√トゥルース -076 研磨機の使い勝手は?
「どうだ? 使い易いか?」
キコキコというリズミカルな音とカリッカリッザザザッザーという耳障りで不規則な音が混じりながら部屋に鳴り響く中、それを見ていたミックティルクが顎に手を当てながら声を掛ける。
「ええ、本当はもう少し早く回転すれば真ん中側も使えるんですけど、あんまり速いと機械が傷むのも早いだろうし、何よりニナが疲れてしまいますからね」
その問いに答えたのは、村から持ってきていた機具に手持ちの屑石をセットして昨日出来上がってきた研磨機の使い勝手を確認するトゥルースだ。その石の削った面を、やはり村から持って来ていた使い古された拡大鏡でじっくり見ていたトゥルースの顔色が明るいところを見ると、その機械の使い勝手は良好のようであった。
「問題は無さそうだな。で、ニナはどうだ?」
「ええ、前の様に手を痛める事もないので助かりますが……旅先でこんな椅子があるとは限りませんから、何とも……」
トゥルースの手伝いとして名乗りを上げていたティナはその機械を回す役を買って出ていたのだが、屋敷内で椅子に座ってやる分には良いが旅の途中の屋外でだと問題が出るのではと警笛を鳴らした。
「それもそうだな。普段、椅子なんて持ち歩いてないし……また商会で作って貰おうか」
「いえ、それでは荷物が増えてしまいます。ただでさえ荷物が多いのですから」
椅子を作るという事は、それだけで荷物が増えるという事を意味する。フェマが保存食等を買い込んだせいで今でも荷物は満載状態だ。ラバが潰れかねないので、これ以上荷物は増やす訳にはいかない。
「ふむ。別に椅子なんて要らないんじゃないのか? お前たちにはその多過ぎるという荷物があるじゃないか」
首を傾げるミックティルクの言葉に、トゥルースはそうか!と声を上げたが、対するティナは顔を曇らせた。
要はその多過ぎる荷物を椅子代わりに使おうという提案なのだが、(元)王女のティナは荷物の上に腰を掛けるという事に大きな抵抗感を感じずにはいられなかった。
「そんなはしたない事……」
「いや、荷物を増やさない為の合理的な考え方だ。まあそれでも抵抗があるのなら荷物を増やして馬に運ばせて自分たちは徒歩で行く事になるが、それでも良いのか?」
それでなくとも馬に乗っていても疲れて熱を出したのであろう?とミックティルクが目を細めてティナを見やった。
そう、この町に来たのはティナが慣れない旅の疲れが出て熱を出した事による休暇の為だ。思い掛けず王族であるミックティルクに屋敷に招待され石の商談と相成り休暇日数が増える事となったのだが、精神的には休まったとは言えないような微妙な気分であった。それは相手がミックティルクであり、更に第二王女のファーラエまで加わったのだから。
幸いにもファーラエは見た目通り純真無垢で無害な少女だったのが救いだが、それでもティナにとっては(元)王女としてではなくあくまで一般女性として振る舞わねばならず随分と気を使ったので、気の休まるのはトゥルースたちいつものメンバーと一緒の夜間だけであった。
「いえ、それは…… 分かりました、でも食べ物の上に乗るような事は出来ませんから……」
これはトゥルースたちと旅を共にするようになってから教えられた事だ。
効率良く旅を続けるには荷物を極力減らす事が必要で、娯楽になるような物は極力排し水や食料は無駄なく使い切る事を優先する事を耳が痛くなる程言い聞かせられた。特にフェマから。
察しの良いフェマは、唯一ティナが王族である事を看破していた。その為、一般と掛け離れた生活を送っていたであろうティナにトゥルースやシャイニーの目を盗んで一般の者の考え方やしつけ、生活の様子等を口を酸っぱくなる程教え込んでいたのだ。勿論食料の上に腰掛けるような行為は王族はする状況になる事はあり得ないので、そういった考えがある事すら知らなかったティナは、この時初めてフェマの強制勉強会が役に立ったと内心でホッとしていた。
「ふむ、確かに食料が潰れてしまってはいけないからな。ならば衣類なら良いのではないか? 食料と衣類は別にしているのだろう」
ええ、まあ……と答えるトゥルースは、衣類を詰め込み終わっていた荷物のひとつを部屋の隅から持ってきて椅子と入れ替えた。
その荷物の上におっかなびっくりで腰を下ろすティナ。
しかし思っていたよりも沈み込んでしまい、思わず後ろにひっくり返りそうになったのをミックティルクが捕まえて引き寄せた。
「大丈夫か? ニナ」
「あ、ありがとうございます、ミック様。まさかこんなにも沈み込むだなんて思わなくて……っ!」
手を引っ張られ勢いが思いの外ついてしまい、ミックティルクの胸に飛び込む形になってしまったティナが、落ちてきた声の元を見上げて返事をした。しかし、その顔が思ったよりも近くて、瞬間的に顔を紅潮させた。
(元)王女たるティナは王宮にいた頃はそれなりにイケメンにも会う事が少なからずあったのでそれなりに耐性は持っていたのだが、ミックティルクはそれらに比べても別格だった上に極至近距離にその極上の整った顔を見てしまったのだ、無理もない。
「ふむ、こういった不安定な物に座る時はあまり深くは腰掛けないようにした方が良い。それにいつも近くに人がいるわけではないぞ? 覚えておけ」
