第1章 旅立ち その1 竜神出現
第一章 旅立ち
青年は剣を構え、木に身を隠しながら、前進していた。青年の銀髪は汗に濡れ、真っ白い肌をも濡らし、まだ少年と言ってもいい端正な顔が恐怖に引きつっている。
何かがいる。
青年は呼吸を殺し、音を立てないようにゆっくりと木陰から前を覗く。前方は木々と、雑草が生えているだけで何か存在するようには見えない。
青年は確信を持っていた。何者かの存在感、見えない圧力に青年の心臓は高鳴り、胸は押しつぶされている。
行ってはいけない。
青年の心は警告を発し続ける。胸が激しき鼓動し、目の焦点がぼやけてくる。
「行くぞ、アッシュール・イズドゥバル。何がいるのか、確かめるんだ」
青年、いやアッシュールは小声で自らを鼓舞し、行動することを選択した。
アッシュールは前方の木、二ジュメ(長さの単位、一ジュメは人の身長程度の長さ)前方の木に音もなく移動する。
アッシュールは大粒の汗を拭い、大きく深呼吸する。木の陰から再び前方を覗くが、木々と雑草が伸びているのみだ。アッシュールは再び三ジュメ前の木へ移動する。見えない圧力は益々強くなり、何かが存在することを証明しているようだった。
「どうする。行くか?」
アッシュールは自問するが、答えは決まっている。アッシュールが進まねば、他の村人が確認せねばならぬだろう。
アッシュールは意を決し、五ジュメ前の木まで一気に詰め寄った。木から三ジュメほどで崖になっている。アッシュールは崖まで這いつくばって移動し、伏せの姿勢で崖下を覗く。
「あれは」
崖下には川が流れている。川は盆地を流れ、アッシュールの村に流れ着く。アッシュールの村は盆地にあった。盆地とより、谷と呼んだ方が良いかもしれない。小さな盆地だ。盆地の中央に、南北に貫く川が流れ、周囲を小さな山が囲んでいる。アッシュールは盆地の北側で何かを発見した。
「なんだ? 竜神様か?」
アッシュールは竜神を口にした。アッシュールが住む盆地は、竜の盆地と言われており、竜神を祀っている。アッシュールには、目の前に見える何かが竜神に見えた。
「でかい。十ジュメはある。あれが竜というのか」
アッシュールは川で水浴びをしている巨大な生物を驚きと共に見つめていた。巨大で、黒い爬虫類の様に見える。
「翼があるわけでは無いのか。おおっ」
巨大な生物は大きな口を開け、火を噴いた。鹿が炎に包まれ、倒れた。巨大な生物は真っ黒に焼け焦げた鹿に近づき、がぶりと食いついた。太い鹿の胴は容易く分断され、頭部とと下肢が河原に残された。
巨大な生物は数度咀嚼すると満足したのか、河原に座り込み、動かなくなった。
アッシュールは静かに立ち上がると、音もなく場を離れた。五十ジュメほど離れてから、駆け足で走り始め、つながれている芦毛の馬に跨った。
「タルボ、村に戻る!」
アッシュールは芦毛の馬、タルボに声を掛け手綱を引く。タルボは一度嘶くと南へ走り始めた。
「急げ、タルボ!」
タルボは林を抜け、畑に入った。畑では村人が農作業をしている。十人ほどだ。
アッシュールは手綱を引き、タルボを急停止させた。タルボは前足で宙を掻いた。
「みんな! 盆地の北で巨大な生き物を見た! 竜神様かも知れない! 一度引き上げてくれ! 決して盆地の向こうには行くな!」
「おいおい、アッシュール。どうした、そんなに慌てて。馬鹿言っちゃいけないよ。竜神様が簡単に姿を見せるわけがなかろう。お前さんは慌てただけだよ」
アッシュールの叫び声に、村人が集まってきた。
「エリドゥさん、タルボに乗って! もう一度見に行きましょう!」
アッシュールはエリドゥ、壮年の男を乗せて崖まで疾走する。森に入るとアッシュールは速度を落とし、五十ジュメの地点でタルボから降りた。
「エリドゥさん、声を出さないで」
エリドゥはアッシュールの真剣な顔に頷いた。二人は音もなく、崖まで近づく。
アッシュールが先に崖まで近づき、伏せの姿勢で河原の様子を確認する。巨大な生物は先ほどと同じ位置で動いていない。寝ているようだった。
