第2章 出会い その6 四腕の灰色熊
木の実を集めながら、漁をし、畑の世話をする生活を続けた。木の実は無くなり、茸が採れるようになった。腐った倒木から平茸が、ブナの木からしめじが採れた。
小屋の中は森の豊かな恵で満たされてきた。人一人なら、何とか冬を越せそうである。小屋の中、貯蔵するための棚や箱の細工が終わると、弾力のある材木を選び、弓を削りだした。矢も材木から削りだした。試し打ちしたが、羽根の無い矢は真っ直ぐに飛ばなかったし、弓も乾燥が悪く、すぐに折れてしまった。
「弓は作れないか。あとは、竜の村から持ってこなかった毛皮だな」
アッシュールは毛皮が欲しかった。これから、森は冬を迎える。雪が降り、静寂の森となる。防寒のため、毛皮で衣類や靴を作りたいのだ。
毛皮をどうしようか、考えていたら川に大型の魚影を見つけた。大きさは、竜の血で大型化した鱒と同じだ。鮭が遡上してきたのだ。
アッシュールは森の恵と、川の恵みに感謝する。目の前の川は鮭が遡上する川なのだ。鮭は川を埋め尽くすほど、遡上してくる。鮭が捕れる以上、食料の心配は皆無と言って良い。但し、遡上してくる鮭は、脂身が少なく、味が落ちるのは目をつぶる必要がある。
川でアッシュールは鮭の漁を始めた。木の銛で突いて鮭を捕獲する。捕獲すると腹を割き、内臓を洗い流すと小屋の天井に干し、煙で燻った。
小屋に貯蔵出来ないほど、鮭が捕れたと思ったら、川に巨大な影を見つけた。熊だ。熊が鮭を狙っているの
だ。熊を狩り、毛皮を取る。冬用の外套や衣類の材料となる。アッシュールは決めると、竜の剣、グアオスグランを抜く。
「ベラフェロ、行くぞ」
狼のベラフェロは立ち上がると、背を低く保つ。
小屋の影で、様子をうかがう。熊は、小屋から百ジュメは離れている。風は小屋から熊に向かって吹いている。
「ベラフェロは風上で熊の注意を引いてくれ。僕は後ろから止めを刺す。いいかい」
ベラフェロはアッシュールを一瞥すると、音もなく、低い体制のまま森に入っていった。アッシュールも、川沿いの岩や木の陰に潜みながら、慎重に近づいていく。熊は灰色だ。
「灰色だ、茶色ではないのか」
熊は二種類だと、墨婆から聞いていた。小型の黒熊と、大型の茶色熊。竜の村の回りは茶色熊がいて、どう猛だから気を付けるようにと、言っていた。
アッシュールは更に近づく。大きい。茶色熊より一回り大きい。背丈は、人の背丈を優に超える。
灰色熊は、右手で川を横薙ぐと、二本の左手で鮭を捕まえた。上の左手で鮭を掴み、空いた左手は、鮭の捕獲に移っていた。
「腕が四本ある。あいつら、化け物だ」
アッシュールは風を顔に受けながら、ゆっくりと近づいていく。
「竜の血を飲んだのか。違うな。ベラフェロも含め、飲んだ動物は大型化した。ベラフェロとは違い、ルージャの眷属では無いと思う。しかし、でかい。槍があれば、もっと楽に倒せるのだが」
アッシュールの思案を破るように、ベラフェロの遠吠えが聞こえて来た。狩りの開始の合図だろう。
四本腕の灰色熊はベラフェロの方を向く。作戦通り、アッシュールは風上に位置しているため、灰色熊はベラフェロの匂いしかしないはずだ。
アッシュールは音もなく近づいていく。灰色熊の姿が大きく見えて来る。ベラフェロは灰色熊を動かさないよう、唸りながら牽制をを続けている。灰色熊が足を踏み出そうとすると、ベラフェロは吠え、灰色熊の足を踏み出させない。
アッシュールは十ジュメまで肉薄した。ベラフェロは唸りながら、灰色熊との間合いを詰めていく。
ベラフェロが先陣を切った。素早く、喉元めがけ飛び上がる。灰色熊は二本の左腕で喉元を守る。ベラフェロは左腕に噛みついたが、すぐに離し、再び牽制に入る。
