√トゥルース -065 針のむしろ
「体調はどうだ? トゥルース」
朝食の席で声を掛けたのはミックティルクだ。その声色は怒っているでもなく優しくでもなく、極普通であった。
しかし、トゥルースにとってそれは全く穏やかではない声ように聞こえた。昨日は結局ミックティルクに何一つ報告する事をしなかった。いや、出来なかったのだ。
見えない何かは結局ミアスキアも取り逃がしていた。やはり姿が見えないのは大きなハンデになるようだ、やはりあの屋内で何とかして捕らえねばいけなかった。
加えて、碌に確認せずに女性が服を脱いでいる部屋に入ってしまった。それもミックティルクが大事にしている妹のファーラエが肌を出している所に。
「は、はい。少し痛みますけど、動けない程では……」
目を合わせて返事が出来ないトゥルースは顔を下げたまま身を小さくして答えるが、やはりまた土下座した方が良いだろうか、と冷や汗を流す。ミックティルク(と帝王)のファーラエを溺愛具合は昨夜レイビドに捕まってこんこんと嫌になる程説明されていた。
「そうか。大した事は無さそうだな」
状況的に積みであった。
過去のファーラエに執拗に迫ったり誘拐を働こうとした者の末路を聞く限り、それは悲惨なものだった。暇だからそんな事を考えるのだろうと寝る間も惜しむ程の重労働を課せられていたり、治めていた領を追われて一家路頭に迷っていたり……
じゃあ自分の場合は?
事故とは言え、見てしまった事は覆す事は出来ない。
「今日の予定は?」
早く処罰を言い渡して欲しいと思うトゥルース。今のままでは蛇の生殺しだ。
レイビドの話からはファーラエの裸を見た男は今まではいなかったので、その罪に対する罰の大きさは想像出来ない。しかし、未婚の女性の裸を見る事の重大さはティナの一件で重々承知しているが、それが王女様相手となるとどうなってしまうのか想像が出来ない。
ごくりと唾を飲み込むトゥルース。
「時間取れるのなら昨日の話を聞かせて貰いたいんだけどな」
「……へ?」
「何を呆けている。昨日の事についてだ、まだ詳しい話が聞けてないからな。トゥルースには負担を掛けて悪いが、報告をしてくれると助かる」
「え? あの……報告って、何の?」
いや、何のって言うよりはどちらのだろう。心当たりは大有りだし、どちらかしかない。
「何のって、あの見えない何かのに決まってるだろう。他に心当たりがあるのなら聞くぞ?」
そう言うミックティルクだが、話を聞いていない訳はない筈だ。現にその視線が一瞬ファーラエの方を向いたように見えたのだから。という事は……
「あの、ミック様。午後はザール商会に例の機械の受け取りに行きたいので、午前中は時間取れますか? 見えない何かの件と、もうひとつ報告が」
昨日、官権の詰所にエスぺリスが姿を現した時に、機械と石の加工が午前中に仕上がって来ると報告を受けていたのだ。なので午後に早速取りに行くつもりでいた。
「午前中だな、問題ない。朝食を頂いた後に聞こう」
その頃にはみんな席に着いていたが、女性陣の目が突き刺さって何とも気まずいトゥルース。
いや、女性陣だけでなく、男性陣からの視線も容赦なく集まっているように感じて針のむしろそのものの気分だった。
「では頂こうか」
こうして食事が始まり、ミックティルクがみんなに今日の予定を聞き出していく。
「ファーラエ様を初め、女性たちは離れのニナ様たちの部屋にて昨日の続きをする予定です。関係の無い者、特に男性たちは近付かれないようくれぐれもお願いします」
もし近付けば次は容赦なく斬り捨てますから、と鷹の様な眼をトゥルースに向けるファーラエお付きの女騎士隊長イキシア。
昨日はファーラエたちの好意によりイキシアたちの下着も作る事になり、体の測定をしかけた際に、無警戒だったトゥルースの侵入を許してしまったのだ。