アッシュールはエリドゥに手で来いと合図する。河原を指さし、見ろと合図する。エリドゥは恐る恐る河原を見る。
「ぎゃ」
アッシュールは大声を出そうとするエリドゥの口を塞ぐ。人差し指を口に当て、しゃべるなと合図する。
エリドゥは河原から目線を外さない。額から汗が滲んでいる。エリドゥはアッシュールを見て頷くと、音を立てないようタルボまで移動した。
「エリドゥさん。あれは火を吐きました。鹿を丸焼きにして食っていました」
アッシュールの報告に、エリドゥは無言で答えた。エリドゥはしばし考え込んだ。
「わかった。行こう」
エリドゥは短く答えると、アッシュールと共にタルボに跨った。
タルボは疾走し、畑に到着する。
「みんな! 一度村に戻ってくれ! 村長に指示を仰ぐ! 決して森の北側には行くな!」
エリドゥが叫ぶと、一カ所に集まっていた村人が村に向かって走り出した。アッシュール達も村に向かって疾走した。
アッシュール達は村に入ると、村長の家まで走り抜けた。村長の家は村の南に位置しており、木造だが村一番の大きさだ。
「村長! 村長はご在宅か!」
エリドゥが玄関から叫ぶと、黒髪の小柄な女性が出てきた。
「ルアンナ。村長はいるか。一大事だ。急ぎでご相談したい」
「エリドゥさん! どうしたんですか。大声を出して」
ルアンナは驚いてエリドゥを見ている。
「いいから、何処にいる、アルリムの野郎は。おい、アルリム、広間へ来い!」
エリドゥは大声を出し、村長を名指しで呼ぶと勝手に入っていった。
「アッシュちゃん、何があったの? 酷い剣幕ね。あ、アッシュちゃん、後でちょっといいかな。お父さんを入れて話したいんだ」
ルアンナはアッシュールよりも年上の綺麗な女性だ。昨年、病で婚約者を亡くしている。
「ルアンナさん。僕らも行きましょう」
ルアンナはアッシュールに促されて広間へ移動した。
「聞こえているよ。エリドゥ。大きな声を出すな」
広間では、エリドゥと同じ壮年の男性が椅子に座っていた。
「アルリム、大変だ。竜神が出たぞ。違うかもしれんが、火も吐くらしい。見た目は竜だ。翼は無いが、竜に見える。俺には竜神としか見えなかった」
エリドゥは息を切らしながら、大声で叫んでいる。
「友よ、落ち着け。何処で見たんだ。落ち着いて話せ」
「村長、盆地の北、川を眺める崖から見えました。大きさは十ジュメくらい、黒くてでかいです。火を吐いて鹿を焼いて食べてました。さっきは河原で寝ている様でした」
アッシュールの報告に、驚きの声を上げるルアンナ。険しい顔をする村長アルリム。
「本当か、エリドゥ」
「ああ。火を噴いている所は見ていないが、アッシュールの言うとおりだ。あれを見て、竜神では無いと言う方が難しい」
村長のアルリムはしばし考え込んだ。
「エリドゥ。村の男衆を集めてくれ。女子供は村から出ないように。アッシュール、見に行くぞ。馬はあるか」
エリドゥは頷くと、広間から出て行った。アッシュールも急いで広間から出て、村長の家を出た。村長の家の回りは既に村人で埋め尽くされていた。
「竜神様が出現さなったのか」
「おい、アッシュール。どうなんだ」
村人が村長宅から出てきたアッシュールに問いかけるが、アッシュールは目もくれず、芦毛の馬、タルボに騎乗する。
「アッシュール、行くぞ!」
村長のアルリムは黒駒のカルボに騎乗していた。アルリムの姿を認めると、アッシュールはタルボを盆地の北へ走らせた。
アッシュールは畑の中央でタルボを止めた。アルリムも止まると、前方を険しい顔で見つめた。
森から子供が泣きながら出てきた。逃げ遅れた子がいたようだ。森の方から、大きな獣の叫び声が聞こえて来る。
「村長、子供の保護を! 僕はヤツの注意を引きます! ヤツの正面に入らないで下さい! 火を噴かれます!」
「わかった、行け!」
アッシュールは剣を抜くと子供めがけて走り始めた。アッシュールは大声を上げ、存在を誇示する。後ろから村長が追ってきた。
「村長、子供を連れて村に戻って、対策を! 僕はヤツを村に入れないように頑張ります!」