アッシュールは三ジュメまで近づいた。グアオスグランを水平に構えた。大きく息を吸うと、音もなく灰色熊めがけ突きを入れる。絶対の自信で、獲ったと感じた瞬間。
灰色熊は、巨体を後ろに跳ね、アッシュールに当て身を食らわせた。剣は灰色熊には届かなかった。灰色熊は突きをかわしたのだった。
「うぐっ」
アッシュールは呻き声と共に二ジュメほど飛ばされる。
アッシュールは痛みで呼吸が出来ないが、立ち上がると灰色熊と間合いを取った。灰色熊はアッシュールを注視している。
「さぁこい、化け物め! 竜の剣、グアオスグランで切り裂いてやる!」
アッシュールは大声で灰色熊を挑発する。灰色熊は四本の腕を大きく広げ、大きく咆哮する。咆哮は大地を振るわせ、アッシュールの体も震動させられた。
「ギャッ」
灰色熊の目に矢が突き刺さった。ベラフェロが再び喉元へ飛びかかる。今度はのど笛に噛みつくことに成功する。灰色熊は声にならない叫びを上げたとき、ベラフェロが灰色熊から飛び退くかいなや、アッシュールはグアオスグランを灰色熊の口へ突き刺さした。アッシュールは尚も力を込め、背骨を断ち、剣を貫通させた。
アッシュールは左後方へ回るように剣を引き抜く。灰色熊は口から血を吐き、仰向けに崩れ落ちた。アッシュールは心臓に剣を付き立てると、灰色熊は二、三度痙攣し、動かなくなった。
アッシュールは肩で大きく息をする。
「やったか」
勝利の感慨にふける間も無く、剣を引き抜き、ナイフを突き刺す。ナイフの溝から、血が噴き出す。ナイフには血抜き用の溝が掘ってある。心臓に突き立てると、溝から血が抜ける仕組みになっている。ベラフェロはようやく、警戒を解き、座り込んだ。
「まず、血を抜くか。でも、食えるのか」
肉を食べるのであれば、血抜きは必須である。血を抜かないと、とても血の味で食べられないのだ。
ナイフから血が出なくなると、灰色熊の左目に刺さっている矢がアッシュールの視界に入った。
アッシュールは森を見る。誰かが矢を射った。矢は灰色熊の目を正確に射ている。アッシュールは腕前に嘆息する。
「助かった。熊とは違い、知能があるようだった。この森にも、あいつら、化け物達が住んでいるのか。ここはやはり禁忌の森なのか」
アッシュールは考えるのを止め、熊の腹の毛皮を裂く。皮脂と毛皮の間にナイフを入れ、皮を剥いでいく。熊の正面を剥ぎ終わると、アッシュールは思案に暮れてしまった。毛皮を剥ぎたいが、灰色熊が大きすぎで裏返しにすることは無理そうだ。アッシュールは背中の毛皮を残すことにした。
「肉を食べるか、ベラフェロ」
ベラフェロは匂いを嗅いだが、後ずさり、アッシュールを見上げた。
「そうか、要らないか。トカゲを焼いたら臭かったからな。こいつも臭いのだろうな」
アッシュールは熊肉が好きでは無い。匂いがきつく、肉が硬いのだ。鮭も豊富にあるし、化け物の肉を食べる必要も無いだろう。
アッシュールは毛皮を持ち、小屋に戻った。灰色熊の全ての毛皮を剥ぐことは出来無かったが、それでもかなりの毛皮の量となった。
ご褒美の鮭を食べているベラフェロの横で暖炉の火を眺め、毛皮を眺める。灰色に輝く美しい毛並みだった。アッシュールは毛皮の余分な皮脂をそぎ落とす。毛皮として使うには、鞣しを行う必要がある。
「そうだよ、毛皮は鞣さないとな。村では髭おじがやってくれたからな。鞣しの材料は覚えていないんだよな」
ベラフェロは鮭を食べ終え、今夜の狩りに出かける様子も無い。ルージャは拳半分浮きながら、寝息を立てている。アッシュールは相変わらず美しく、神々しい姿を眺め続ける。
小屋のなかは、ルージャの香りで満たされていた。安心する、良い香りだった。
ルージャの目覚めるのを待つアッシュール、
熊の毛皮を入手するために狩りに出ますが・・・