これには不運が重なった。
女騎士たちは三人一組でファーラエを守っていたのだが、イキシアが部屋の前を、イベリスが離れへの廊下を、もう一人のフレサスが離れの外を警護していた。身体のサイズを測る為、一人づつ部屋に招き入れる事になったのだが、最初のイキシアが服を脱いでいた時に、タイミング悪くミアスキアが見えない何かの捜索から帰ってきてミックティルクに報告を入れるべく離れの傍にある風呂に行こうとしたのだ。その姿を一人で離れへの廊下を警護していた女騎士イベリスが見付けて止めに入ったのである。日頃のミアスキアの明け透けな助兵衛根性に警戒心がMAXになってしまったのは仕方の無いところ。他の女騎士でも同じ行動を取ったであろう。が、そこにトゥルースが。
――― 盗られた石を取り戻す事が出来たから、その報告に…… ―――
その言葉を聞いて、イベリスは風呂に行っているミックティルクへの報告だと思い込んでしまった。その部屋が元々トゥルースに割り当てられた部屋だという事を失念した挙句、ミックティルクの客だという事で当然ミックティルクの元に向かうと思い込んでしまったのだ。
対してトゥルースは、自分の部屋にいるというリムに一刻でも早く石を取り戻した事を教えてあげたいと、部屋の中で何が行われているのかを考えずに扉を開いてしまったのだ。迂闊にも程がある。
ファーラエのいる部屋にミアスキアを向かわせないようイベリスが足止めしているのに、その真意を何も考えず扉を開けたトゥルースに悪意が無かろうと、結果としてしてはいけない事をしてしまったトゥルースに弁明の余地は無いのだ。
「ふむ、女たちはまた籠るのか。ならば手の空いている者たちは昨日に引き続き外で稽古を付けるか。他に予定のある者は?」
男性陣に向かって確認するようにミックティルクが口にすると、あからさまに顔を歪めるラッジール。昨日の稽古が余程辛かったようだ。それに対してオレチオは情報収集に出掛けるので半日ないし一日居ないと報告するが、これはいつも通りらしい。
すると、リムの兄アディックが申し訳なさそうに手を挙げた。
「我とリムは少しばかり商材の確認をしたいが、良いか? 我たちに与えられた離れの部屋でやるつもりだが、問題があれば日当たりの良い部屋を借りられると助かるんだが」
「それなら離れのお部屋で問題ないでしょう、間違って姫様がおみえの部屋にさえ入らなければ。イキシア、それで良いですね?」
「ああ。間違いだろうが意図してだろうが、部屋にさえ入らなければ、な」
そう、害さえなければ隣接する部屋だろうと問題はないのだ。そしてそれを破った場合の仕打ちは昨夜に皆が知る事となった通りであるので、敢えてそれを破ろうとする者はいないだろう。ああ、侍女や女騎士たちの目が怖い。
「よし。では今日の稽古はラッジール対ミアスキアを中心に組み立てていくとするか。レイビドも偶には揉んでやってくれ」
「畏まりました、ミック様。不肖、レイビド。及ばずながら精一杯お相手をしましょう」
「ええっ! ミアスキアさんだけでなくレイビドさんが相手に!?」
「マジかよ…… あ、おれちょっと情報収集に行かねぇと」
「いや、今日はオレチオが情報収集に回るし、昨日よく働いたからミアスキアは今日は仕事をしなくても良いぞ」
ラッジールの顔が歪み、ミアスキアも頬が引き摺って逃げ出そうとしたが、その首根っこをガシッと掴んだミックティルクがニッコリと最後通告を言い渡す。元々稽古が嫌いなのか、それとも……
しかしそれ以上は考えないようにして自分の心配をする事にしたトゥルース。生きて午後を迎える事が出来るのかは神のみぞ知る……という程でもないのだが、過酷になるであろう今日の稽古に不安を隠せないトゥルースだった。