アッシュールは全速力でタルボを走らせ、森に突入した。森の入口から百ジュメほどの距離にいた。アッシュールは一気に距離を詰める。
「竜神とお見受けいたします! ご用件を伺います!」
アッシュールは叫び、巨大な生物はアッシュールに注意を向ける。
アッシュールに注意を向けた巨大な生物は、アッシュールの質問に答えようとはせず、単に口を開けて噛みつこうとするだけだった。蛇が獲物を捕まえる動きによく似ていた。
「こいつ、知性が無い。竜神ではない、オオトカゲの怪物だ」
アッシュールは確信する。
アッシュールはオオトカゲを通り過ぎ、反転してオオトカゲに向かう。振り向きざま、頭めがけて剣を振るう。
甲高い音と共に、剣がはじかれた。
アッシュールは再び振り向くと、雄叫びを発しながらオオトカゲに突進する。オオトカゲは馬の速度について行けず、右往左往していた。
アッシュールは剣をオオトカゲめがけて振り下ろす。剣は巨大な牙に当たり、弾かれた。 「おい、こっちだ、こっちに来い!」
アッシュールは大きく叫び、村と反対側である北に向かってタルボを走らせた。
オオトカゲはアッシュールめがけて走って来るが、馬に比べると速度はかなり落ちた。
アッシュールは立ち止まり、再び声を上げようとしたとき、狼煙が目に入った。黒い煙だった。黒い煙は村への帰還の指令だ。今、外にいるのはアッシュールのみのはずだ。
「今戻ると、ヤツを村へ引き入れてしまう! 何を考えている!」
アッシュールは嫌な予感がしつつも、村へ戻ることにした。もう一度オオトカゲと交錯し、走り抜けた。
アッシュールが村に到着すると、入口付近に村人が全員集まっていた。村長のアルリムと、娘のルアンナが強ばった表情で村人の前に立っていた。ルアンナは小さな羊を連れている。村人は感極まった表情で祈りを捧げている。
「アッシュール! よく戻った! 馬は右手に繋いでおけ!」
アルリムはアッシュールに言い放つ。ルアンナはアッシュールが戻ったことを確認すると、少し安堵の表情を見せた。
アッシュールは右手にタルボをゆっくりと歩かせた。タルボから降りようとしたとき、大変な事に気が付いた。
「村長、あいつは竜神では無い、只のトカゲだ、言葉を解さない! ヤツが来るぞ、正面に立つな!」
アッシュールは叫ぶが、皆は耳を貸さない。ようやく現れた竜神に恍惚の表情を浮かべている。
アッシュールの目の前が橙色に包まれた。村長のアルリムと、娘のルアンナは一瞬で炭になり、崩れ落ちた。村人は、アルリムとルアンナを囲むように位置していた。アルリムとルアンナの後ろにいた十数名も、炎に包まれて炭と化した。十数名の両脇の数名も体から炎を発し、叫び声を上げながら倒れ込んだ。
一瞬の出来事に、アッシュールを始め、村人は何が起きたのか判断出来なかった。
再びオオトカゲは火を噴き、倒れていた者の息の根を止めた。体から火を発し倒れもだえていた者は全て炭化し、動かなくなった。
「ルアンナ! ルアンナ! おのれ!」
アッシュールが大声を上げ、タルボを駆ると村人も正気に戻り、悲鳴を上げながら逃げ始めた。
アッシュールはタルボを駆り、オオトカゲに近づくと体に剣を突き刺した。オオトカゲの皮膚は硬く、切る事は難しいが、突きであれば貫通は可能のようだ。
オオトカゲは大きく叫び、アッシュールを攻撃しようとするが騎乗しているアッシュールに追いつけない。アッシュールは振り向くと、オオトカゲに突進し、剣を突き入れる。止まると火を噴かれるので、立ち止まらないで剣を突き続けた。オオトカゲの周囲が血で溢れた。徐々にオオトカゲは動きが遅くなってきている。
「アルリムとルアンナと、皆の敵!」
エリドゥは剣を構え、オオトカゲめがけ突進を図る。
アッシュールは再び攻撃するため、オオトカゲに近づいた。
一瞬、目の前が真っ暗になり、アッシュールは重い衝撃に打ち倒された。呼吸が出来ず、その場に崩れ落ちる。何とかして顔を上げる。タルボが前足を掻くように立ち上がり、大きく嘶いている。エリドゥがオオトカゲに突進していくのが見えた。
「村長さん、ルアンナ・・・」