「わ、分かりました、ミック様。この様な事がないよう覚えておきます」
「トゥルースも。座る時は補助をしてやれよ、こんな事で怪我でもすれば大事だからな」
ティナを座り直させたミックティルクはトゥルースにもアドバイスをしつつ、ティナを掴んでいた手をそっと離すか、ティナは掴まれていた腕を見続けていた。
今まで感じていたトゥルースの柔らかな温もりとは違う、熱くて力強くありながらも痛くはしない絶妙な力加減。当たり前のような優しさのトゥルースに対して、力強さをも感じさせるミックティルク。こんな感じ方は初めてで、戸惑っている事すら自覚する事のないティナは、トゥルースから研磨機を動かしてみようと声を掛けられるまでその余韻に浸っているのだった。
「……あの。ニナ様ってどちらの出身の方?」
その様子を見ていたファーラエが不意に近くにいたシャイニーに声を掛けると、声を掛けられるとは思っていなかったシャイニーは一瞬誰もいない後ろに目をやった後に自分を指差して自分への質問かと確認をする。
「ええっと……王国の、貴族出身で、家を追い出されたって…… 何処の人かまでは話したがらなさそうなので、聞いてないんですけど」
「……そう、なの。ん~」
明確な解答は得られなかった事で何かを考え込むファーラエに、ラナンが首を傾げる。
「ファー様? どうしたの?」
「ええ、ニナ様の事で。あの方はミック兄様のお誘いを断っているの……でしたよね」
「そうですね。あからさまな拒否の言葉をミック様に対して口にしてたわ」
ラナンの横からカーラが口を挟むが、いつもの事なので慣れているファーラエもラナンもそれを咎める事はしない。勿論ファーラエが絡んでなければ容赦なくラナンからのツッコミが入るところだが、無駄な時間を消費した上に精神的に疲れるだけなのでその事はスルーだ。
だんだんと大人の言葉遣いをするようになってきたファーラエも、まだ少女の物から完全には抜け出していないので少し言葉選びがぎこちない。特によく話し相手になるカーラやラナンを前にすると途端に言葉が崩れると言語指導の夫人に指摘されるので、それを気に掛けていると会話に集中も出来なくなってしまう。カーラやラナンは気にする事はないといつも言っているのだが、それは立場が逆である。
「本当に貴族だったのかな?と。何か違和感があるのよね」
「違和感が?」
「良いところのお嬢様だったって感じは凄くするんだけど、あの人が貴族ではないとしたらわたしの立場が無くなっちゃうんだけど」
場末ではあるが、一応貴族の端くれであるカーラが危機感を露にして呟くと、ラナンはカーラが貴族の令嬢感が無さすぎよとジト目で返した。しかしムッとするカーラを他所に、ファーラエが続ける。
「それと……シャイニーさんは何か不思議な感じがするの」
「不思議な? 」
「不思議なって、ファーさまそれってどんな?」
ファーラエの言葉にカーラとラナンが首を傾げ、言われたシャイニーは何を言われるのかと顔を顰めた。
しかし、そのファーラエはう~んと唸る。
「それが何かは分からないのだけれども……何となく、そう何となく一般の人ではないような?」
「一般の人ではない?」
「それって……シャイニーさんがどこかのお嬢様って感じ?」
「あっ! そう、それ! それよ! お顔の痕がなければどこかのご令嬢って感じじゃない?」
「ふぁ!?」
「えっ!? シャイニーさんが? え、だって赤ん坊だった時から孤児院だったって……」
令嬢だなんて!とプルプル首を横に振るシャイニーと一緒に、カーラもファーラエの言葉を否定する。
「あ、そういえばそうだったわね。でも……」
シャイニーが孤児院出身だという話を思い出しながら、ん~、とまた人の顔を見ながら唸って首を傾げるファーラエ。
いくらなんでも物心ついた頃から孤児院で下働きの様な事ばかりさせられていたのだから、自分がどこかの令嬢だなんて有り得ないと首を小刻みに横に振り続けるシャイニー。
同性でありその人柄からファーラエは勿論、カーラやラナンへの警戒心も無くなっていたシャイニーだが、その圧倒的な存在感までは中々慣れないのかファーラエ相手には緊張を強いられ上手く説明出来ないのであった。
それにしても、とトゥルース、ティナ、シャイニーを順に見ていくファーラエ。フェマの姿がない所を見ると、また厨房へと足を運んでいるのであろう。一体どうしたらこんないびつな顔ぶれになるのだろうと首を捻る。
ティナの違和感、呪いの解けた時のシャイニーの整った顔。
そして……同い年とは思えないトゥルースの振る舞い。
そう、ファーラエは口にはしなかったが、貴族でもないトゥルースの振る舞いが歳の割に落ち着きすぎではと感じていた。何故そんなに慣れているの?と。
ファーラエが首を傾げるのも無理はない。中には幼い頃から父親に付いて回る大商人の息子等、慣れた者もチラホラといるが、トゥルースはいきなり放り出された口であったと聞いていたからだ。普通に考えて何かおかしい。
その実、夢の中で飛弾真実として経験した事が知識として残っているからだったが、真実と同様にいつしか見る夢の話を誰にも話さなくなっていたが故であった。
そして、そんな少女たちの会話に耳を攲てるミックティルクもまた、ファーラエの指摘したティナとシャイニーを見て黙考するのだった。