たる。虎は叫び声を上げ、動かなくなった。
「やったわね」
「流石パパっちゃね」
ココが降りてきた。
「上は火焚けたかい、ココ」
「火は燃やして来たっちゃ。今、ナンムしゃんが薪を集めてるっちゃ。上には余り大きな石がないっちゃよ」
羽の生えた虎が大きく咆哮した。沢を通じてアッシュールにも咆哮が伝わる。咆哮は体を震わせ、恐怖で心が潰れそうになる。ココは思わず尻餅をつく。
アッシュールはココを抱き寄せる。虎は一列になって沢を登ってくる。
「大丈夫だ、ココ。僕がついている」
ココは大きく息をすると、背中から弓を取り出す。
「あ、足止めっちゃね」
「出来るかい。一頭だけおびき寄せたい」
ココは弓を引くと、二頭目めがけて矢を放つ。矢は弧を描き、二頭目に突き刺さる。先頭の虎は咆哮し、柵に向かって突進してくる。
「ルージャ、油の用意を」
ルージャは革袋を持つ。アッシュールは石を両手に持った。
虎が一頭、沢を登り切る。目の前の焚き火で立ち止まる。大きく咆哮した。ココが目をつぶり、軽いからだが飛ばされる。
「ルージャ、油を投げて!」
ルージャは我に帰ると虎めがけて革袋を投げつける。皮袋は虎に当たるとオリーブ油をまき散らかす。ルージャは手元の火がついた薪も投げ入れる。火は虎を襲い、火だるまと化す。アッシュールは上から石を投げ入れた。ルージャも石を投げ入れる。
「ココ、足止め用意! 目標は下の一頭目! 打て!」
ココもアッシュールの声で自分を取り戻すと、弓を放った。矢は虎の背中に刺さる。虎は痛みで倒れ込み、下に転がっていった。
「ルージャ、石を投げ入れろ!」
アッシュールとルージャは石をあるだけ眼下の虎に投げ入れた。全て投げ入れると、虎は動かなくなった。
二頭が雄叫びを上げながら走って来る。
「ココ、上へ待避! 待避のち、残りの二頭を足止め! 行け!」
「ルージャ、油の用意!」
アッシュールは叫ぶと柵の前に移動した。左足を柵にかける。
虎は躊躇なく突進してきた。柵とアッシュールに衝撃が走る。虎は配置した木の杭にに突き刺さり、動かなくなる。死体は焚き火の上になり、焚き火が消える。
矢が上から飛んだ。下の虎に刺さる。虎は痛みでもんどり打った。
「ルージャ、ココの神業だ。目にあたったぞ」
虎が立ち上がると、矢が飛んだ。顔に刺さる。虎は雄叫びを上げると明後日の方向に走り始めた。
「ルージャ、ココが両目を射たぞ! 油を投げてくれ!」
ルージャは虎に油を投げ入れる。虎は唸り声と共に火だるまになる。しかし、虎は火だるまのまま、柵を跳び越えようとする。焚き火と木の杭は虎の死骸で無力化されている。
アッシュールは竜の剣グアオスグランを柵を跳び越えようとする虎の腹へ突き刺した。
「ぐああああああ!」
アッシュールはグアオスグランを抜くと、虎の喉元へ突き刺した。
アッシュールの上に鈍い感触が伝わった。喉の骨を断ちきった感触だ。アッシュールは剣を引き抜くと、虎の喉から大量の血を吹き出した。
「ルージャ、上に行こう!」
アッシュールとルージャは走って上に登る。上も下と同じような場所で、開けた平らな場所になっていた。
「アッシュール様!」
ナンムが叫ぶ。
「ルージャ、タルボとカルボを上に逃がしてくれ、ナンムも上に! 上で焚き火を焚け! 急げ!」
「私も戦います!」
「駄目よ、上に行くのよ。アッシュールを信じなさい。大事なタルボさんとカルボさんが死んでしまったら、旅が難しくなるわ。アッシュールの考えは深いのよ」
ルージャはナンムと馬を引いて上に登っていく。
アッシュールは焚き火を沢に投げ入れる。 「ヘガルさん、薪を全てくべたら上に待避! ココも上から、援護を頼む! 矢を打ち尽くせ!」
ココが上へ登っていく。
「ココちゃん、こっち!」
ナンムが手を振る。
「ルージャ殿、アッシュール殿は鬼神か何かか」
ヘガルはアッシュールの戦いぶりに舌を巻く。
「アッシュールは強いでしょう。安心して。決して負けないわ。ヘガルさん、アッシュールは鬼神でも何でも無いわ。知恵と勇気で立ち向かっているのよ」
ルージャが、ココの横で剣を抜いた。
沢に一際大きな咆哮が響き渡る。
「きゃっ」
ナンムが吹き飛ばされる。チパコがナンムをたたせる。
「チパコ、下に行ってアッシュール様を手伝いなさい。行って!」
チパコは下に向かって走り始める。ベラフェロも後に続く。最後に残った虎は羽根が生えている。虎は大きく翼を広げると、アッシュールめがけて飛んで行く。
アッシュールが剣を上げる。虎が最初の柵に到達したところで剣を振り下ろした。ココは矢を放つ。矢は正確に虎の額を貫いた。虎の速度が遅くなった。アッシュールはもう一度、剣を振り下ろすと、矢は虎の喉に突き刺さる。
大声を上げ、虎は落下する。アッシュールは落下地点に入り、剣を宙に向ける。虎は自重で剣に突き刺さる。
「パパ!」
アッシュールは虎の巨体に当たり、吹き飛ばされる。剣は虎に刺さったままだ。
「パパ!」
弓を放り出し、駆け下りるココ。ルージャはココを捕まえ、羽交い締めにする。
「駄目よ、アッシュールを信じなさい! あなたのパパは私の、夫なのよ!」
ココはルージャの言いたいことが理解出来た。ルージャは竜の棟梁を信じろと言っているのだ。
「でも、パパが!」
「駄目よ! 信じなさい!」
ココの目から涙がこぼれる。
虎が立ち上がり、ゆっくりとアッシュールの元へ歩いて行く。アッシュールは動かない。
「ナヲ、キコウ」
アッシュールは痛みで呼吸が出来なかった。
「当代の竜、赤い世界の真理の夫、竜の棟梁、赤い世界の清い風だ」
「ナル、ホド、ツヨキモノダ」
虎はアッシュールの前で倒れた。巨大な牙が二個、地面に落ちる。
「モッテイケ。タムケダ」
アッシュールは立ち上がると、心臓を貫いている剣に手を掛けた。
「草原の神とお見受けする。偉大なる草原の虎よ、我、竜の名の下に我に帰る事を許そう。安心して我に帰るがよい。我はそなたの一歩、耐え難い苦難に充ちた一歩一歩を称えよう」
「オンニキル」
アッシュールはグアオスグランを抜いた。鮮血が飛ぶと、虎は動かなくなった。
アッシュールは牙を拾い上げた。牙は微かに動いていた。耳を当てると、虎の唸り声が聞こえる。鮮血は川となって沢を流れ落ちた。虎の遺骸近くの地面が陥没し、清水が流れ始めた。清水が鮮血を洗い流し、泉となった。アッシュールは振り返る。
「パパ、パパ!」
「アッシュール!」
ココとルージャが飛び出してきた。
「パパ、死んじゃったかと思ったっちゃ。死んだじゃったかと思ったっちゃ」
ココの顔が鮮血で赤くなる。
ルージャはアッシュールの顔を強く抱きしめた。
無事、虎退治が終わりました。