アッシュールはオオトカゲに一瞬にして殺された両名の名を口にした。
「ルアンナ・・・」
ルアンナは、アッシュールに話しがあると言った。アッシュールには話しの内容が想像できた。結婚だ。ルアンナは村長の一人娘だった。アッシュールはルアンナが嫌いではなかった。愛嬌のある、綺麗な女性だった。し
かし、今はもういなかった。
未来の、過去になった花嫁の名を呼び、アッシュールは意識を失った。
アッシュールは暗闇の中で剣を構えている。後ろにはルアンナがいる。大丈夫。僕が守る。アッシュールはオオトカゲに剣を振り下ろすが、何故かルアンナを両断していた。どうして私を斬るの、アッシュール。どうして私を斬るの、アッシュール。
「あああ!」
アッシュールは跳ね起きようと試みたが、胸が酷く痛み、再び横になった。
「気が付いたかえ、アッシュール。いいから横になるがええ。三日も寝ていたんじゃ。何か食うか」
墨婆がアッシュールを見下ろしている。墨婆はアッシュールの祖母で、村にいる唯一の呪い師だ。アッシュールと同じく銀髪であるが、白髪とも判断が付かない。墨婆は昔の風習で、顔に入れ墨が入っている。村の呪い師は入れることになっていたのだそうだ。
アッシュールは見回すと、自宅に帰ってきていた。石造りの小さな家だ。胸が酷く痛く、起き上がることが出来ない。オオトカゲの尻尾にやられたのだ。芦毛のタルボの速度で完全に優位に立ったと思っていたが、手痛いしっぺがえしを食らってしまった。
「ほれ、飲みなされ」
墨婆が水を持って来たので、アッシュールは身を起こして飲み干す。飲み込むとき、胸が酷く痛む。アッシュールは再びベッドに横になり、眠りに落ちた。
日も暮れた頃、物音で目が覚めた。
「墨婆さま、アッシュールはいるか」
エリドゥが墨婆と一緒にアッシュールの元に来た。
「アッシュール、大丈夫そうだな。良かった」
エリドゥはアッシュールの横の椅子に座る。
「エリドゥ坊や、村はどうなっておるかえ」
「墨婆さま、坊は止めてくだされ」
エリドゥは首を横に振り、大きくため息をついた。再び口を開く。
「あのデカ物に三十人が火だるまにされたよ。お前さんが一人でやり合っていたのを見て、やれると思ったんだよ。男衆十人でなんとか殺すことができたんだが、七人が火だるまにされたよ。正面に立ってしまったんだ」
「そんなに・・・」
アッシュールは絶句する。
「ああ。お前さんの忠告を無視した結果だからな。正面に立つなって言ってくれたのに、火だるまを目撃したのに、正面から剣を抜いたんだ。お前さんは気にすることないぞ。お前はよくやったよ」
「そんな・・・」
アッシュールは絶句する。
「しかたないさ。酒屋のパブヌがいるから酒が飲めることだけが救いだな。しかし、ルアンナは惜しいことをした。お前さんの嫁だろう、恐らく。残念だったな」
アッシュールは押し黙った。
「それでも、死んだ奴らの墓だけは作れたよ。それだけが救いだな」
アッシュールは顔を歪めながら体を起こした。
「エリドゥさん。ルアンナさんは僕の結婚相手だったのでしょうか」
「ああ。お前さんは銀髪だし、村長に息子はいなかったしな。昔から、銀髪は竜の血が濃いと言われていたからな。先々代の村長は銀髪で、呪いが使えたそうだよ。お前さんは使えないけど、馬に乗れるし剣も強いし、村長候補だったんだと思うよ。行方不明になったガリリムが第一候補だったんだけどな」
「おや、ガリリムは旅先で病気になったと聞いたけどねぇ」
墨婆が火を焚き始めた。切り込みの入った骨が焼かれていた。部屋が獣脂の匂いで満たされる。
「墨婆さま、行方不明です。北の森で姿を消したんですが、皆には内緒にしたんです」
墨婆が焚き火から骨を取り出し、床にたたきつけた。骨が四つに折れ、部屋に転がる。
「ふむ。成る程、凶兆が出ておる。気を付けるがええぞ。アッシュールや、お前は竜の力が強いと言われる銀髪ぞ。お前も凶兆に気を付けがよいぞ」
初めての投稿になります。まだ書ききっていませんが、連載を始めたいと思います。
よろしくお願いいたします。