第4章 街へ その4 ナンムの秘密
アッシュールの視界が闇に閉ざされる。何も見えない。足下で白い影が動いた。
「ベラフェロ、まだ暗くて何も見えないんだ」
アッシュールの弁明にベラフェロは裾を噛み、前へ行くよう促す。
「前に行けばいいのかい」
アッシュールはベラフェロの後ろを歩いて行く。ルージャとココの時は下り坂だったが、平坦だった。
前方に花畑が見える。アッシュールは歩いて近づくと花畑の大きさに驚愕する。花畑の縁でアッシュールは立ち止まる。
広かった。暗闇の中に永遠に花畑が広がっている。むせかえる花の香り。地平線が遙か彼方に見えた。アッシュールはしゃがみ込み、花を見る。
「カモミールだ。カモミールの畑。広い。広いというものじゃない。大きすぎる。大きすぎる」
カモミール畑の巨大さにアッシュールは圧倒された。
「ワン、ワン!」
子犬がベラフェロを見つけ、駆け寄ってくる。子犬は茶色で、毛が長い。子犬はベラフェロに一生懸命頭を擦り付けてくる。ベラフェロが子犬の頭を嘗めると嬉しそうにベラフェロを見た。
「お前、人の形をしていないけどチパコかい」
「ワン!」
子犬は名前を呼ばれて、嬉しそうに尻尾を振っている。
「お前は元々は犬だったんだな」
子犬姿のチパコは花畑の方へ走り出した。
「ワン!」
チパコが振り返り、尻尾を振っている。
「来いっていっているのかな」
アッシュールは花畑に足を踏み入れる。むせかえる甘い香りの中を進むと、幼児が雑草を取っていた。雑草をむしる先は、一ジュメの円の範囲で雨が降っていた。
「終わらないよう。草むしり、終わらないよう。草むしりしたらお花に雨を降らさないと駄目なのに、草むしり終わらないよう」
少女は疲れ果て、座り込んで泣き始めた。
「どうしてこんなにお花畑が広いの。一人では終わらないよう」
「ワン!」
「チパコ。待っててね。今草をむしっちゃうわ。だから待っててね」
少女は立ち上がると、再び草をむしり始める。少女は一生懸命に草をむしるが、カモミール畑は巨大で永遠に終わらない。
「ナンムちゃん、酷いわね」
脳裏に語りかけて来る声に、振り向くと赤い竜がいた。竜も巨大で、竜の尻尾の先が見通せない。
「やぁ、ルージャ。今日は赤い色が似合うよ」
「これはさっきのお茶かしらね。どれ」
ルージャがカモミールを囓る。
「うん、やっぱり。お花は竜の血の力ね」
ルージャは遠くを眺める。
「え、この畑は竜の血の力の象徴か例えなのかい。広すぎるんじゃないか」
アッシュールは腕を広げて花畑を示す。
「さっき、鮭を食べていたら鮭畑だったのね。雑草は何になるのかしら。まぁいいわ。ご先祖達はナンムちゃんに何をさせているの」
アッシュールは大きく息をついた。
「僕の村がさ、巨大なトカゲの襲撃で全滅したんだ。生き残りは僕を入れて三名なんだ。その時ね、トカゲの吐く火が特別な火だったんだ。普通は木に火を付けたら木が燃えて、燃え尽きたら黒こげになるだろ。しかしトカゲの火が直接あたった所は、当たった瞬間に黒こげになるんだ。普通の火じゃなかったんだ。ルージャの火と似ているね。ルージャの火も特別な火だ。チパコを飲み込もうとしていたぶよぶよした怪物が、ルージャの火で退治出来たし。特別な火を消すため、特別な血の力を与えたんじゃないか、竜達は」
「いいわ。アッシュール。私は今後、火を噴かないと誓うから大丈夫よ。畑を消しちゃって。竜の棟梁はあなただし、お花を食べちゃえば血の力を消せるけど、私はこんなに食べられないわ」
アッシュールは驚いてルージャを見る。竜は誇り高き種族だ。自らの命より誇りを保つ事を優先させる。ルージャの口から誓いが出た以上、命を賭けて火を噴かないといったのだ。
「火の他に武器があるのかい」
「速く飛べるわよ。凄く速くて遠くまでいけるわ。見損なっては困るわね」
「ルージャ、身を守れなくなるだろ」
ルージャが首を振った。アッシュールに当たり、アッシュールが吹き飛ばされる。
「ごめん、アッシュール。大丈夫?」
アッシュールは尻を押さえながら立ち上がる。
「アッシュール、見て。ナンムちゃんが使える雨の量は、あの程度なのよ。でも、お花畑はこんなに広いのよ。全部に雨を降らした場合、ナンムちゃんの心がもたないわね、きっと」
「いてて。気を付けてくれよ。ルージャはそう思うんだね。竜の力はやっかいだな。無理をすると使えてしまうんだろ、多分。墨婆もそうだった。最後、竜神の法を使って全てを使い尽くしたよ」
「覚えているわ。入れ墨のあるおばあさん。私を媒介に、何かを見ようとしていたわ。たったひとり、私に問いかけてくれたおばあさん。おばあさんの魂はいま、グアオスグランにいらっしゃるわ。今でも守ってくださっているわよ」
「墨婆を知っているのかい」
アッシュールは驚いてルージャを見る。
「毎日、お話してくれたもの。楽しかったわ。今は昔話をしている時じゃないの」
「わかったよ、ルージャ。グアオスグラン、ナンムから雨降の任を解きたい。出来るかい。ばれないように、遠話の術と少しの雨降くらいは残しておきたい」
ルージャが頷く。
「ほんの少しでいいわ。多分」
アッシュールは歩いてナンムの側に行った。座り込み、途方に暮れるナンムの頬を濡らす涙を、指でそっと拭った。
「お兄さん、誰」
ナンムはアッシュールを見上げる。
「ね、お花畑、広すぎたね。ごめんね」
「うん、凄い広いの。私じゃ、お手入れが出来ないの。でも、やらなきゃ駄目なの。私のお仕事なの」
ナンムは再び泣き始める。
「君はもう、こんなに広い畑の管理をしなくても良いんだよ」
ナンムは驚いてアッシュールを見上げる。
「ほら、竜神様が見えるかい。君にならわかるだろう。正真正銘の竜神様だよ」
ナンムは頷く。
「今から、竜神様がナンムの仕事を変える。いいかい」
言い終わらないうちにアッシュールは花畑に向かってグアオスグランを振るう。花畑は一瞬のうちに無くなった。
アッシュールはナンムの魔力を根こそぎ奪いました。




